不名誉な噂と求婚 2
一夜明けて――
「ちょっとアドリーヌ大変よ‼ どうするのこれ! あなた、このままじゃあ完全に貰い手がないわよ‼」
せめて今朝は夢の中で現実逃避したいと、いつもより寝坊をしていると、バターンと大きな音を立てて自室の扉が開け放たれた。
そんな無作法なことをしたのは、二つ年上の姉、ベアトリスである。
婚約者であるマリオットとの結婚を七か月後に控えた彼女は、金色の髪にエメラルド色の瞳をした美人だ。
姉妹なのに、片方は美人、片方は平凡すぎる顔立ちなんて、神様は不公平だと思う。
ベアトリスお姉様はお母様に似ていて、わたしはお父様に似ているのだから、まあ、仕方がないと言えば仕方がない。
お母様は四十一歳の今でも年齢不詳なびっくりするような美人で、逆にお父様は存在感のない平坦な顔立ちをしているのだ。
お母様は力の強い魔術師である。
魔力が多いと老けにくいみたいで、今でも三十歳前後に間違われることが多い。
姉妹で父親と母親、それぞれの特徴を引き継いで生まれてきたお姉様とわたしだけど、不思議なことに、魔術の才能は外見とは真逆に受け継がれた。
つまり、お母様の非凡な魔術の才能はわたしに受け継がれ、お姉様は魔術が使えないわけではないけれど平凡なお父様の魔術の才を受け継いだ、というわけだ。
「んー……朝っぱらから何なの?」
「朝じゃないわよもうお昼よ! あんたいつまで寝てるの‼ とっとと起きなさい‼」
王都のタウンハウスにはお父様とお母様はいない。
一年前からお父様は体調を崩して領地で臥せっていて、お母様もそちらに付き添っているからだ。
秋になって社交シーズンがはじまったからわたしとお姉様は王都に戻って来たけれど、お父様の体調を考えると、お父様もお母様も今年の社交シーズンはずっと領地ですごすと思われた。
ゆえに、必然的に今のタウンハウスは、お姉様が大将である。
しがない妹は、お姉様の命令には逆らえない。
お姉様の命令で、侍女のアリーがわたしの布団をはぎ取った。
まあ、この時間まで寝させてくれていたのは、お姉様なりにわたしに気を使ったのだと思う。
だけど、いくら何でも昼が近くなり、我慢の限界に来たのだろう。
「んー、それで、何が大変なの?」
ベッドの上で猫のようにぐーっと体を伸ばして、わたしはお姉様に訊ねた。
するとお姉様は、わたしの目の前にばばん! と手に持っていた新聞を突きつけた。
一面に、わたしと、それから見覚えのあるイケメンの姿が映っている。魔道具カメラで撮られた写真なので鮮明だ――じゃ、なくて。
「なんなのこれ‼」
ゴシップ新聞の第一面に、でかでかと「憐れ! 婚約していない令嬢婚約破棄される!」という見出しがあった。
読み進めていくと、昨日の婚約破棄騒動が面白おかしく書かれている。
「アドリーヌ、あんた、男に負けた伯爵令嬢って言われているわよ‼ せめて負けるなら女の子にしなさいよ‼」
「お姉様、そういう問題じゃないでしょうよ……」
そもそも、男に負けたのはわたしではなく、本物のアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢の方である。わたしは間違えられただけだ。もっと言えば、あの男色家宣言は完全なる嘘っぱちなので男に負けたわけじゃない。
つい癖で枕元に置いてあった度なし眼鏡をかけてベッドから起き上がると、お姉様は残念なものを見る目を向けてきた。
「いい加減そのくそダサい眼鏡やめなさいよね」
「お姉様もいい加減その口の悪さを直さないと、マリオットに婚約破棄されても知らないわよ」
お姉様は美人の癖に口が悪い。お母様も口が悪いので、これはお母様の影響に違いない。
