校舎う/VS理科室の人体模型
「てーんてててーてー、てーててててー、てててーてて、てててててててん!」
人体模型選手、入場。ってやかましいわ!
別に理科室という狭い空間から移動したわけではないし、これからグラウンドへ移動して草野球をしようと考えているわけでもない。
“動く人体模型”が勝手に入場曲を歌い出しただけだ。
薄暗い空間には不相応なテンションを見るに、コイツは空気を読む配慮が欠けているんじゃないだろうか。
まるで子供だな……。
「なんか、あんま怖くなくなってきました」
「……気ィ抜いてんじゃねぇぞォ」
と言いつつ、俺自身も先刻より不安が弱まっているのは確かだ。
明確な害意と敵対感情があったのならば、今すぐにでも殴りかかって命を奪おうとしてきたはずだろう。
ところが、理科室に放り込まれた俺たちに告げられたのは、とあるゲームのルールのみ。
『オレたちがやるのは、心臓ドッジボールだ! やらない、だなんて言わせないぜ!』
なんでも、コイツは俺たちと遊びたいらしい。
それだけならまだ可愛らしいものだが、しかし提示されたゲームの題名は「心臓ドッジボール」。
聞いただけでわかる。絶対にろくな内容じゃない。
しかもコイツは自身の胸元から躊躇なく心臓の模型を取り出し、そのまま腕を真っすぐ伸ばして言い放ったのだ。
自分の臓物を遊び道具として使用しようと言うのだ。正気じゃない。
しかも、既に俺たちも使用するボールを所持しているらしい。
言わずもがな、自分自身の心臓だ。
“動く人体模型”から説明を受けた直後、気が付くと足元には霊的エネルギーが防護膜としてコーティングされた心臓が転がっていた。
胸中に穴が空いたような違和感は感じないが、自分の脈に呼応して蠢く真紅のそれは吐き気を催してしまうレベルのグロテスクさだ。
偽物だとしても、感覚が同期しているのは確実だろう。
ってか、俺の場合はどうやって持てばいいんだよ。釜島長男に持ってもらうしかないんじゃねぇか?
「よし、改めてルールを確認するぞ! 心臓をぶつけられたらアウトで、ソイツの内臓は全部、オレのモノになる!」
「お前にボールを当てたらどうなるんだよ?」
「一回でもオレに当てられたらお前たちの勝利だ! 元の世界に帰してやるよ!」
使用する道具の異常さに反して、ルール自体は非常にシンプルだ。
本物のドッジボールのように内野・外野の概念を狭い理科室に持ち込むのは難しかったようだが、キャッチすれば当たった判定にはならない点は類似している。
また、心臓以外の部分で相手に触れるのも禁止らしいのだが、つまりは俺たちに対して人体模型が暴力的妨害を行ってこない事への確証になる。
加えて、二対一の対決だ。こちらに有利過ぎて、逆に怪しさを感じてしまう。
「俺は回避に専念するからよォ、当てるのはお前に任せるぜェ」
「……了解っす」
恐らくは俺のものだろう一回り小さな心臓をそのまま釜島長男に託し、準備体操のような動きをする人体模型を睨む。
表情は不気味な真顔のままだが、俺たちが乗り気な様子を見たからか楽しそうな挙動をしている。
「そんじゃあ行くぜ……! よ~い、スタート!!」
珍妙な動きをしたまま、ゲームの開始が無邪気に宣言された。
“動く人体模型”は開幕と同時に大きく振りかぶり、自身の心臓を思いっきり投げつけて来る。
選択肢はキャッチか、あるいは回避。
俺には投げることはできなくとも、口でキャッチすることは可能だろう。
それに奴の投球スピードはそれほど脅威でもなく、どちらの選択においても簡単にアウトになる可能性は非常に低い。
「おらぁッッッ!」
心臓を投擲した隙を突き、すれ違いざまに釜島長男が自身の心臓を投げる。
剣技を磨いている彼の肩は一般のものよりも強く、その投球速度にも目を見張るものがあった。
「––––––あぶねっ!」
夜闇の中を真っすぐ突き進む釜島長男の心臓は、勢いよくしゃがんだ人体模型にはかすりもしないまま、理科室の窓ガラスへと直進していく。
