校舎う/VSトラウマの足売りババア

 薄暗くて不気味な校舎内を駆け回り、僕は何か手掛かりになるようなものを探していた。

 音楽室や美術室、保健室や職員室など……“学校の七不思議”で語られるスポットを巡るのはもちろん、怪しい噂の無さそうな教室にも足を運んだ。

 だが、何も見つからない。

 音楽家たちの肖像画は身動き一つせず、本物の二宮金次郎像にも動き出す様子は見られない。物音もせず、僕とヒマワリちゃん以外の足音だって聞こえてこない。


 それでも僕は、ガラスの中へと仲間たちが押し込められる光景を見た。

 ガラス……いわば鏡に類する反射物の中へと人間や怪異を閉じ込めることが出来るのなら、消えた子供たちも同じように捕らわれている可能性が極めて高い。

 今回の事件を解決に導くキーワードは、おそらく鏡だろう。

 それに僕たちを狙ったのだとすれば、反射物の向こう側から一部始終を観察していた存在がいるはずだ。目的が何であれ、僕のことだって取り込みたいと考えるはず。

 この分断の黒幕と思しき存在を、どうにか誘い出すしか勝機は無い。だからこそ学校中を駆け回っているわけなのだが––––––。


「しかし、ここまで相手側からのアクションは無しか……」

「…………あと行ってない所となると、三階のトイレかな?」



 ということで校舎棟三階、その端までやって来た。

 この校舎は階段の反対側にトイレが設置されており、中央廊下を挟んで五年生と六年生の教室が横並びになっている設計だ。

 トイレに関する“学校の七不思議”も数多く存在してはいるが、一階や二階はもちろん、教職員用のお手洗いにも何ら異変は無かった。

 それ以外のスポットにはあらかた顔を出したし、現実世界でその場に訪れたところで何も変化がないことも薄々勘付いている。

 だが代替案が無い以上、ヒマワリちゃんのアイデアに則ってみるべきだろう。


「トイレといえば、“トイレの花子さん”だよな……?」


 “学校の七不思議”を代表する、非常に有名な都市伝説だ。

 女子トイレの一番奥の個室に居るとされており、ノックをして「花子さん、いらっしゃいますか?」と尋ねると便器の中へと引きずり込まれてしまうらしい。

 便器の中……つまりは水道水という反射物に満たされた空間だ。反射率は低いとはいえ、液体だって鏡に成り得る。

 この事件が学校に巣食う噂の共謀によるものだとすれば、中核に居るのはかの童女なのかもしれない。



「…………あるじ、女子トイレに入ってる」

「仕方ないでしょうに。僕だって入りたくて入ってるわけじゃないから!」


 怪異とはいえ女の子と一緒に女子トイレへと侵入するのは何とも言えない気まずさがあるけれど、何時何処で“学校の怪談”が襲ってくるかがわからない以上は単独行動するのは控えた方が良い。

