鮮血む/言葉の刃先、琴葉の矛先

 くそ、出遅れちまった。



 実はと言うと、ステージでの辛そうな表情を見てからずっと心配だったんだ。

 だから陰ながら様子を伺っていた。


 そこで、事の真相を盗み聞きしてしまった。


 音切琴葉の傷は、どうやら二枝仁美による呪いに原因があるらしい。

 “呪いの藁人形”……妖怪の知識がかなり浅い僕でも、流石に聞いたことがある。

 極めて古典的だが、まさか本当に効力を持つとは思わなかった。


 それから僕は、教室に割り込んだ。

 しかしタイミングが悪かったのだろう、音切さんはほとんど同じタイミングで外へ出て、階段のある方へと駆け出して行った。


 突然現れた僕に、二枝さんも秦田さんも驚いていた。

 でも、その驚き方は方向性が違ったと思う。

 二枝さんが僕に対して嫌悪と焦燥の感情を向けているとするならば、秦田さんのそれは期待と安心だった。


「な、なんでアンタが––––––」

「鮎川くん、聴いてた? ねぇ、お願い! 琴葉を助けてあげて!!」


 二人はほぼ同時に話したが、秦田さんの声の勢いが勝った。

 僕の二の腕を軽く掴み、懇願するように涙を流している。



「……うん。やれるだけのことはするよ」


 僕はそう答えた。

 自信をもって「任せろ」と言い切れない自分に嫌気が差すが、それでも助けを求められたのなら応えたい。

 そんな言葉でも秦田さんの目に希望が灯った。



「……は、はぁ!? 何を言ってんのよ? アンタ、あれでしょ、あのクソビッチに惚れてんでしょ? だからカッコつけようとし––––––––––––」


 驚きつつも非難を浴びせようとする二枝さんだったが、突然に言葉が途切れる。

 その理由はきっと、手に持っていたはずの藁人形がふわふわと浮きあがり、手元を離れ、投げたとは思えないほどゆっくりな速度で僕の手元へと収まったからだろう。

 彼女は口をあんぐり開けたまま放心し、秦田さんは何が何やらわからない様子でキョロキョロしている。


「とりあえず、預かっとくね」


 この人形は、後で尾上さんに渡しておこう。

 彼に渡しておけば、お祓いなり何なりしてくれるはずだ。





 可能な限りの速度で、階段を降りる。

 今の僕の状態はまっとうな人間のそれとは言えず、僅かながらも怪異としてのスペックを有している。

 走るうえでの最高速度は自分でも驚くほどだし、一階分の階段を一気に飛び降りても––––––あ、痛い!!