ドッジボールにおいて恥を忍んだ回避を選択する場合、絶対にボールに当たらないというメリットの代償に、相手にボールを拾われて反撃される可能性が高まるリスクが生じる。
このゲームに対して自信満々だったアイツが、そんな諸刃の剣を知らないはずが無いだろう。
しかし人体模型はしゃがんだ姿勢のまま動こうとはせず、回避した後のボール回収をする素振りすら見せない。
まさか俺が変に勘ぐり過ぎているだけなのか、と考えがよぎった、その直後。
「––––––ぐはぁッッッ!?」
釜島長男が膝から崩れ、空いた手で胸元を押さえつけ始めた。
血でも吐くのかと思う程に嗚咽し、視線は外から見ても定まっておらず、床にうずくまって苦悶に震えている。
明らかに様子のおかしい釜島長男に駆け寄ろうとして、“動く人体模型”が上機嫌そうに笑っている姿が視界に入った。
もちろん表情は動いていないが、両肩が微かに上下している。
この状況は、コイツの想定通りということだ。先ほどの余裕の回避が関係していると見て、まず間違いないだろう。
「……何が可笑しいんだよォ、オイィ」
「ぷぷっ! だってさ、自分で自分を苦しめちゃってるんだもん!」
人体模型の視線の先には、窓ガラスにぶつかって落下した、釜島の心臓。
たしか、傍らの後輩が苦しみだしたのは、投球がガラスに触れた直後だった。
となれば、考えられる結論は一つ。
「心臓が勢いよくぶつかったらさぁ、死ぬほど痛いに決まってんじゃん!!」
嫌な予感が当たっちまったようだ。
霊的エネルギーで保護しているとはいえ、臓器は臓器。
そして“動く人体模型”はおそらく、それほど強い霊力を有する怪異ではない。
俺たちに支給されたボールは俺たちの身体と痛覚をしっかり同期しており、あの人体模型はそれをわかっているからこそ堂々と回避を優先したわけだ。
「もし死ぬほどキツかったらリタイア宣言してもいいんだぜ! それでもアウト判定になるけどな~!」
「くそッ、ガキがよォ……!!」
釜島長男とは反対方向へと走り出し、人体模型が投げ捨てた心臓へと駆け寄る。
俺が回避したために床に転がっていたそれを口の先で咥え、思いっきり歯を突き立てた。
しかし、アイツには痛がる様子はおろか、気にしている素振りも無い。
会話も自立行動もできるくせに、人体模型さながら痛覚は存在しないようだ。
あまりに都合が良すぎる。一見して俺たちの方が有利かと思えたこのゲームは、最初から俺たち挑戦者側を油断させるための罠だったというわけだ。
「おいおい、ズルいだなんて言うなよ~! ちゃんと確認しなかったお前らが悪いんだぜ~!」
心臓が痛みを感じれば、それは全身への危険信号と同義。
俺たちがこの空間から脱出するためには、自分から致命傷を受ける覚悟が必要だったわけだ。
唯一の安全牌は、奴が投げた心臓の模型。
赤の塗装が微かに剥げ、木製のためか木の年輪のような柄が視認できる。
これを相手にキャッチされることのないように投げられれば、簡単に勝ちになるのだが……。
「––––––おらぁ喰らえっ!」
「釜島ァ! 取れェッッッ!」
「くっそぉぉ……!!」
目元に涙を浮かべつつ、やっと顔を上げられるほどに回復した釜島長男は、辛うじて人体模型の投げたボールを受け止める。
自身の心臓を自分でキャッチし、その衝撃がまたしてもその全身を駆け巡った。
後輩の悲痛な叫びを聞きつつ、俺は焦りながらも思考を回転させていた。
真の能力を引き出すには時間がかかるし、俺はボールを投げる手段が無いため、この状況下で即時の反撃に出ることは出来ない。
幸いにも心臓は三つともこちらにあるが、その内二つは決して脳死で投げられる代物ではない。
それに二度も心臓へと直接的な負荷がかかったのだ、釜島長男をこれ以上苦しめるのも避けたい。
攻撃の手段が揃っている圧倒的有利な状況のはずなのに、こちらのリスクとダメージがあまりにも大きすぎる。
「尾上さん、せめて、アイツの動きを止めないとぉ…………!」
胸元を抑えつつ、釜島長男が呻く。
そうだ。それしかない。俺たちが勝つには、手元にある人体模型の心臓を一発で確実にぶつけるしかない。
だがどうすればいい?
