僕の幼馴染、玉森翠葉は本当に僕を異世界転生させた死神だったのだろうか?

蛸山 葵

零幕:翠春の終わり。

第一話 だって私、死神だから。



「だって私、死神だから。」


それが僕の幼馴染、玉森翠葉たまもりすいはの口癖だった。


初めて聴いたのは、小学一年生の夏休みの時。

同じ団地のよしみだった翠葉とはいつも、近くの公園でよく遊んでいた。

その公園にある日、黒い野良猫が紛れ込んできていた。

僕らはその野良猫に「ウブ」と名付けて可愛がっていたのだが、夏休みの最終日、公園の木の陰でグッタリとしているウブを見つけた。

それが、僕達が初めて「死」と出会った瞬間だった。


「なんで死んじゃったんだろう?」


僕は突然のウブの死の原因がわからず、そう呟いた時、翠葉が言った台詞は、


「だって私、死神だから。」だった。


綺麗な翠緑色の長い髪が風で靡き、エメラルドの瞳が輝く。

その言葉を言いのけた翠葉の姿は何故か妙にカッコよく見えたのを、今でも鮮明に覚えている。


この時から翠葉は「死神」と自称し始めた。

飼っていたヤモリの死、親戚のおばあちゃんの死。

死にまつわる話を僕から持ち出すと、やはり翠葉は、

「だって私、死神だから。」

と同じ事を言い出す。


小学五年生になると、僕は翠葉に対して、こう思い始めた。


こいつ、頭おかしいんじゃないか?