「…………あるじ、ダサい」


 僕の真横でふわふわと浮遊するヒマワリちゃんに蔑まれてしまった。

 ごめんて。ワンチャン行けるかと思ったんだよ。


 ちなみにだが、二枝さんから藁人形をふんだくってくれたのもこの子だ。

 あの反応からするに、二人ともヒマワリちゃんは見えていなかっただろうけど。

 後でいっぱい褒めてあげないとな。




 先んじて、ツムジさんやハナビたちが音切さんの後を追ってくれていたらしい。

 町中に点在したみんなの案内に従い、まるで道標を順々に巡っていくかのように彼女の後を追う。


 しかしまずいな。急に雨が降ってきたせいで上手く追跡できていない。

 雨が降っているためか、ツムジさん自身も彼の呼んだカラスたちも上手く動けていないようだ。

 一方の僕も、勢いが余ってしまえば濡れた地面で足を滑らせ、かなりの速度ですっ転んでしまいかねない。

 ただでさえ、教室で二人と話したせいでタイムロスしているんだ。

 遅れてしまえば、最悪の事態をみすみす見逃すことになってしまうかもしれない。


 誰も信じられなくなって塞ぎ込んでしまった時の感情を、僕は知っている。

 そういう時、途方もない無力感が押し寄せて、何もかもを諦めてしまいそうになるのを、僕は知っている。

 死にたい……だなんて馬鹿げたことを考えてしまう気持ちを、僕は知っている。




「……ここか!?」



 点在する妖怪たちを辿って角を曲がり、交差点に出る。



 そこに、赤いコートの女が立っていた。



 口元には痛々しい傷跡が走り、右手にノコギリを、左手に出刃包丁を握っている。

 その髪の色は赤茶色で、その相貌には彼女の面影が残っていた。


 あれではまるで、“口裂け女”だ。

 どうやら、自殺とは異なるベクトルで、不味いことになっているようだ。




  ◆◆◆




 そして、現在に戻る。


「止まるでござるっっっ!!」

「にゃあああああ!!」


 ツムジさんの暴風を、ハナビの火球を、ものともせずに彼女は突き進んでくる。

 右手のノコギリが掲げられ、その刃はどうしてか、僕の方向に向いていた。


「だあああああああッッッ!!」

「––––––ふん! 《反転:妨身雨さみだれ》!!」


 いつの間にやら飛び出したアマグモさんが、広げた傘で僕の前に立ちふさがる。

 ノコギリを傘で受け止め、そこにかけられた圧力が等倍で跳ね返される。

 右腕全体が後方へと持っていかれ、僅かだが彼女がふらついた。


「…………《御籤:苛禍災厄さいかさいやく》」

「ぬわああああッッッッッッ!!?」


 その隙を見逃すヒマワリちゃんではない。

 “座敷童子”としてのスキルで、彼女の運勢を引き下げたのだ。

 ふらつき、一段下げた右脚が雨で滑る。

 先ほど以上に大きく体躯が傾いて、明らかに慌てている様子だ。



「「「ぃやっっっほおおおおおおおおおおおぉぉぉっっっ!!!」」」


 降水の流れが傾き、雫が弾け飛ぶ。

 “山彦やまびこ”の集団が放った、超高圧音声の直射攻撃だ。

 真紅のコートが細かく振動し、“口裂け女”自身も眉をひそめている。


 そのタイミングを伺い、半透明の丸っこいものが彼女の足元にまとわりついた。

 あれは“べとべとさん”たちだ。これでそう簡単には移動できない。


 ……というか、打ち合わせなしでここまで出来るんですか君たち!!

 もしかして緊急時のフォーメーションとかとっくに組んでいたりするのだろうか。

 僕聞いてないよ!




