第14話『ナギサはトビウオ?』


 仕事を再開してから、一週間ほど経過したある日。


 ボクは仕事の合間を縫って、おばあちゃんのところに足を運んでいた。


 元気になった姿を見せるのが目的だけど、久しぶりにおばあちゃんの焼いたパンが食べたくなったのだ。


 一番近い水路まで海魔法で移動し、そこからしばらく歩く。


 おばあちゃんの家は水路に接しておらず、船揚場ふなあげばもない。


 だからこそ安く借りられたのだけど、この島で暮らすにはなかなかに不便な立地だった。


「おばあちゃん! ただいまー……あれ?」


 おばあちゃんの自宅兼店舗に到着するも、その棚には一つのパンも並んでおらず、『臨時休業』の張り紙が出ていた。


「え、おばあちゃん!?」


「おやおや、ナギサ、帰ってきたのかい」


 もしかして、おばあちゃんの身に何かあったのでは……なんて不安に駆られながら家に飛び込むと、いつものようにコーヒーを飲むおばあちゃんの姿がそこにあった。


「お、おばあちゃん……表の張り紙は何?」


「ああ、小麦が切れちゃってねぇ。昨日からパンは焼いてないんだよ」


 思わず脱力しながら尋ねると、そんな言葉が返ってきた。


「そ、そうなんだぁ……ボクはてっきり……」


「ふふ。まだまだ体は元気だよ。それより、ナギサのほうこそ大丈夫なのかい?」


「うん! 海魔法のおかげで助かったし、怪我もこの通り!」


 ボクは努めて笑顔で言って、頭の傷を見せる。それはじっくりと見なければわからないほどに回復していた。


 それに加えて、ルィンヴェルのことは秘密なので、自身の魔法で助かったということにしておいた。


「それならいいけど。ナギサも女の子なんだから、無理をしちゃいけないよ」


「う、うん……それは重々わかってるつもり」


 少し強めの口調で言われ、ボクは身を縮こませる。おのずと声のトーンも下がっていた。


「いっそ、好きな男の子でもできたら自分を大事にするのかねぇ」


「ボ、ボクにはそんな人まだいないからっ!」


 その時、おばあちゃんが悪戯っぽい笑みを浮かべて言うも、ボクは全力で否定した。


 仲が良い男の子は何人かいるけど、そんな関係になるなんて想像もできないし。


「そ、それより、おばあちゃんが小麦切らしちゃうなんて珍しいね」


「いつもなら、ナッシュが届けてくれるんだけどねぇ。船の到着が遅れてるのかもね」


「そうなんだね。嵐で海が荒れたって話も聞かないし、どうしたんだろう」


「ナギサ、ちょっとベルジュ商店に聞いてきてくれないかい?」


「いいよ! いつもの『北の小麦』だよね?」


「そうそう。よろしくね」


「うん! いってきます!」


 元気よく返事をして、ボクはお店を飛び出す。それから水路に飛び降りると、ベルジュ商店に向けて海上をひた走った。




 右へ左へと水路を駆け抜け、ものの数分でベルジュ商店へ到着。ボクはその扉をくぐる。


「ナギサ、そんなに慌ててどうしたの?」


 お店に飛び込んできたボクを、イソラは驚きの表情で出迎えてくれた。


「おばあちゃんのパンに使う小麦が欲しいんだけど、北の小麦ってある?」


「ごめん。うちも入荷待ちなの。もう港に届いてもいいはずなんだけど」


「港だね。ひとっ走りして、様子を見てくるよ!」


 イソラの言葉にボクはうなずき、きびすを返す。


 それから再び海上を駆け、港へと向かった。


 やがて港に到着すると、その一角にたくさんの人が集まっていた。


「……あれ、皆どうしたの?」


 不思議に思いながら近づいていくと、その中心に見覚えのある顔を見つけた。


「伯爵様?」


 そこにいたのは、モンテメディナ伯爵様だった。周囲の船乗りたち同様、困った顔をしている。


「ああ、ナギサ君か……実は、昼過ぎに来るはずの商船が来なくてね。なんでも、海賊に襲われたらしい」


 彼はため息まじりに言い、肩を落とした。


「……じゃ、じゃあ、その船に乗っていた人や積み荷はどうなったの?」


「幸い人的被害は少ないそうだが、積み荷の多くは奪われてしまったようだね」


「海賊連中、本当に勘弁してくれよ……」


「こう何度も襲われちゃ、北側の航路はしばらく使えないな……」


 集まった船員たちは口々にそう漏らし、諦め顔をしていた。


「そ、そんな……おばあちゃんのパンは、北の小麦がないと作れないのに」


