第9話『舟屋での日常』
ルィンヴェルとの出会いから数日後。舟屋の二階の改修作業が終わった。
見違えるように綺麗になった床の上には、ベッドと小さなテーブルが置かれていて、奥には簡易的なキッチンも完備されている。
そして舟屋の入口には、ラルゴが作ってくれた『ナギサのお届け屋』の看板が設置された。
その立派な看板を見上げると、ボクはようやくスタートラインに立ったような、そんな気がした。
今日は仕事も午前中で切り上げて、舟屋の完成祝いを兼ねた食事会を開く。
それぞれ持ち寄った食材でボクが料理を作り、皆に振る舞う……という手はずになっているのだけど、幼馴染たちはどんな食材を持ってきてくれたのかな。
「俺は汎用性を考えて、パスタを持ってきたぜ」
「確かに汎用性はあるけど、それだけじゃ主菜にならないよね……」
パスタの束をテーブルに置きながら、ラルゴが胸を張る。それを見たロイが呆れ顔をしていた。
「う、うっせーな。そう言うロイは何持ってきたんだよ」
「え? こ、香辛料セットだけど」
「わはは! そっちのほうが腹に溜まらねーよ!」
ロイが自信なさげに取り出したのは、唐辛子やバジル、ローズマリーといったスパイスの詰め合わせだった。あったらあったで助かるけど、ラルゴの言う通りお腹には溜まらないと思う。
「はぁ。やっぱり男子に期待しちゃ駄目だったかな」
ため息まじりにそう言うイソラの手には、大きな包みがある。
あれ、なんだろう。ハムとかだったら嬉しいんだけど。
「イソラ、何持ってきたのさ」
「……白ワイン」
ロイが問うと、イソラはバツが悪そうに包みを解く。中から出てきたのは、高級そうなボトルに入ったワインだった。
「お祝いだって言ったら、お父さんが持っていけって。私たちも成人してるし、飲めなくはないと思うけど……」
イソラの声は、次第に尻すぼみになっていく。
お祝いの席にお酒は必要だろうけど、今回の目的は食事会だ。いくら高級ワインでも、メイン食材にはならない。
「どうしよう……ペペロンチーノくらいなら作れるかな……」
「……ごめん。少し遅れちゃったね」
ボクが並べられた食材を前に腕組みをしていると、そこにルィンヴェルとマールさんがやってきた。
知り合ってからというもの、彼は二日に一度のペースでこの舟屋を訪れていた。
ボクたちと連絡を取る手段なんてないはずだけど、今日の食事会も海の仲間から聞いたとかで、参加を熱望してくれたのだ。
「お、ルィンヴェル、来たのか」
「いらっしゃい。ルィンヴェル」
そんなルィンヴェルとは、幼馴染たちもすっかり親しくなっていて、至って自然に呼び捨てにしていた。
王子様に対してどうなのかとも思ったけど、当の本人は気にしていない様子だ。
むしろ、仲間として受け入れられ、喜んでいる気さえする。
「ナギサ、これ、お土産だよ」
そんなことを考えていると、ルィンヴェルは持っていた袋を手渡してくれる。
中身を確認すると、大きなアサリがたくさん入っていた。
「おおー! アサリだ! 主菜ゲット!」
「え、どういうことだい?」
思わず声を上げると、ルィンヴェルは首をかしげた。
ちなみに地上にいる時のルィンヴェルは背中の
ラルゴからのお下がりで、若干サイズが合っていない気もする。
「な、なんでもないよ! せっかくだし、これをメインにした料理を作るね!」
「いいね。ナギサの料理はおいしいから、楽しみだよ」
次にまっすぐな笑顔を向けられ、ボクはどこか恥ずかしい気持ちになった。
それを誤魔化すようにエプロンを身につけ、キッチンへと向かう。
パスタに各種スパイス、それにアサリに白ワイン……この食材から考えつく料理は一つだけ。
アサリを使ったパスタ料理、ボンゴレビアンコだ。
このボンゴレは『アサリ』、ビアンコは『白』を意味していて、白ワインとアサリを使って作るパスタということになる。
この他にも、白ワインの代わりにトマトを使ったボンゴレロッソや、イカスミを使ったボンゴレネロ、バジルソースを使ったボンゴレヴェルデなど、色々な種類がある。
赤に黒、それに緑と、それぞれの料理を色で表すのが面白いところだ。
「あ、ところでこのアサリ、砂抜きしてないよね……?」
