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購入した赤い糸を少し拝借して、糸子から受け取った五円玉の穴に通した。なんとなく、御利益がありそうだと思ったからだ。
それを美空に手渡すと、嬉しそうに微笑んで、「ありがとう」と言った。
「あ、お金……」
「いいよ、そんなに高いものじゃないし」
「そう?」
美空は穴を通して景色を眺めている。彼女と会うのはもちろん院内に限られるのだが、出会ったばかりの頃は出歩くことも多かった。最近はもっぱら、病室のベッドの上にいる。顔色もこころなしか、よくない。
大丈夫か、と聞けば、大丈夫、としか返ってこないだろう。だから僕は、あえて体調や病状については何も聞かない。そろそろテストが始まりそうだとか、そういう他愛のない話に終始する。
僕との会話の合間も、美空はぎゅっと五円玉を握りしめていた。美希との仲直りを祈っている。僕は彼女の手に自分の手を重ねた。
「紡くん?」
「その、美空さんの願いが叶うように、僕の分の念もこめておこうと思って」
美希が白い糸を買い、美空との縁切りを願っていることを、彼女に伝えるつもりはない。長期入院中の彼女を、悲しませるわけにはいかない。赤い糸の力の方が、美空と僕の願いの力の方が強いと信じるほかなかった。
僕を見つめる美空の目は、きらきらと輝いている。涙の膜が張っている。なぜ泣くのか。悲しいのではないだろう。僕の献身に感動しているとすれば、嬉しいことではあるが。
暗くなった窓の外は、いつしかポツポツと雨が降っていた。本降りになるまで、それほど時間はかからなかった。桜の葉がしとどに濡れて、色が濃くなっていく。
静かな夕方の時間を過ごしている。病室にはたまたま、他の入院患者はいなかった。
いつもは残りの三人のうち、少なくともひとりは部屋の中に残っていて、僕たちが仲良く喋っているのを、ひやかしたりなんだりしてくるのに。
病院内では、多くの人が動いている。ゆっくりと患者や付き添いの家族が歩き、医師や看護師は、急患の対応でドタバタしている。廊下の喧噪をよそに、美空の病室は本当に、静寂に包まれていた。
経験がないから、想像で判断するしかないが、これはもしかして、「いいムード」というやつではないのか?
病人相手に何を考えているんだ、とか、人が入ってきたらどうする、とか、ごちゃごちゃと常識に囚われた自分自身がツッコミを入れる。
だが、僕を潤んだ目で見上げて、「紡くん」と名を呼ぶ彼女に、我慢ができなくなる。
唇を触れあわせようとするその瞬間、静寂は突如として、破られた。
ドタバタと廊下を走る足音が近づいてくる。通り過ぎるかと思いきや、この部屋の前でピタッと止まる。ノックもなしに扉が開き、看護師が入ってきた。
「濱屋さん!?」
青ざめた彼女は、美空の姿を確認した途端、へなへなとへたり込んだ。
「よかった……無事だったの……」
不穏なことをほのめかす彼女の発言を聞きとがめ、僕は立ち上がり、「なにかあったんですか?」と尋ねた。
僕ともすっかり顔見知りになった看護師は、ああ、と一息ついてから、絶望じみた声を上げた。
「こ、交通事故で運ばれてきた女の子が、濱屋さんだったの……! 抜け出して、事故に遭ったと思って……」
美空と似た女の子。交通事故。
僕は美空を振り向いた。断片的にもたらされた情報が導き出すのは、たったひとつの事実。
事故に遭ったのは、美希だ。さっき店で会ったばかりなのに。
一度も美空の見舞いに来たことがないから、看護師は美空に双子の姉妹がいることを知らない。
だから顔を見て、慌てて病室を訪れたのだった。
緊急事態に、美空も驚き、言葉を失っている。ここは僕が代わりにふんばらなければならない。看護師に再び向き直り、「それで、その事故に遭った子っていうのは……」と、話を促した。
最悪の事態を想像した。看護師は、首を横に振った。その意味するところは、言葉で語ってもらわないと、わからない。
「手術室には入ったけれど……私も、まだ」
命のやりとりは、続いている。
美希のことは、手術をしている医師に任せるしかない。僕は、美空の精神状態に気を配ろう。
「み……」
僕は振り向いて、絶句する。美希の容態を心配して、震えているとばかり思っていた。彼女は僕の予想を裏切る。
悪い意味で。
美空は、微笑んでいた。白く色のなかった頬には、赤みが差している。不安のあまりに顔に浮かぶ色ではない。ならば怒りか。理不尽な運命に対して、彼女は怒っているのかと思うが、笑顔との整合性がとれない。
頬に走る朱は、歓喜。
信じられない思いで、僕は彼女をじっと見つめる。美空は僕の存在など忘れたかのように、恍惚とした表情で言った。
「これで一生、一緒にいられるね」
手のひらの中の五円玉を、ころころとこね回して、彼女は目を閉じた。
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