第12話『ナギサを助けたのは』


「あれ……?」


 目覚めると、ボクは自室のベッドの上にいた。


「ああっ、目を覚ましたよ!」


 すぐにロイの声がして、ややあって幼馴染たちが一斉にボクの顔を覗き込んでくる。


「よかった……本当によかった」


 イソラはその緑色の瞳いっぱいに涙を浮かべ、安堵の声を漏らしていた。


「……ボク、助かったんだ」


 おもむろにそう口にすると、ふいにあの夜の恐怖が蘇ってきて、妙な息苦しさを感じた。


「ああ、ナギサが突然浮かび上がってきた時には、皆驚いてたぜ。そういう海魔法があるのか?」


「へっ?」


 反射的に自分の体を抱くようにしていると、ラルゴがそう口にする。


 あの時のボクは完全にパニックになっていて、海魔法を発動する余裕なんてなかった。


 なのに、どうして体が浮かび上がったんだろう。


「もしもの時の保険をかけていたなんて、さすがナギサね」


 イソラが涙を拭きながらそう言う。色々と思うところはあるけど、余計な心配はかけないほうがよさそうだ。


「ま、まぁね……あいたた」


 曖昧な返事をしながら、ボクは上体を起こす。直後、頭に鈍い痛みが走る。


 思わず手で触れると、しっかりと包帯が巻かれていた。


「ああっ、まだ寝てなきゃ駄目よ」


「お医者さんによると、頭の傷はたいしたことないらしいけど……今日と明日は安静にしていたほうがいいかもね」


 慌てた様子のイソラに続き、ロイがそう教えてくれる。


「そういうことなら、もう少し休もうかなー。最近働き詰めだったし、良い休暇かも」


 わざと明るく言って、ボクはベッドに横になる。


 そんなボクを見て、幼馴染たちは一様に安心した表情を見せる。


「……また明日、様子を見に来るからね。テーブルの上にジャムを挟んだサンドイッチがあるから、食べられそうだったら食べて」


「ナギサ、ゆっくり休んでね」


 イソラとロイは口々にそう言って、舟屋から去っていく。


 やがて、その場にはボクとラルゴだけが残される。


「……ナギサ、本当にごめんな」


 他の二人がいなくなったのを見計らって、ラルゴは謝ってくる。


 その声は明らかに気落ちしていて、右頬は赤く腫れ上がっていた。


 おそらく海から助けられたあと、ブリッツさんに殴られたのだろう。


 それ以外は……怪我らしい怪我もしていないようで、ボクは安堵する。


「お互いに無事だったんだし、今回は水に流してあげるよ」


「いや、それだと俺の気が収まらないんだが……」


「いいから! 怪我人にこれ以上気を使わせるつもり? ほら、帰った帰った」


 努めて明るい声で言って、ボクはラルゴを追い返したのだった。


「はぁぁ……」


 やがて静まり返った部屋の中で、ボクは大きく息を吐いたあと、目を閉じる。


 精神的な疲れもあるのだろう。なんだか体が重だるかった。


 それにしても……海中で誰かに何かされたような気がするんだけど。


 むー、頭を打ったせいか、うまく思い出せない。


 妙なモヤモヤを感じたまま、ボクは眠りに落ちていったのだった。


 ◇


 その翌日。朝からイソラとラルゴが舟屋にやってきて、入口の扉に『現在臨時休業中』と書かれた紙を貼り付けてくれた。


「ラルゴ、食器棚から器を出してくれる?」


「えーっと、これでいいか?」


「そっちじゃなくて、深皿がいいかな。そう、それ」


 朝食を作ってくれるというイソラの後ろで、ラルゴは右往左往していた。


 舟屋の二階は狭いので、ベッドの上からでもその様子が丸見えだった。


「なんだか新婚夫婦みたいだね」


「えっ」


 冗談半分にそう口にすると、二人は声を重ねて固まった。


「な、なんでこいつと」


「そ、そうだよ。ナギサ、冗談が言えるくらい元気になったんだね」


 続いて、揃って顔を赤らめる。


 最近の二人はまんざらでもないと思うんだけど。ボクが学園に通ってる間に、ずいぶんと仲良くなってらっしゃるような。


「そ、そんなことより、朝ごはんができたよ。はい、召し上がれ」


 どこか焦ったような口調で言い、ベッド脇に寄せたテーブルに湯気の上がる器を置いてくれる。


 湯気の向こうに見えるのは、ニンジンのリゾットだった。


「……イソラ、ボク、ニンジンあまり好きじゃないんだけど」


「好き嫌いは駄目よ。ニンジンには大地の栄養がたくさん含まれてるんだから」


「大地の栄養なら、ジャガイモだって吸ってるよ」


「文句言わないで、食べなさい」


 ボクがそう口を尖らせると、イソラは腰に手を当てながら言う。なんだかお母さんみたいだ。