「一応、吐くようには言っておいたけど」
さっそくラルゴたちと談笑していたルィンヴェルに尋ねると、そんな言葉が返ってくる。
……王子様の命令だし、きちんと吐いてくれていることを願おう。
「というか、ルィンヴェルは貝とか食ってもいいのか? 海の仲間だろ?」
「ラルゴたちだって、肉や野菜を食べるだろう? それと同じだよ」
「言われてみたらそうだよね。マールちゃんは何を食べるの?」
まるでぬいぐるみのようにマールさんを抱きながら、イソラが尋ねる。
彼は海水をまとっているはずなんだけど、なんでイソラの服が濡れないのか疑問だった。
「ワタクシの主食はプランクトンでございます」
「ぷらんくとん?」
「海の中にいる。すごく小さな生き物だよ」
一斉に首をかしげた幼馴染たちに、ルィンヴェルがそう説明してくれる。
「夏の終わり頃になると、海面が青く輝く現象が起こるだろう。あれは海中のプランクトンが原因なんだ。海が赤くなる、赤潮もそうさ」
「そうだったんだ……勉強になるよ」
話を聞いたロイは何やらメモを取っていた。彼は小説家志望だし、創作のネタにするのかもしれない。
「赤潮になると、漁師さんは大変だって言うし、マールちゃんにしっかり食べてもらわないとね」
「おおおー、イソラ様。そこですそこです」
そう口にしながら、イソラはマールさんをマッサージしてあげていた。ぷにぷにと、柔らかそうな音がしている。
本人いわく、日頃の業務で体が凝り固まっている……らしいけど、普段どんな仕事してるんだろう。
「ルィンヴェルと違って、マールさんは人に見られないようにしないとね。その姿は誤魔化せないしさ」
イソラのマッサージが効いているのか、時折大きな声を出すマールさんを見ながらロイが言う。
彼の言う通り、ルィンヴェルは服を着てしまえばボクたちと変わらないけど、マールさんは話が別だ。
海水をまとって空を飛ぶクラゲなんて、さすがに隠しきれない。
……そんな会話を頭の片隅で聞きながらも、ボクの手は勝手に動いていく。
パスタを茹でながら、もう片方のコンロでソースを作る。
温めたフライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて熱し、香りが出てきたところに白ワインとアサリを加えて蒸し煮にする。
アサリの口が開いたら、茹で上がったパスタと唐辛子、ゆで汁と、塩コショウを少々加える。
あとはこれを器に盛り付け、パセリを散らせば完成だ。
「よーし、完成! おまたせ!」
背後にそう声をかけて、できあがった料理を皆でテーブルに並べていく。
「ナギサ、手伝えなくてごめんね。洗い物はするから」
「ううん、気にしないで!」
イソラが申し訳なさそうに言うも、この舟屋のキッチンは狭い。一人で作業したほうが効率は良いのだ。
「それじゃ、いただきます!」
皆で挨拶をして、できたてのパスタを口に運ぶ。
パスタのゆで具合も完璧だし、しっかりとアサリの旨味が溶け出している。
うん、今日も満足の出来だ。
「相変わらずうまいよな。俺が作ると、ニンニクの味しかしないぜ? アサリも硬いしよ」
「それたぶん、ニンニク入れ過ぎだよ……あと、長く煮込みすぎ」
首をひねるラルゴにそう伝えると、納得したようにうなずいた。
料理を口に運ぶ皆は、その誰もが満足げな笑みを浮かべている。
そんな彼らを見ていると、ボクも心が満たされる気がした。
◇
昼食後はイソラが用意してくれたお茶を飲んだり、ロイが持ってきたボードゲームで遊んだりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば夕方になっていた。
「今日も楽しかったよ。皆、ありがとう」
「それでは皆様がた、失礼いたします」
頃合いを見て、ルィンヴェルとマールさんが席を立ち、海へと帰っていく。
その姿を見送ったあと、ボクたちも外に出る。
街全体がオレンジ色に染まっていて、どことなく感傷的な気分になってくる。
「……お? どうした。揃いも揃って」
そんな空気を壊すように、ブリッツさんの声がした。
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