 それに薄暗く冷たい空気に満ちた空間は、背徳感なんて微塵も感じさせてくれる空気ではない。


「…………やっぱり、いないっぽい」


 出入り口の扉の側から数えて、個室の数は六つ。

 ヒマワリちゃんは水道横の個室から順番に調べ、手前の五つはカラであることが判明した。

 ちなみに僕が個室の中を確認せずお手洗いの前で待機しているのは、「あるじが個室を開けるのは、なんか変態っぽい」と彼女に言われたからだ。

 単なる調査として来ているはずなのに、ちょっと傷ついてしまった。


「…………それじゃあ、呼んでみる」


 そんなことを考えている内に、最奥の個室の前へと移動したようだ。

 体躯の小さなあの子はフワフワと浮遊し、扉の取手より数センチ高い位置を軽く小突く。

 本当に居るかどうかは不明だが、この小学校の異常を解き明かすべく“トイレの花子さん”へと事情聴取をする必要がある。


 不気味な静寂を切り裂くように、小さな、それでも確かな音が鳴る。

 呼吸を整えたヒマワリちゃんは意を決して口を開く。



「…………花子さん、いらっしゃいますか……?」



 2秒……5秒……10秒……。

 油断をしないように個室の扉を凝視して待ってみるが、何も起こらない。

 「居ないのではないか」という安堵と「この学校に居ないわけがない」という警戒が綯い交ぜになって、気味の悪い緊張感が全身に纏わり続ける。

 再び決意を固めた彼女は、小さな手で取手を摘まみ、返事を待たずに扉を開けようとし始めた。

 僕もその様子を真っすぐに見つめ、腰元の刀へと手を添えておき––––––––––––



「––––––あるじっ!?」

「––––––なにがぉおゴボボボッッッ!!?」



 そこで、視界が歪んだ。

 側方へと身体が思い切り引っ張られ、水面に頭から突っ込んだような情景が視界に映る。

 ヒマワリちゃんへ助けを求めようにも、上手く声が出せない。

 光と闇が乱反射して、タイル張りの床と壁と天所がぐちゃぐちゃに混ざって、まるで万華鏡のように目に映る事物の全てが合わさっていく。

 異常をきたしていたのは視界だけじゃない。耳からではなく、頭の中から声が響いている。


「お兄さんも、一緒に遊ぼうよ」


 年端も行かない女児のような声だ。七草ちゃんと似ているが、あの子よりも明るく、発言の全てに悪意や不安などが感じ取れない。

 視界はグルグルと歪み、そんな声が延々と木霊し続ける。


 やっとそれが落ち着いた時には、僕は女子トイレの中に居た。

 いや、先ほどと同じ女子トイレではないのだろう。

 何故ならば、水道の位置も、個室トイレが並んでいる場所も、先ほどと左右が逆になっているからだ。

 そして、その奥……女子トイレの最奥の個室の前には、謎の人物。



「……脚、いるかぁい? いらないかぁい?」


 それは忘れることもない、僕にとっての恐怖の象徴。

 上級指定怪異譚“足売りババア”が、元気そうに立っていた。




  ◆◆◆




 そして、現在に至る。


 指先が震え、背中には冷や汗が走り、膝が笑っている。

 父の最期の姿と、母の悲しそうな表情がフラッシュバックして、嫌でも目前の老婆から視線を逸らしたくなる。

 しかし、それはダメだ。

 一瞬でも視線を逸らせば、あのノコギリで切り刻まれる可能性がある。

 あの老婆は僕の持つ刀を狙っているため、僕の身体を傷つけない理由がないのだ。


「……おいおい若造、足が震えてるじゃないかい」


 目を細めてニタリと笑い、ノコギリが鈍い光を反射している。

 十中八九、僕の恐怖心を煽るための言葉だ。自分のせいでこうなっていると理解した上で言い放った、そんな確信犯的ないやらしい表情をしている。

 この老婆は、僕が自分を嫌っていることを、恐怖していることを知っている。


 ダメだ。思考がままならない。“猿夢”の時とは違った脳細胞の停止だ。

 あの時は強制的に細胞の活動を鈍くさせられていたが、今回はそれとは違って、恐怖の感情ばかりが脳内を駆け巡っていて他の事を考える暇が無い。



「––––––ぐッッッ!?」


 そのせいか、距離を詰めた老婆の攻撃に、対応がワンテンポ遅れてしまった。

 振り下ろされたノコギリを刀で受け止め、そのままトイレと廊下を隔す扉に押し付けられる。


「どうしたんだぁい? あの時と変わらず屁っ放り腰じゃぁないか」


 刃物と刃物が擦れあう、耳障りな音が静寂に響き渡る。

 お互いに得物は一振りのみ。だが全身を貪る恐怖によって、僕の身体は思うように動いてくれない。

 そういえば、僕は面と向かってこの老婆と戦ったことがない。

 今となっては刀を振り回す機会が多いが、それはこの老婆が駆除されて以降の話。

 当時は急に降って来た八恵さんが一方的にタコ殴りにしたせいで、この老婆の挙動をしっかりと確認できたわけではないのだ。


「あの顔デカ共もいないようだし、今度は逃がさないよぉぉ……」


 彼女の言葉を聴き、遅れて確信する。

 「顔デカ共」とは間違いなく“巨頭オ”たちのことだ。

 目の前の不気味な老婆は僕の素性も、あの日の出来事も知っている。

 かつて僕を襲った個体と同一の存在なのだろうか?