「全部食べたら、ボンボローネあげるから」


「え、本当!?」


 ボンボローネとは、中にクリームやジャムを詰めて揚げたパンのこと。


 イソラはお菓子作りが得意なのだけど、中でもボンボローネは絶品なんだ。


「わかった。頑張って食べるよ」


 ボクはそう答えると、意を決してリゾットに取りかかったのだった。




 その後、必死にニンジンのリゾットを片付け、念願のボンボローネにありつく。


「ところで配達の仕事、今も来てるの?」


 クリームの詰まった揚げパンをもふもふとかじりつつ、ボクは尋ねる。


「依頼はそれなりに来ているけど、状況が状況だし。配達を待ってもらえるものはベルジュ商店で保管してあるよ。ナギサは気にせず、ゆっくり休んで」


 すると、イソラが笑顔でそう教えてくれた。


 海魔法使いが海で溺れたなんて話が広まったら、もう仕事の依頼なんて来なくなるかと思ってたんだけど……その心配は無用のようで、ボクは胸をなでおろす。


「ナギサのことだから、自分が溺れた噂が広まるんじゃないかって心配してるんじゃないか?」


「ぎくっ」


 その時、まるでボクの心を読んだようにラルゴが言った。


「そ、そんなことないよ!」


「安心しろって。むしろ、俺を命がけで助けたってことで、話はいい方向に広がってる。元気になったら、またガンガン働けよ」


 慌てふためくボクを見たあと、ラルゴはそう言って笑ったのだった。


 ◇


 その日の午後になって、ルィンヴェルがお見舞いに来てくれた。


 彼一人で来るなんて珍しいと思いつつ、ボクはお茶を淹れようとベッドを出る。


「ああ。寝てていいよ。茶葉はここだね」


 言いながら、彼は慣れた手つきで戸棚を開け、茶葉を取り出す。


 うーん、ルィンヴェルもだいぶこの舟屋に出入りしてるし、勝手知ったるなんとやら……だよね。


 つい苦笑するも、王子様にお茶を淹れてもらえる機会なんてそうないだろうし、ボクはお言葉に甘えることにした。


「あ、イソラが作ってくれたボンボローネがあるから食べていいよ!」


「ああ、これかい? でも、一つしかないよ?」


 近くの戸棚を指差しながらそう伝えるも、ボンボローネを発見したルィンヴェルは困った顔をした。


「ボクは午前中に食べちゃったし。ルィンヴェルが食べていいよ!」


「それはさすがに悪いよ。そうだ。半分にしよう」


 ルィンヴェルはそう言うと、ボンボローネを中央から二つに割り、その片方をボクに手渡してくれた。


 お礼を言ってかじりつくと、オレンジの爽やかな香りがふわっと広がる。


 朝のボンボローネはクリーム入りだったけど、これはマーマレードが入っていた。


 飽きないように色々な味を用意してくれるあたり、イソラの気配りが垣間見える。


「ところで、頭の傷は大丈夫かい? あまり血は出ていなかったようだけど」


 幸せな味を噛みしめていると、ふいにルィンヴェルがそう訊いてくる。


「大丈夫。もう少ししたら包帯も取れそうだから……って、あれ?」


 そこまで口にして、ボクはふと気づく。


「あの夜、ボクを助けてくれたのって……ルィンヴェルだったの?」


「そうだよ。さすがに姿を見せるわけにはいかなかったから、闇夜に紛れて海面まで持ち上げるのが精一杯だったけどね」


 彼はまっすぐな笑顔をボクに向けながら、そう説明してくれる。


「そうだったんだ……ありがとう。ルィンヴェルはボクの命の恩人だよ。あの時は溺れかけてたし、もう駄目かと……はっ」


 その時、ボクはとんでもない事実に行き着く。


 ……もしかして、あの時ボクの唇に触れたのは……!


「ナギサ、どうかした?」


 思わず自分の唇に手をやるも、ルィンヴェルは不思議そうな顔をしていた。


「う、ううん。なんでもないよ! ほ、本当にありがとう!」


 慌てて手を離し、もう一度心からお礼を言うも……内心は動揺しまくりだった。


 彼は気にしていないようだけど、ボクのファーストキス……。


 ……い、いやいや。非常事態だし、こういう時のキスはノーカウントだって、何かの本で読んだ気がする。


 それに、彼は溺れそうになっていたボクを助けてくれたんだ。変に意識するほうが失礼だよ。


「あの荒れ狂う海で、ナギサを見つけたのはマールなんだ。今度、何かお礼を……」


 そんな考えが頭の中を駆け巡っていたせいか、その後のルィンヴェルとの会話は全く記憶に残らなかった。


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