幼き日のアリョーナとユーリ

 アリョーナとユーリが義兄妹になったのは八年前。アリョーナが七歳になる年に、十歳のユーリがストロガノフ伯爵家にやって来たのだ。

 父イーゴリからユーリがアリョーナの義兄あにになると聞いて、アリョーナはアクアマリンの目を輝かせた。

(わたくしのお義兄にい様……!)

 アリョーナは他に兄弟姉妹がおらず一人娘だった。だからアリョーナはワクワクしていたのだ。

 しかし、当時のユーリは冷たく、心を閉ざしているように見えた。

 アリョーナが話しかけても最低限のことしか答えてくれないので、アリョーナは少し寂しく感じた。

 しかし、ユーリのムーンストーンの目の奥からは寂しさが感じられ、アリョーナは彼を放っておけなかった。


(どうしたら仲良くなれるかしら?)

 アリョーナは幼いながら、悩ましげにため息をついた。


 そんなある日、ストロガノフ伯爵城近くに流れる川辺でアリョーナは驚くべき光景を見てアクアマリンの目を大きく見開いた。


 アリョーナの視線の先にいたのはユーリ。まだ十歳だが、誰もが見惚れてしまうほどの見た目。彼のムーンストーンの目は、凍てつくように冷たかった。

 しかしアリョーナはユーリに見惚れている場合ではない。

 雪が降る中、ユーリは服を脱いで川に入ろうとしていた。

 凍てつくような気温の中、冷たい川の中に入れば凍死してしまう。


「駄目ですわ!」

 アリョーナは必死に走ってユーリに後ろから抱き着いて止めた。

「君……どうして……?」

 ユーリは驚きながらアリョーナの方を向く。

「こんな寒い中、川に入ったら死んでしまいます!」

「……別に僕が死んでも誰も悲しまないさ」

 ユーリはフッと自嘲する。十歳とは思えない程に大人びていた。

わたくしが悲しいですわ。せっかくお義兄様が出来たのに……。もっと仲良くなりたいと思っていますのに」

 アリョーナは必死に自分の気持ちを伝えたい。アリョーナのアクアマリンの目はどこまでも真っ直ぐだった。

「知ってる? 僕は悪い奴だって言われているんだ。そんな僕と仲良くなりたい?」

 ユーリは冷たく自嘲したままだ。

「……本当の悪人は、そんなこと言わないはずです。この前読んだ本に書いてありました。それに、たとえ悪人だったとしても、生きていたらやり直すことが出来ます」

「生きていたら……やり直すことが出来る……ね」

 少しだけユーリの表情が和らいだ気がした。


 その時、アリョーナとユーリの足元でか細く「にゃあ」と鳴く声が聞こえた。

 アリョーナとユーリが足元に目を向けると、細過ぎる黒い子猫が震えていた。

「まあ、猫! この子死にかけていますわ!」

 アリョーナが子猫を抱き上げた。

「ストロガノフ城に戻って暖かい場所を用意しよう。まだ間に合うかもしれない」

 ユーリの言葉にアリョーナは頷き、二人は急いでストロガノフ伯爵城に戻った。


 その後、使用人達に手伝ってもらったお陰で子猫は死ぬことがなく、餌を食べてスヤスヤと安心したように眠るのであった。

 アリョーナとユーリはその様子を見てホッと肩を撫で下ろした。

「子猫、死ななくて良かった」

 ユーリは眠っている子猫をそっと撫でた。

「ええ。それに、貴方もですわ。あんな寒い中、川に入ろうとしていたのですもの」

 アリョーナはユーリに目を向けて安心したように表情を綻ばせていた。

「……心配かけてごめん、アリョーナ」

 ユーリは申し訳なさそうにアリョーナを見る。ムーンストーンの目は、温かな光が灯っていた。

「ようやく名前を呼んでくれましたわね。ユーリお義兄様」

 アリョーナは嬉しそうに表情を明るくした。それは天使のような笑みだった。

 ユーリはそんなアリョーナを見て、ムーンストーンの目を優しく細めた。

「この子、ストロガノフ城で育てるのだから名前を決めないといけませんわね」

 アリョーナは眠っている黒い子猫を見てアクアマリンの目をキラキラと輝かせる。

「そうだね」

 ユーリは再び子猫を撫でる。

 アリョーナは「うーん」と名前を考えていた。

「……ジェーニャはどうでしょう?」

 考えた末、アリョーナがそう提案するとユーリは頷く。

「良いと思う」

「じゃあこの子はジェーニャですわ」

 アリョーナは嬉しそうに子猫――ジェーニャを撫でた。


 この日から、アリョーナとユーリは交流を始め、仲を深めていくのだった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 しかし、アリョーナにはまだ悩みがあった。

 それは両親の仲があまり良くないこと。特に、ユーリを引き取ってから両親の仲が更に悪くなったのだ。


「どうしてあのユーリって子を引き取ったのです!? ストロガノフ伯爵家にはアリョーナだけいれば十分じゅうぶんじゃないですか! アリョーナに婿を取らせた方が良いですわ! そうしたらアリョーナはストロガノフ伯爵家にいられるのですから!」

 アリョーナの母エヴドキヤはイーゴリに怒鳴り声をぶつけている。


 ちなみにまだ女性に爵位や家督の継承権はないのだ。


「エヴドキヤ、すまない。でもあいつを引き取ったことでレポフスキー公爵家に恩を売れる。そのお陰でレポフスキー公爵領の絹が破格で手に入るのだ。君もアリョーナも贅沢が出来る。アリョーナの嫁入り先も、きちんと選ぶ。私達の娘アリョーナには幸せになって欲しいからな」

 イーゴリはエヴドキヤに対してやや弱腰だった。


 扉越しに両親の声を聞いていたアリョーナは表情を曇らせる。

「僕が来たせいか……」

 ユーリは困ったように自嘲する。

「ユーリお義兄様のせいではありませんわ。お父様とお母様は、元々仲があんまり良くないのです。二人共、わたくしには優しいのに……」

 アリョーナのアクアマリンの目は悲しげである。

「そっか……。二人にもきっと何か事情があるんだよ」

 ユーリは扉の向こうを見つめながら、アリョーナの頭を撫でる。その表情は、どこか複雑そうだった。しかしユーリはすぐにアリョーナに優しい笑みを向ける。

「アリョーナ、僕の部屋で本を読もう。君が気になっていた本もあるよ」

「まあ! それは楽しみですわ!」

 アリョーナは天使のような笑みを浮かべた。

 それを見たユーリは満足そうに口角を上げる。

「じゃあアリョーナ、行こうか」

「はい、ユーリお義兄様」

 アリョーナはワクワクしながらユーリの部屋に向かう。


 不安がある中、ユーリの存在はアリョーナの支えでもあったのだ。

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