6 子どもじゃないなら自分は何
ナオにはこの世界で出世しようだとか、一儲けしようだとかいう思いはない。
自分の稼ぎで生きていければそれで十分で、誰かに媚びるくらいなら底辺で生きていっても不満はなかった。だから性さえ売らなければ仕事にこだわりはなく、どんな仕事でも淡々とこなした。
そういうナオは、愛想がないから女としては面白味がないが、欲深さもなくて、事務所の兄貴分たちに可愛がられてきた。
「ナオ、ちびっ子だったお前がボスに気に入られるなんてなぁ」
「憎たらしいけど憎めないじゃねぇかよ」
近頃事務所の兄貴分たちは、ボス直属の仕事を任されたナオをそう言ってつつく。
ナオは額をぐりぐりされながら、可愛げのない顔で反論する。
「気に入られてはいないよ。たまたま条件の合う子どもが自分だったんだ」
「だがボスは褒めてたぜ。「そつがなくて、安定した仕事ぶりだ」って」
ナオはボスがそんな風に言っていると聞いて、それは素直に嬉しく思った。ナオだってボスの下で働いている自覚はある。ボスに評価されないよりは、もちろん評価された方がよかった。
集まった一人が、ふいに苦笑して言った。
「よけりゃ龍守組の幹部になれるかもしれねぇ。俺たちは快く送り出してやるよ。……仁科の兄貴は喜ばないだろうけどな」
「仁科の兄貴」と彼らが慕う誠也は龍守組の一員でありながら、意図的にボスと組の中枢に近寄らないようにしてきて、一事務所の責任者のままであり続けた。
まあ雨の日に薄汚れた子どもを拾って、高校まで行かせてしまうくらいだ。出世欲とは程遠いだろうとナオも思うが、誠也自身の能力が低いとは思っていない。
兄貴分たちが仕事に戻っていった後、ナオは新聞に小さな記事をみつける。
「あ、誠也が金貸した会社、立ち直ったんだ」
一時は破産寸前だった会社が軌道に乗っているのを見て、ナオは自分のことのように誇らしくなる。
誠也は比較的クリーンな金で事務所の経営を回していて、取り立ても良心的だ。綺麗事だけで済まない世界でそうやって地元と配下を守ってきたのだから、ボスに信頼されるのもわかる気がする。
だからナオの将来の大人像はいつの間にか誠也になっていて、誠也のようになりたいとずっと願ってきた。
「自分も早く誠也みたいに働きたい」
「だめだ。お前は大学に行って勉強しろ」
だから家に帰った後、誠也といつものように押し問答してしまうのだ。
誠也はテーブルの向こうから、もっともらしい理屈を並べてくる。
「せっかく成績がいいんだ。最終学歴は将来の収入に影響してくる。金なら出してやるから、自分の行きたい大学を選べ」
「大学でやりたいことなんて、特にないからいい。誠也には今まで十分すぎるくらい、金を出してもらった。早く返したいんだ」
「お前は俺にとって家族みたいなもんだ」
憮然とするナオに、誠也は今日も譲らない。
「お前が将来、無事生活していける方が大事だ。俺は別に金に困ってない。俺は金貸しだが……お前にかけた金は、返してもらうつもりでやったんじゃない」
そんな変な理屈があるか、とナオは誠也をにらみながら思う。
自分と誠也は他人で、金を借りたなら返すべきだ。ナオはそれを主張しているだけなのに、誠也はまるで子どもに諭すように反対する。
そろそろ就活を始めようと思っていた矢先、ナオはつい怒り口調で誠也を責めてしまった。
「……自分が知ってる家族っていうのは、金より信用ならない血液のつながりだけの連中だ。誠也の言うこと、おかしいよ」
誠也の瞳がふいに揺らいだ。別にナオは自分を捨てた母親のことなどどうでもいいのに、ナオが家族のことに触れると誠也はいつも物哀しい顔をする。
誠也は眉を寄せて、苦しい口調で言う。
「ナオ、お前の境遇は本来保護されるものだったんだ。やくざの俺が手を出すもんじゃなかった」
「そんなことない!」
ナオは立ち上がって目をとがらせる。
「自分はこの道で後悔してない! 自分で踏みしめて歩いて来た道だ。誠也にだって文句は言わせるもんか!」
どうして誠也に怒っているのだろう。ナオはもどかしくてたまらなかった。
「ナオ!」
ナオは呼び止める誠也を無視して、アパートを飛び出していた。
いつからか気づいていた。早く働きたいという願いが、自立のためだけではなくなったこと。……誰より誠也に認められたいからという思いに、置き換わっていたこと。
「どうして……自分は子どもなんだ」
そういうところが自分はまだ子どもなのだと、自分で気づくだけの時間はあった。
勢いのまま夜の街に飛び出そうとして、その前に外気で頭が冷えた。誠也が心配するからやめろと、自分で自分を押しとどめた。
自分はこの世界に入って失いたくないものをみつけた分、実家を飛び出したときのがむしゃらな力を失くしたのだろうか。そう思うと、少し悔しい思いもした。
……でもそうやってみんな大人になっていくのかな。そうとも思ったから、足を止めて振り返った。
そこに誠也が立っていて、ナオの肩をつかんで引き留めた。
「お前はそろそろ大人だよ。すぐにでも飛び出しそうだから……俺が寂しいだけだ」
ナオはくしゃりと顔を歪めて、肩を掴まれたまま誠也から目を逸らした。
自分は心配されている。その相手が家族でなくても、それはとても大切で、稀有なことのはずだ。そう思って、ナオは頑なに縛っていた自分の自尊心を解いた。
消えかけの街灯の下で、ナオはぼそりと言う。
「……大学、受験する」
「本当か?」
誠也の顔が目に見えて輝いて、ナオは慌てて付け加える。
「でも! 金はちゃんと稼いで返すから!」
「でも行くんだな?」
ナオがもう一度うなずくと、誠也はふいにナオの脇を掴んで抱き上げた。
「な、何する!」
「ははっ! よかった、よかった! それでいいんだ。ガキが金の心配なんかすんなって!」
誠也は心から嬉しそうに声を立てて笑っていて、ナオの文句なんか聞いていない。
……何だよもう。ナオは子どものように抱き上げられながら憮然とする。
でも誠也がそういう奴だと、三年間で嫌というほどわかっている。拾った子どもを家族などと言ってしまう、お人よしのやくざだ。
子ども扱いはやめろといつものように言おうとして、じゃあ何になりたいのだとふいに自問する。
それは……と思ったとき、ナオの携帯電話に着信があった。
着信音を変えているからナオはその相手が誰かわかった。誠也もまた、ナオを抱き上げたまま顔を強張らせた。
夜も深い頃の不穏な電話。……着信は、ボスからだった。
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