「ぁぁぁあああああ邪魔くさいなあああああぁぁぁぁッッッッッッ!!!」


 耳をつんざくほどの咆哮。

 そして“べとべとさん”に絡み付かれた足をそのままに、上半身を大きく振り回す。

 両手の刃物が広範囲に届き、音を掻き消し、旋風と火炎を吹き飛ばした。


 襲い来る刃を避けるべく、妖怪たちが背面へと飛び退く。

 僕とヒマワリちゃんは、アマグモさんの傘に隠れてどうにか難を逃れる。



「くっ……なかなか厄介ですぞ、この御夫人!」

「…………あるじ、どうしよう」


 現状、お互いに一進一退だ。

 僕を慕ってくれている妖怪はかなりの数を誇ってはいるが、その大半は現在、結界の役割を果たしてもらっている。

 “足売りババア”から守ってもらっていた時よりも強固で、怪異と人間の認識を断絶させるための肉壁を担っているのだ。

 だから、その壁の中で大暴れしても現実の空間には影響はない。

 それに平時と性質の違う“百鬼夜行”を張っていれば、尾上さんや竹永さんが気付いてくれるはずだ。


 しかし、そのせいもあってか“口裂け女”にトドメを刺しきれない。

 それは向こうも同じだろう。アマグモさんの《反転》スキルとヒマワリちゃんの《御籤》スキルがある限り、致命的な攻撃はこちらに届かない。



「……悪いけど、このまま耐えて欲しい! どうにか音切さんを助けたい!」


 ワガママなのはわかっている。

 だけど、僕と同じように苦しんでいる彼女をこのままには出来ない。

 それに秦田さんから頼まれてしまった。その約束も破れない。


「御意!」

「にゃん!」

「…………うん」


 あれま、秒で了承してくれるじゃないの。

 こっちはワガママ言っちゃってる自覚はあるんだけどなぁ。


「もちろん、貴方が恒吾様だカラですぞ!」


 ありがたい。僕の友達は揃いも揃って覚悟が決まってやがる。

 なら、僕も僕自身に出来ることをしなくちゃいけないな。



「“山彦”ちゃんたち、僕の声を!」


 集まって来た“山彦”たちに僕の声を反響させてもらう。

 いわば、妖怪で作る超高性能の指向性スピーカーだ。

 これなら彼女が大暴れしても、僕の言葉を届けることが出来るはずだ。


 その間、他のメンバーには防御に徹してもらう。

 相手の抵抗がどれほどのものでも、彼女を傷つけるわけにはいかない。



「「音切さん!! 話を聴いてくれ!!」」

「話すことなんかぁ……何にもないよおおおッッッ!!」


 包丁を振り回しながら拒絶された。

 だが、残念ながら会話はしてくれている。

 返答されたということは、“山彦”スピーカー作戦は通用しているわけだ。



「「秦田さんが心配してたんだよ!! だから、元の姿に戻ってくれ!!」」

「戻ってどうなるのよぉ!? 戻ったってアタシは“口裂け女”のままなんだからあああああ!!!」


 雨の代わりに刃物が降って来る。

 ヒマワリちゃんの《御籤》で大半の攻撃は当たらないし、アマグモさんのお陰で衝撃すら伝わってこない。

 しかし、それは僕の状況だけに限った話だ。


 前提として、アマグモさんの《反転》は庇護対象を守るためのスキルであり、アマグモさん自身を守るためのものではない。

 つまり、反射したはずの衝撃はアマグモさんにのみ伝わってしまう。

 何のダメージも入らない鉄壁防御というわけにもいかないのだ。


 そして、傘の外に居る妖怪たちには、その壁が存在していない。

 ツムジさんの暴風やハナビの炎で防いではいるのだが、彼らにだって体力や霊力の限界値が存在する。

 消耗戦となれば、高い戦闘力の“口裂け女”と圧倒的物量の“百鬼夜行”ではどこまで縺れ込めるか分からない。

 確証が得られない以上、その状況になるまで見過ごすのは危険だ。



「「君の考える「カワイイ」とか「キレイ」ってさあ!! 外見に縛られちゃうようなもんなのかよ!!」」

「今更何なのよ! アンタたちが外面しか見なかったからでしょおおお!!」


 一際強い衝撃。少し遅れてアマグモさんの呻く声も聞こえて来た。

 明らかに過剰に力のこもった一撃だった。

 勘付いたものがあって、あらぬ方向へと目線を送る。

 視線の先にいた猿のような妖怪は、神妙そうな表情で頷いた。


 彼の名前は“さとり”。

 他者の言動から、その本心を読み取ることが可能な妖怪だ。

 彼なら僕が尋ねたかったことも、彼女の撒き散らす感情も把握できる。


 頷いたってことは、今のが彼女の本心だ。

 なら、まだ説得できる。




「「……やっぱり、思い込みの強い女みたいだなぁ!!」」


 敢えて煽るような言い方で、極めて挑発的に言葉をかける。

 あの時はあんなに嫌そうな顔をしていたんだ。きっと引っかかってくれるはず。


「…………またぁ、言って欲しくないこと言ったわねぇぇ!?」


 彼女は明らかに怒気を強め、ノコギリと包丁が暴れまわった。


 言って欲しくなくても、言わなきゃいけないことがある。

 思い込みが強いからこそ、自分らしさが「それしかない」って決めつけている。


 だって僕は、まだ質問に答えていない。


 だから、僕から言わなくちゃいけない。

 僕だからこそ、音切琴葉に言えることがある。



「「僕はまだ……君にカワイイともキレイとも、言ってねぇだろうが!!」」

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