いや、先程話した口癖が思い始めた理由ではない。

なんて言ったらいいのだろう…。


急にクサくなり始めたのだ。


「死神に鎌の時代はもう古い?」

「人間の正体って何だろう?」

「本気の本質って何だと思う?」

「死後の世界って、存在するのかな?」


中学生に上がってこのクサさを理解した。

翠葉はずっと前から厨二病というやつなんだと。


でも不思議と僕は彼女のその変わりっぷりが嫌いじゃなかった。

というよりむしろ、


最高じゃないか。


中学二年生になり、僕は翠葉と付き合い始めた。

告白は僕からだ。

好きだと伝えると翠葉は相変わらず言った。


「私、死神だよ?」


それでも僕は言い返した。


「それがいいんだよ。」


それからは翠葉に振り回される日々だった。

死神に鎌以外思い当たらないし、人間の正体なんてわからない。本気の本質を本気で考えたけど、死後の世界があるかなんてわからない。

だけど、そんな死神理論についていけなくたって、その日々が楽しかった。


高校生になると、これが青春なんだと噛み締めた。


僕は青春の全てを翠葉に捧げた。


そして、高校を卒業して八度目の夏のある日。

僕は久しぶりに、偶然にもあの口癖を耳にしたのだ。





「乾杯」


炭火の匂いが立ち込め、ザワザワと人の愚痴や噂が飛び交う大衆居酒屋の一角で、キンキンに冷えたハイボールを一気に喉に流し込んだ。

シュワシュワと喉を通る炭酸が心地良い。


刹李せつり、お前は悪くないよ。」


切り口は先輩からだった。

先輩はお通しの枝豆をひたすら剥き、小皿に豆だけを次々と入れながら僕にそう聞いた。


「いや、僕も配慮が足りなかったというか…。」


今日の出来事を思い出しながら、僕は痛む左瞼を押さえた。


「すまんな。仕事の話はもうしないって言ったのに…。いきなり切り出しちまったわ。」


先輩は軽く謝りながら胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけながら話を続けた。


「今日は俺の奢りだ。ほら、何でも頼めよ。」


「…、ありがとうございます。」


先輩はテーブルの端に置かれているタブレットを引き抜き、僕の手元へ持ってくる。

僕はたこわさびと唐揚げを頼み、タブレットを元の場所に戻した。


「いるか?」


ふと顔を上げると、タバコが一本差し出されていた。


「…、ありがとうございます。」


僕は少し躊躇しつつも、タバコを受け取り、火をつけてもらう。


「暗いなあ。ま、しゃあないか。」


先輩が指で掴んだタバコを僕の左瞼の方向に差しながら、少し眉を下げて訊いてきた。


「普通にパワハラだよそれ。訴えたら?」


「そんな勇気、ないですよ…。」


僕は苦笑いを浮かべる。

きっかけは仕事の些細なミスだった。

ミスをした後、僕は落ち込んで休憩しているところを上司に見られ、僕がぼんやりした顔をしていたのか、サボっていると勘違いされ、右の張り手をもろにくらった。


「実はなあ、刹李。俺もう今年いっぱいで辞めるんだわ。」


「えっ??」


面を食らった。

予想もしていない、唯一思いの内を打ち上げられる先輩からの、突拍子もない退職宣言が告げられた。

思わず動揺が走る。


「お前も辞めた方がいいぜ。まだ26歳だろ?高卒で入って八年だ。若いし、八年も仕事続けれたんだから、入れる職場なんていっぱいある。安い給料で頑張った挙句、そんな張り手くらって左目腫れぼったくする必要なんてどこにもねえよ。」


先輩は枝豆をポイポイ口の中に入れながら、淡々と僕に退職を勧めた。


「俺は嫁もいるし、子供作る事も考えたら、尚更このままじゃやばいかなって思ってさ。お前ももう彼女と別れて八年だろ?また新しく彼女作って、守るもん見つけたらもうちょい勇気付くぜ。」


「お待たせしました。ハイボールです。」


話を遮るように店員がハイボールのジョッキをドンとテーブルに置いた。


「…、ありがとうございます。」


店員が持ってきたハイボールを受け取り、僕は無言でそれを飲み干した。


守るもん…。勇気…か。

そんなもの、ないな。


彼女、作ってみるか…。


てか、もう仕事辞めるか…。


なんか、全部めんどくさくなってきた。


「彼女作ったら…、仕事辞めます。」


適当に、本当に適当に無難な言葉で、切り抜こうとした。


「お!やっと口開いたなお前!!そうだよその意気だ!」


バシッ!


