帰還とデート 4

「いいこと! 何が何でもフェヴァン様の心をつかんであの新聞記事の責任を取って結婚してもらうのよ! わかった⁉」


 朝から、お姉様のテンションが異様に高い。


 昨日フェヴァン様に送られて帰宅したわたしに、お姉様はわたしが説明する前になにがあったのかとあれやこれやと質問を重ねた。

 しどろもどろになりながら、細かい点をすっ飛ばしてフェヴァン様とお付き合いすることになったと言えば、お姉様は目の色を変えて「責任」を繰り返した。


 お姉様はルヴェシウス侯爵家から充分すぎるお詫びが届いたにもかかわらずまだ納得していなかったようで、これ幸いと嫁にもらってもらえと主張しはじめたのである。


「わたしが調べたところ、あの男に例の男色家というやつ以外におかしな噂はないわ! 頭もいいし出世頭だし次期侯爵よ! そして人と付き合いたがらないあんたを口説き落とした手腕はすごいものだわ! ということで、あの男を逃がせばあんたは一生結婚できない可能性が高いから、責任を取れと詰め寄って結婚に同意させるのよ、わかった⁉」


 お姉様の剣幕に、わたしは何も言えなかった。わたしは「責任」と言う言葉と結婚するのは嫌だけれど、世間一般的にはそう珍しいことでもない。お姉様の主張は、まあ、一理あった。


 お姉様はわたしが彼の求婚を一度断ったことを知っている。その上でわたしが彼と付き合うと決めたのだから、わたしにも多少なりともその意思があるはずだと言って譲らない。


 ……お試しのお付き合いなんだけど。


 という主張もお姉様の前では意味をなさないだろう。

 フェヴァン様の求婚を断った時のような言い訳も、お姉様相手には通用しない。

 ここはおとなしく、聞いたふりをしておくのが賢明だ。


 張り切ったお姉様とアリーに朝から飾り立てられたわたしは、鏡の前でため息をついた。

 眼鏡を奪い取ろうとするお姉様との攻防が一番大変だったが、何とか眼鏡だけは死守をした。

 けれども、わたしが死守できたのは眼鏡だけだった。


 いつも適当にまとめているだけのわたしの髪は、ものすごく気合を入れて整えられていて、お姉様の淡いクリーム色の可愛らしいドレスに着替えさせられた。

 お姉様とわたしは背丈が同じくらいなので、ドレスの共有が可能だ。とはいえ、お姉様は胸を寄せて上げて盛るので、胸元は少し大きめに作られている。おかげで、わたしも胸を寄せて上げて盛る羽目になった。無理矢理作られた谷間が恥ずかしい。


 ふわふわと巻かれたわたしのオレンジ色の強い金髪にも、大輪の白い百合を模した髪飾りが付けられている。これもお姉様のものだ。わたしはこんな洒落たものは持っていない。

 普段は絶対にしないお化粧も、今日は拒否できなかった。


「あんたはもともと肌が綺麗なんだし、目が大きいんだから化粧映えするのよ。その眼鏡がなかったらもっといいのに」


 鏡に映る自分を「これはいったい誰だ」と思いながら見つめているわたしの横でお姉様が言う。

 眼鏡の奥の目はくっきりとアイラインが引かれて、目じりには暖色系のアイシャドウが入れられた。おしろいをはたかれ、コーラルピンクのチークをふんわりとのせられて、唇はリップでつやつやしている。


「お姉様、これだと別人だわ」

「別人じゃないわよ、あんたが今までひどかったの! 見なさい! あんたは充分可愛いのよ!」


 確かにこれまでのわたしの顔と比べると、鏡に映ったわたしの顔は「可愛い」と言ってもいいかもしれないが、化粧で作られた顔を可愛いと言われてもあんまり嬉しくない。

 加えて、わたしの隣に立っているのが、素顔でもとんでもないほどの美人である。


「今までだって、ちゃんとお化粧して胸を強調してたら、壁際で突っ立っててもいくらでも声がかかったわよ。あんたはモテないんじゃなくてただ怠慢だったの!」


 顔も胸も作り物なのに、という言葉は飲み込もう。お姉様の小言をこれ以上聞きたくない。

 アリーなんて、「ようやくアドリーヌ様にお化粧する機会が巡って来た!」とわけのわからない理由で感動して涙ぐんでいるし、余計な言葉は逆効果だ。


「いい? 男を落とすにはさりげないボディタッチが有効よ。そっと腕を触ったり、躓いたふりをして寄り掛かるの。わかった?」

「お姉様、いつもそんなことをしているの?」

「女なら誰でもしてるわよ。例外はあんただけよ」


 ……世の中の女性は何てしたたかなのかしら。


 もちろん、わたしにそんな芸当は無理なので、右から左に聞き流す。


「とにかく、あんな大物が餌に引っかかることなんて滅多にないんだから、何が何でも釣り上げるのよ!」

「魚釣りじゃないのよお姉様……」


 これまで異性の「い」の字もなかったわたしがようやく男性に興味を持ったと勘違いしたお姉様の勢いがすごい。


 お昼前にフェヴァン様が迎えに来てくれることになっているのだけれど、デートがはじまる前にわたしはすっかり疲労困憊だ。

 だから、家令のロビンソンがフェヴァン様の到着を知らせてくれた時は心の底から助かったと思った。


 逃げるように玄関に向かい、お姉様に挨拶をしようとするフェヴァン様を急かして馬車に乗せる。

 立ち話でもしようものなら、お姉様がフェヴァン様に何を言い出すかわかったものじゃない。

 馬車が動き出すと、わたしはほっと息を吐き出した。


「アドリーヌ、ええっと……どうしたの?」


 挨拶もそこそこに馬車に押し込まれたフェヴァン様は、そう言って、心の底から不思議そうに目を瞬かせていた。



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