第33話 2月②

「あ、あの、コンプライアンス問題じゃなくて市場不具合を出してしまったことによる懲戒処分だったかもしれません」

私はあわてて、もう一つの懲戒理由を述べる。だが、眼鏡女子の言葉はそっけなかった。

「ですから、品質保証部ではこの3年間で懲戒処分を受けたものはおりません」

私はその言葉を聞いて訳がわからなくなってしまった。じゃあ、おじさんの退職金はなぜ減らされたの?


私の表情が余程、茫然ぼうぜんとしているように見えたのだろう。眼鏡女子がさとすように説明してくれた。

「そもそも、市場不具合を理由に懲戒処分なんておかしいと思いませんか?

 私たちの会社はチャレンジすることを推奨すいしょうしています。

 そんな会社でチャレンジに失敗したからといって懲戒処分をしていたら、誰もチャレンジなどしなくなる。

 そう思いませんか?」

確かに、確かにそうかもしれない。

でも、だったらおじさんの退職金の減額はなんなのだ?

私は自分の思っていたことと現実が違っていることに混乱し続けていた。

でも、混乱しているだけじゃダメだ。

おじさんの人生がかかっている......かどうかは定かではないが、退職金が3割も少なかったのだ。

おじさんは今さら動くのが恥ずかしいなんて言っていたけれど、であれば私が動くしかない。


「あの、もし私が調べてほしいことがあると言ったら聞いてもらえますか?」

私は真剣なまなざしで赤尾さんに訴えかけた。

赤尾さんはそんな私を見て言った。

「どうやら、あなたはあなたで話したいことがあるようですね。

 わかりました、聞きます。

 ただし、まずは私たちのヒアリングを先に片付けさせてください」


私がうなずくと赤尾さんは改めて私に問うた。

「家永さんの休職理由について思い当たることがあればお話し願えませんか?

 また、彼が特許の取り下げを申請していることについて、思い当たることがあればどんな些細なことでも結構です。

 教えていただけると助かります」

私は腹を決め、自分の知っていることを話し始めた。

「休職の理由については私もよくわかりません。

 サイレント・イヤー、クリスマス商戦向けのヘッドフォンで市場不具合が出て、品質保証部の多くのメンバーもその調査に朝から晩まで、人によっては土日も調査に協力していました。

 そんな状態だったので体調を崩す人も多く、その時は家永君もそのひとりだと思っていました」


赤尾さんと福田さんが向かいの机でうなずく。

「では、特許取り下げについて何か知っていることはありますか?」

赤尾さんが胸の前で両手を組みながら言った。

私は特許出願時の騒動に触れざるを得ないと思い、意を決して口を開く。

「特許は......最初は家永君個人の発明だったんです。

 なんですけれども出願直前になって岡田課長が自分の名前も共同発明者として載せるよう家永君に言って、断り切れなかったということがありました。

 本当は彼個人の発明だから嫌だと思っていたけれど、上司部下の関係だから断れず、でもずっとそれが彼の中で引っかかっていたのだと思います」


それを聞いてまた赤尾さんと福田さんがコソコソ話を始める。パソコンをキーボードをカタカタ叩き何か調べ物をして、またコソコソ話をして、ようやく赤尾さんが口を開いた。

「ちなみになのですが、咲山さんは家永さんが出願した特許を社内データベースで確認したことはありますか?」

「いえ、ありません」

「そうですか......ちょっと申し上げにくいのですが、家永さんの特許は最初から単独出願、つまり家永さん個人による発明とされているようです。

 どうも先ほどからあなたのお話は事実と異なるものが多いように思えます。

 いったい、なぜあなたはそのように考えるように至ったのでしょうか?」


それを聞いて、私はまた混乱の沼に突き落とされた。

おじさんに対する懲戒処分、セクハラによる処分と市場不具合流出による処分は存在しなかった。

そして今、家永君の特許の発明者として岡田課長の名もまた存在しなかった。

私はどこで真実を見落としていたのだろう?

いや......誰も嘘は言っていないのかもしれない。

玉田さんが私に、おじさんの娘が亡くなったと思いこませたように、誰かが私に思いこませただけ?

でも、いったい何のために?


「......さん、咲山さん、大丈夫ですか?」

混乱の沼でもがいている私を赤尾さんの声が現実に引き戻した。

「す、すみません。

 私の思い込みだったかもしれません。

 ただ、品質保証部の先輩社員に対する懲戒処分も、特許の共同発明者の件も、私と同じように思っている品質保証課メンバーはいると思います」

私は不確かな情報を述べてしまったことに謝罪しつつ、でも何かがおかしいという思いが他のメンバーの考えに言及させた。

それを聞いた赤尾さんは私を落ち着かせるように言った。

「わかりました。

 もちろん、先ほどの特許取り下げの件については他のメンバーの何人かには聞いてみますね」

私はうなずきつつ、思い込みの激しい女子と思われているんだろうなと、ひとりで勝手に落ち込んだ。


「ところで、咲山さんは家永さんのお見舞いには行かれないんですか?」

赤尾さんは先ほどよりもにこやかに、私に聞く。

「いえ、同じ課、同じ係の後輩ではありますけれどプライベートの付き合いはないので」

私は即座に否定する。

「そうですか。

 いえ、休職中というのはなかなか辛いものです。

 会社に迷惑をかけているんじゃないかとか、このまま復帰できないんじゃないかとかひとりで考えてしまって。

 そんな時に先輩がお見舞いに来れば、そういった気持ちも晴れると思うのですよね」

赤尾さんは笑顔を崩さずに言う。私は意図がよくわかないまま、はぁ、とだけ相槌を打つと赤尾さんは続けた。

「いえ、そんな風にして緊張がほぐれると特許取り下げの理由をきっと先輩社員のあなたになら話してくれるんじゃないかと思うんです」

なるほど、これが本命か。つまりは私にスパイをさせようということらしい。普段であれば絶対に断るところだが、私にもひとつ考えがあった。


「わかりました。

 次の週末にでも、お見舞いに行ってみようと思います。

 ただ、私からもひとつお願いがあります」

「はい、どんな願いでしょうか?」

「昨年の9月に退職した先輩社員、面道さんの退職金が適正だったかを調べていただけないでしょうか?」

「退職金が適正、とは?」

ここで、しばらく黙っていた見た目二年目社員の福田さんが口をはさむ。

「退職金が規定の額よりも30%ほど少なかったと最近偶然会った面道さんから聞きました。

 ご本人は懲戒処分によるものと思っていたらしいのですが、今の人事のお二人のお話からするとどこかで何かがおかしいと感じています」


すると福田さんはそんなことですか、とひとこと言ってパソコンのキーボードを叩き始める。だが、安請け合いをした表情がある時点から眉間に皺を寄せ、けわしい顔に変化する。

福田さんがパソコンの画面を指さし、赤尾さんとコソコソ話を始め、今後は赤尾さんがパソコンのキーボードをせわしなく叩く。そしてまたコソコソ話。

2~3分くらい経っただろうか? 彼らは今日のヒアリングを赤尾さんの言葉で締めくくった。

「本日はご協力ありがとうございました。

 週明け、改めてヒアリングの場を設けさせていただきます。

 その際、既にご退職された面道さんの退職金の調査結果についてもお知らせします」

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