先輩は笑いながら身を乗り出して、僕の肩を激しく叩いた。


「お前いつも自信なさそうにしてるから心配だったんだよ!今まで八年くらいお前の事見てきたけど、今日一番見直したぞ!」


目の前にあった熱々の石焼ビビンバを豪快に食べながら、先輩は嬉しそうに僕の顔を見て褒めちぎった。

僕は適当に無難に言った言葉を、すぐ後悔した。


先輩は、ビールで石焼ビビンバを喉に流し込んだ後、僕に質問してきた。


「そういえば、なんで彼女と別れたんだっけ?」


「なんていうか…、理由わかんないんすよ。」


「え?理由わかんねーの?」


「はい…。中学二年から高校三年まで五年付き合ってたんですけど、卒業した途端、急に向こうから連絡途絶えちゃって…。多分ブロックされたんです…。」


「え、辛っ…。」


先輩はお腹の調子でも悪いような顔つきで同情してくれた。


「幼馴染やったんすけどね…。何が悪かったんだろうって、今もずっと考えてて…。」


「…、それで自信ないみたいな感じかあ。」


僕はまたタバコに火をつけ、まるで毒を吸い、また心の毒を吐き出すように、煙を吸っては吐いてを繰り返す。


「同じ団地のよしみじゃなかったか?」


「そうです。」


「家知ってるんなら、押しかけりゃいいじゃん。せめて別れるんなら連絡くらいしろよって。流石に怒ってもいいと思うぞ。」


僕の目を見ながら、ユッケを啜る先輩の顔は、だいたい予想がつくけどな。とでも言いたげなのが見え見えだった。

多分、予想は的中しているだろう。


「…何言われるかわからないのが怖くて…。」


「だろうな…。」


翠葉と別れてから、僕はすっかり自信を無くしてしまった。

いや、元々自信なんて持ち合わせていなかったのかもしれない。

勇気も無い。自信も無い。

昔は翠葉が引っ張ってくれていたから、勇気や自信を奮い立たせられていたんじゃないかと、翠葉と別れてから気づいた。

翠葉のような、引っ張ってくれる人がいないと僕は、ぼんやりとした空っぽの人間なんだ。

この八年間、常にそう思い続けてきたものだ。


「やべ、こんな時間か。そろそろ嫁にどやされるわ。」


先輩はスマホを見るや否や、椅子にかけていたスーツを羽織り、財布から5000円札を取り出し、テーブルに置いた。


「刹李。もうちょい呑んでけ。いいか?お前は悪い奴じゃない。自分のやりたい事、率先していいんだからな。」


その言葉を宙に置いた後、先輩は早歩きで店を出てしまった。

途端に居酒屋の喧騒が、鮮明に大きく耳に入ってくる。

僕はまた、ハイボールを注文した。





どれぐらい時間が経っただろう?

気がつくと僕は、公園のベンチで座っていた。

団地の近くの、翠葉とガキの頃よく遊んでいた公園だ。

僕は立ち上がり、自然と足が、ある場所に歩んでいた。


「ウブ…。」


大きな木々の下には、アイス棒で作られた墓碑。

そこには「うぶ」と書かれていた。

小学一年生の頃にウブが死んだ時、この木の下に埋めてあげて、僕と翠葉で墓を作った。

それがまだ奇跡的に残っていたのだ。

僕は墓の前でしゃがみ、アイス棒の墓碑をジッと見つめる。


「あの時、お前何で死んだんだよ…。」


「だって私、死神だから。」


木々が風に吹かれ、鳴く。

木の葉が足元を後ろから前へヒューっと通り過ぎるのを目で追った。

その先には、月明かりに照らされ、エメラルドの瞳を輝かせる女性がいた。


「…翠葉?」


特徴的なエメラルドの瞳は、僕をまっすぐ見つめている。

その姿に、瞬間的に息を呑んだ。

翠葉と思わしき人物は、僕の方へ向かってくる。

少し大人びた風貌に、肩につかないところで揃えた翠緑色のショートヘア。

まるでビーチの砂浜のように綺麗な肌に、洗練されたスタイル。

そして何よりも印象深いエメラルドの瞳。

雰囲気が少し変わってはいるが、間違いなく彼女は翠葉だった。


「久しぶり、刹李君。」


その言葉に、胸が高鳴った。

木々の背景と同化してしまう程の翠緑色の服が、木々と共に風で靡く。


「あの時と、同じだ…。」


最初に浮かんだ言葉は、何故かこの言葉だった。


「何してるの?こんなところで。」


翠葉らしき人物は、僕の顔を不思議そうに覗き込みながら訊いてきた。


「それはこっちのセリフだよ。こんな遅い時間に、こんなところで何してんだよ。」


「んー、散歩?」


「どうして疑問系なんだよ…。」


「何か…、雰囲気変わった?」


「んー、そうか?てかお前こそ。」


「そう?髪切ったからかなあ?」


………。

気まずい。

何でこんな気まずいんだ…?