竹永に劣るとはいえアイツはかなり身体の自由が利く部類の怪異だ。
アイツの動きを止める方法なんて––––––––––––。
「––––––釜島ァ、コイツの心臓なァ、木でできてんだよォ」
「……へぇ、そうなんすか。木製だったんすねぇ……」
この男は、普段はちゃらんぽらんな性格をしているが、理解力は凄まじく高い。
言動が感覚的でアバウトな西小路の下で働いているからかもしれないが、その察しの良さは“牛ノ首”の一件でも光っていた。
俺の発言の意図を理解してくれたのだろう、ニヒルに笑い、俺の心臓を優しく保持しつつ右腕の裾を引いて手首を晒した。
怪訝な様子の“動く人体模型”へと背を向け、背面にあった棚へ向き合う。
彼の右手首からはひゅうひゅうと音を立てて風が集まり、カマキリのような刃を形成し始める。
そして、呼吸を整えてから、大きく開いた口で言霊を唱えた。
「––––––《
釜島長男の腕を振り、真空の刃が棚一面を横断する。
木製の板が崩れ、支えを失った物品がガラガラと音を立てて落ちていく。
上出来だ。これが終わったらちゃんと飯を奢ってやろう。
「お、おい、何をやって––––––」
「オメェよォ、ずっと木材くせぇんだよォ」
イヌ科の動物は、視覚よりも嗅覚を軸にして空間を認識している。
俺はオオカミの姿とはいえ、それほど本物のイヌに沿ったライフスタイルを送ってはいないが、それでも鼻の良さに関しては介入班の誰にも劣らない自負がある。
そんな俺の鼻は、心臓を視認するよりも先にあの人体模型の材質が木材であることを把握していた。
ならば切断も可能だろうし、火をくべれば燃えもするだろう。
「ここが理科室ならよォ、アルコールランプもマッチも、いっぱいあるんだろうなァ?」
切り裂かれた棚からは大量の実験用具が雪崩を起こしている。
顕微鏡を収納したケースも、プレパラートを収めた透明な容器も、マッチの小箱も飛び出し、アルコールランプも粉々に砕けて内用液を撒き散らす。
個数もそれなりになったからか床も机もビチャビチャになり、驚いている様子の“動く人体模型”ですら顔面から液体を被っている。
「––––––ちょ、何やってんだよお前らぁ!?」
「ズルいだなんて言うなよ? ちゃんと確認しなかったお前が悪いんだぜ?」
釜島長男が見せつけるように笑った。
確かに、棚を壊してはいけないとも、周辺にある実験用具を使ってはいけないとも明言されていない。
ルールの穴を突いて好き勝手するというなら、ならばこちらにもやり返す権利くらいはあるだろう。
「さて尾上さん、こちらにマッチがございます」
「おう、そうだなァ。なら俺は、俺たちが燃えないように境を敷いちまおうかねェ……」
たしか、リタイア宣言したらアウト判定になるんだったな?
当てられないのなら、ターゲットの方が先に音を上げればいい訳だ。
もしこの火責めでアイツが燃えたりしなくとも、あの狼狽の様子から察するに致命的なダメージは見込めるだろう。
「––––––ま、待て! 待ってよ! そんなのズルだよ!!」
自分勝手なガキの声など、俺たちには届かない。
自らに押し込んだ大きすぎる力に鍵を差し込む瞬間、俺の視界には小さな炎が落ちていく光景が映った。
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