「詳しい事情はわからないが、こればかりは天災だと思うほかないな」


 伯爵様から諭すように言われ、ボクは何も言い返せず。落胆しながらおばあちゃんの家に戻ったのだった。


 帰宅後、小麦が手に入らないことを伝えると、おばあちゃんは「困ったもんだね」と言いながらも、どこかひょうひょうとしていた。


 ボクは拍子抜けしつつも、これが年の功なのかと納得せざるを得なかった。


「そうだ。久しぶりにナギサの手料理が食べたいね」


 その時、重くなった空気を変えるように、おばあちゃんが明るい声で言う。


「いいよ! 辛さ控えめアラビアータでいい?」


 ボクもそれに合わせるようにテンションを上げ、キッチンへと向かったのだった。


  ◇


 久しぶりにおばあちゃんとの食事を楽しんだあと、ボクは舟屋に戻る。


 その入口に設置してあるお仕事掲示板に目を通すも、特に新しい依頼は来ていなかった。


 うーん、本来なら商船が着いて、配達依頼も増えるはずだったんだけどなぁ。


 そんなことを考えながら、ボクは一階の船揚場で待機する。


 配達中に声をかけられることもあるけど、配達依頼は舟屋への持ち込みが基本だ。


 これまでも、舟屋での休憩中にお客さんがやってきたことが何度もあるし、今回もそれを期待しよう。


 ……それからかなりの時間が経過するも、状況は変わらなかった。


 完全に開店休業状態になってしまい、ボクはいつしか三角座りをして、目の前の水路をぼーっと眺めていた。


 ゆっくり静かに流れる水面を見ていると、港でのやり取りが思い出される。


「……やっぱり、あれだけの頻度で船が沈められると、海の中も大変なことになったりするのかなぁ」


「そうだね。色々と沈んでくるから、掃除が大変だって言ってたよ」


「うひゃあ!?」


 突然隣から声が聞こえ、ボクは思わず飛び退く。


 そして視線を向けた先には、ルィンヴェルが座っていた。


「い、いつから隣にいたの!?」


「少し前から。一応声はかけたんだけど、何か考えごとをしているみたいだったしね」


「あー、うー、そうなんだけどねぇ」


 彼の隣に座り直しながら、ボクは視線を泳がせる。


「やっぱり、ルィンヴェルたちの街でも海賊たちは話題になってるの?」


「話題ってほどじゃないかな。恐ろしい存在だとは聞いているけど、色々沈んでくるくらいで、直接的な被害はないし」


「そうなんだ」


「でも、落下物の中には危険なものもあるかもしれないって、マールが調査に行ってる」


「ああ、だから今日も姿がないんだね……はぁ」


「なんだか元気がないね。海賊は島には近づいていないはずだけど」


 思わずため息を漏らすと、ルィンヴェルは心配そうにボクの顔を覗き込んでくる。


「えっと、実はね……」


 少し考えて、ボクは海賊のせいで積荷が届かず、困っていることを伝えた。


「なるほど。おばあさんの小麦がね……」


「そうなんだ。普通の小麦じゃ、おばあちゃんのパンは作れないんだよ。北の小麦じゃなきゃ駄目なんだ」


 ボクは歯がゆさを覚えつつ、がっくりとうなだれる。


「海賊さえ現れなければ……むむむ……」


「……ナギサの気持ちもわかるけど、海賊を追い払おうなんて思っちゃ駄目だよ?」


「え?」


 そう口にした時、ルィンヴェルが憂いを帯びた目をしながら言った。


「べ、別にそんなつもりはないよ。モヤモヤはするけどさ」


「ならいいけど。僕はナギサがまた怪我をしないか心配なんだ。キミはトビウオみたいなところがあるから」


「ト、トビウオ!?」


 一度水面を駆けだしたら止まらない……言われてみればそんな気もするけど、まさかのたとえにボクは驚愕する。


 いや、海の中で暮らすルィンヴェルらしい表現だと言われれば、そうなのだけど。


「あれ、気に触ったかい? 僕らの世界だと、美しく一途で、一生懸命な女性の表現に用いられるんだけど」


「そ、そーなんだー。ふーん……」


 そっけない返事をするも、内心は動揺しまくりだった。


 ということは、ルィンヴェルはボクのこと、そんなふうに思ってくれてるんだ。


 ……恥ずかしかったけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


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