八年前はあんなに会いたいと思っていたのに、いざ本人を目の前にすると何も言葉が浮かんでこないものだ。

とりあえず、まずは。という質問を投げかけてみる。


「…、翠葉だよな?」


「当たり前じゃん。」


本当に、当たり前のように即答された。


「…、ここでよく夏休みにラジオ体操してたよなあ。」


「そうそう。神の使いを呼ぶ為の儀式とか言ってよくやってたよね。」


「それで夏休み終わる直前に大喧嘩しちゃってさ。あの時は二学期学校行くの死ぬ程足重たかったよ。」


「私も!」


僕らは夜の公園で二十年くらい前の話をして、笑い合った。

何だか夢みたいに儚くて、ノスタルジーな時間。

そんな時間を過ごしていると、突然翠葉が大声で言った。


「あ!タバコ!!」


「あえ?」


懐かし話に勢いがつき、ついタバコを吸おうとするや否や、翠葉に止められる。

僕は翠葉の大声に反応し、咄嗟に咥えていたタバコを手に取る。


「……、禁煙しなさい!」


「…、何故?」


「らしくないからよ!」


翠葉は更に強く言った。

そういうところは、翠葉

僕はしばらく考えた後、口を開いた。


「じゃあ、これを最後の一本にするから聞いていい?」


「何を?」


「何で…、連絡切ったの?」


八年間、ずっと伝えなくても伝えられなかった一言が今やっと出た。

その質問をした瞬間、木々が急に風で煽られ、ザーッと音を鳴らしてざわめき始めた。

何か聞いてはいけない事を聞いたような、何か嫌な予感のする風だった。

翠葉は僕とは反対の方向を見つめ、こう言った。


「あー、ついに聞いちゃったか…。」


翠葉のため息混じりの言い方に違和感を感じたまま、すかさず僕は答える。


「まあ、そりゃね。」


「そりゃそっか。」


その後、風が急に止み、木々は鎮まり、翠葉は沈黙してしまう。

まるで時間が凍りついたかのように、周囲の空気が張り詰める。

何か言葉をかけてあげようかと考えていたその時だった。


「その質問されてからにしようと思ってたんだ。」


「…何がだよ?」


振り返ると、翠葉はいなくなっていた。


ザバン。


水の跳ねる音がした。

浅瀬の方向に首だけを動かす。


そこに、彼女はいた。


「………、刹李君の命、私にちょうだい。」


翠葉の声は、夜の静寂を切り裂くように響いた。

月明かりが浅瀬を差した。

まるで、舞台の照明でも当てられているように彼女のシルエットがそこにあった。

エメラルドの瞳だけが怪しく光り、僕を見つめている。


「…、なんて言った?」


聞き取れなかったのではない。

聞き取れたが、その言葉に対して理解が追いついていなかった。


「ちょっとだけだったけど、会えて嬉しかったよ。」


言葉が届いていないみたいだ。

もう一度、訊いてみる。


「さっき、なんて言ったんだ?」


「…、その質問が来たら私、こうするって決めてたの。」


「え…?なんて…?」


人間とは不思議な事に、頭が悪い一部の人のみかもしれないが、言われた事に対して理解が追いつかない場合は、その理解が追いつくまで何度も聞き返してしまう習性があるようだ。

僕は、今その習性にピッタリと当てはまってしまっている。


「刹李君。見える?」


翠葉は、僕の視線から一度外し、左手を揺らしながら僕に訊いた。

僕は翠葉のシルエットを見つめる。

左手部分に、何やら四角いシルエットが手にくっついていた。


「……何それ…?」


「これが私があなたの死神だって証拠。」


少し、翠葉の声が震えている気がした瞬間、自分の体も震えている事に気づいた。

月明かりが、とうとう翠葉の姿全てを差した。

あかりに照らされ、シルエットが明確に見え始める。


「…、アタッシュケース?」


左手に持っていた四角いシルエットの正体は、銀色にコーティングされたアタッシュケースだった。


「小学生の頃の私の口癖、覚えてる?」


アタッシュケースがガパッと開く。


「あれ、冗談って思ってた??」


そこから出てきたのは、アタッシュケースの寸法では入るわけがないくらいにバカでかい大鎌だった。

月光を浴びた刃は、異様な存在感を漂わせながら鈍く光り輝く。


忘れもしない、翠葉の昔からの口癖。

冗談だと思っていたあの口癖が今、僕の目の前で現実になろうとしていた。


「……、冗談だと思ってた…。」


鎌は一人でにゆっくり回転し始め、翠葉の前で停止した。

鎌を携えるその姿はまるで、死神そのものだった。


「本気なのか…?」


「だって私、死神だから。」


ブンッ!!

その言葉を最後に、何かが空を切る鈍い音が聴こえた。

回転しながら向かってくる鎌の刃先が見えた瞬間、僕の視界は真っ暗に染まった。

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