「あんたこそ、そのマリオットに言われたことをいつまで根に持ってるのよ。十歳のときの話でしょう? あれは好きな女の子には何とやらってやつなんだから、いつまでも意地になってるんじゃないわよ」
「お姉様こそ何を言っているの? わたしなんかを好きになってくれる人がいるはずないじゃない」
幼馴染のマリオットは、わたしたち姉妹と仲がよかった。
マリオットはオルジェ伯爵の次男で、わたしたちが治める町の隣の町を領地に持っていたため、小さいころから顔を合わせることも多かったのだ。
わたしたちの領地はドーベルニュ公爵領の中にあって、父たちが年に数回ある公爵家の集まりに出席する際には、わたしたち子供はどちらかの家に預けられていたし、馬車で二時間もあればお互いの家に到着するので、よく遊びにも行っていた。
そんな二歳年上のマリオットのことを、幼いころのわたしは頼りになるお兄ちゃんとして慕っていたし、初恋も、必然ながら彼だった。
そんな彼に十歳の時に言われた言葉は、今でも覚えている。
どういう話の流れで言われたのかまでは覚えていないが、マリオットが言ったのだ。
――アドリーヌの暗い緑色の目は、魔女みたいだ、と。
その「魔女」が魔術師の女性のことではなく、物語に出てくる陰湿な魔女のことを指して言ったのだというのは、すぐにわかった。
あの瞬間、淡い恋心ごと、わたしの心は粉々に砕け散った。
昔からお姉様のような美人ではないとわかっていたけれど、面と向かって魔女のようだなんて言われたら、幼い女の子は立ち直れない。
わたしはその後、三日部屋に閉じこもり、自分の目をくりぬいて硝子の目と入れ替えたいとまで言ったらしい。
見かねた母が度の入っていない眼鏡を買ってくれて、眼鏡で瞳の色をぼかすことでようやく落ち着いたのだという。
以来、わたしは度なし眼鏡を愛用しているのだが、お姉様はそれが気に入らないようだった。
「マリオットだって反省しているし、ずっと気に病んでいるのよ。それにわたしはあんたの目の色、好きよ? 孔雀石みたいできれいだもの」
「そんなことを言うのはお姉様だけよ。……あ、お父様とお母様もだけど」
「アリーもおりますわ、お嬢様」
侍女のアリーが眉を寄せて主張したので、「アリーも」と付け加えておく。
すると廊下を通りかかったメイドが顔を出し、「わたしも」「わたしも」と言い出したので、我が家の使用人たちは優しいわねと思いながら、「みんなもね」と言っておいた。
「それだけの人間が好きだって言ってるんだからもういいでしょう?」
お姉様がそう言うけれど、そういう問題ではないのだ。
「身内の欲目と世間一般の感覚は違うものよ」
「あんたも頑固ねえ……」
お姉様はあきれ顔で、わたしから眼鏡を取り上げるのを諦めたらしい。
「まあともかく、今はその新聞よ。一応ロビンソンに苦情を入れさせたけど、もう発行されているから止められようがないわ」
ロビンソンは我が家の家令である。五十過ぎのなかなかダンディな優し気なおじさんだか、外見に反してかなりの結構なやり手で、お姉様とわたしだけでタウンハウスで過ごせるのも彼がいるからに他ならない。
「あら、噂をすればロビンソンが戻って来たみたいね」
玄関の扉が開く音がして、メイドがロビンソンの帰宅を告げに来た。
「わたしは先にロビンソンと話しているから、さっさと着替えて降りてきなさい。お昼ご飯よ! 時間に遅れたら片付けるからね!」
朝を食べていないので、お腹はかなりすいている。
お姉様の機嫌を損ねると本当に食事抜きにされそうなので、わたしはアリーに手伝ってもらって手早く着替えると、忌々しい記事の載っている新聞を握り締めて階下へ降りた。
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