 しかしかの老婆は八恵さんにボコボコにされ、成仏する間もなく駆除されたはず。


「アンタ、本当にあの時の“足売りババア”なのか……!?」


 状況を変えるためか、あるいは恐怖の対象を振り払うためか、僕の右脚は老婆の腹部を思い切り蹴り飛ばした。

 刀の切っ先を彼女に向け、頭に沸いた疑問を投げかける。

 “足売りババア”の別個体がいた可能性も低くはないだろうけど、それにしたって当時の状況を把握し過ぎているように思える。

 あの場にいた者にしかわからないような、まるであの時の本人のような、そんな気がしてならない。


「くけけ……ババアの腹を思いっきり蹴りやがったねぇ」

「……どうやって甦った!? 答えろ!!」

「どうだろうねぇ……。アタシにゃ、アンタの方がよ~く知ってるように思うけどねぇ?」


 どういう意味だ?

 この老婆の復活に、僕が関わっているというのか?


「アタシが知ってるのは、この「にらめっこ」に勝てば外に出られる、ってことだけだよぉ……」

「……にらめっこ?」


 ふと、先ほど耳に触れた言葉を思い出す。

 僕以外の左右が反転した世界に引きずり込まれる前、少女の声で『お兄さんも、一緒に遊ぼうよ』と声をかけられた。

 にらめっことなれば、子供の遊びの代表例だ。

 それに、“二宮金次郎像”は頻りにかけっこすることを求めていた。僕に遊ぶことを求めていた。


 にらめっこで勝てば、外に出られる……ならば、負けてしまうとこの世界に閉じ込められるのだろう。

 この世界というのは、おそらく鏡の世界。

 僕は入り口付近にあった手洗い場の鏡に引きずり込まれ、鏡の内側へと入ってしまったのだ。

 きっと、異譚課の皆も同じだろう。ガラスの中へと入り、僕と同じように怪異と遊んでいるのかもしれない。


 “神隠し”に遭った子供たちも、反射物へと引きずり込まれ、にらめっこに敗北したことで元の世界へと帰れなくなったのではないだろうか。


「……なら、お前が子供たちを?」

「…………子供たちぃ? アタシが欲しいのはアンタの持ってる“左脚”だけさね」


 彼女が嘘を言っているようには見られない。

 怖くて直視し難いというのが本音のところではあるが、上級指定にあたる“足売りババア”が子供を相手にしているのなら、即時に外に出られていたはずだ。


 考えられる可能性としては、この老婆は、僕専用のにらめっこ相手だということ。

 にらめっこという題目のステゴロをするのであれば、確かに僕対策としてのベストアンサーと言えるだろう。

 何といっても彼女は僕のトラウマであり、勝機を掴むのは非常に困難だ。

 他のメンバーたちが相対しているであろう怪異の中にも、彼ら彼女らと相性の悪い個体がいるのかもしれない。



「お前さんの仲間もとっくに負けて、閉じ込められてるかもしれないねぇ……?」


 警戒しながら思考を巡らせていると、老婆はニヤつきながらそう言い放った。

 僕の不安を知ってか知らずか、あるいは単に僕の不安を増長させるためだけに吐いた言葉かもしれない。


「––––––いや、それはありえないよ」


 だがそれで心を揺らしてしまうほど、僕の信頼する介入係の皆は弱くない。

 “ぬらりひょん”よりも名の通った怪異が集まっているし、神様だっている。怪異と渡り合うこともできるバケモノのような人間だっているのだ。

 今の僕のように、恐怖に恐怖して、トラウマに縛られたりなんかしないだろう。


 だからこそ、僕も乗り越えなくてはならないのだ。

 あんな凄い人たちと肩を並んで歩くために、僕は努力を重ねて来たつもりだ。

 それがまだ不足しているというのなら、尚更この世界から抜け出して自分を磨く必要がある。

 それに、七草ちゃんとヒマワリちゃんが頼ってくれたんだ。個人的な心労で足踏みしている暇なんて無い。


「僕だってそうだ……ここで負けるわけにはいかない!」


 僕はもう、あの時の弱い僕ではない。

 何もできず、誰かに頼ることすらできなかった、そんな中途半端な自分はもうとっくに捨てた。

 血の滲むような特訓を経て、怪異を斬り伏せれるだけの技術を得たんだ。

 怪異に対する知識を、怪異をかいくぐるための術を、習得したはずなんだ。



「アンタの知らない僕を、見せてやる……!」


 自分を縛る鎖を、立ちふさがる壁を、ここで断ち切ろう。

 刀を今一度強く握りしめ、微かに黒ずんだ白いタイルから踏み出した。



「––––––秘技、《識促絶空しきそくぜくう》……!!」

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