第十話 自分を知るということ ①

 息遣いが聴こえる。

 嫌な言葉を使った、使ってしまった。

 普通とは何だろうか。

 それを考えると、私は胸が苦しくなる。普通以下は普通を夢見るのだ。

 誰もが上を目指すから、誰も下を見ることはないから。

 だから、見て欲しいから。私を見て欲しいから。私は普通に固執する。

 それでも、見て欲しくなんかないから。私なんかに注目して欲しくないから。私は普通に固執する。

 その反目する二つの考えは、決して矛盾じゃない。相反しているだけだ。一律していないだけだ。


 何度でも、繰り返す。

 心の中の呟きは、息遣いに変わって私を苛立たせる。布団の中で、息苦しくなるまでそれを考えて、我慢出来なくなって布団から出ると、姉がいた。

「んーやっぱり、星香は星香だね」

 ヘラヘラと笑いながら、そんなことを言う姉に苛立つ。何を知っているというのか。

 私が姉を理解できないように、姉も私を理解出来ていない。

「そうやって、いっつも被害者ぶるところとか、さ」

「何も知らない癖に!何なの?お姉ちゃんは!」

「知ってるよ。那月ちゃんを振ったんでしょ?」

 ケタケタと笑う姉はいつもと違って露悪的だ。私の心の傾きを嘲笑う様に、意地悪に言う。

「なのに、振られたのは那月ちゃんなのに。なんで被害者ぶってるの?」

「そんなことない!私はちゃんと答えたよ!ちゃんと考えて、ちゃんと決めたんだよ」

 普通じゃない姉には分からないだろう。私の気持ちなんて。

 そしてそれは、同様に普通じゃない那月先輩にも理解出来ないのだろう。

 そう、普通以上の人間は普通以下の人間の気持ちなんか分かりっこないのだ。

 羨望と嫉みと僻みばかりが支配する歪な心を。そんな感情すら。

 人より優れたものを持って生まれた人には、そんなインチキな人生を歩む人間には。

「普通以上のお姉ちゃんなんかには——!!」

 と言ったところで、初めて姉は声を荒げた私を制止するように肩を掴んだ。

「普通だよ、私も那月ちゃんも」

「そんなこと!」

「甘え過ぎ。被害者ぶれば誰かが守ってくれると思ってる?弱者を演じていれば、欠点を許してもらえると思ってる?」

 それは、甘えに過ぎない。

 と、諭す様に姉は言う。

 正論だ。正論過ぎて、何も言い返せない。

 それが悔しくて、腹立たしくて。

 言い返せず、言葉に出来ない感情達は行き場を無くして涙となって溢れてくる。

 まるで我儘を我慢させられた子供の様に。

「私なんかが!那月先輩の隣に居たって笑われるだけだよ!何であんな子がって!」

 奇異の目で見られる。下手すれば那月先輩も変な目で見られるだろう。

 世の中にはバランスというものがあるのだ。私には私に相応しい人が、那月先輩には彼女に相応しい素晴らしい人が。

 それが私でいいはずなんてない。

「それの何がダメなの?」

「お姉ちゃんなんかには分からないよ!」

「分かんないよ。だって私、星香みたいに諦めたことなんて無いんだもん」

「……!」

「でも、星香のことなら分かるよ。私は。嬉しかったんでしょ?誇らしかったでしょ?」

「な、何を……」

「だって、学校でいちばんの美人の那月ちゃんに好かれたんだよ?嬉しいし、誇らしいし、なんならさ、皆んなに自慢したくなったでしょ?」

 首元が熱くなるのを感じた。まんざら、全て嘘だと言えない自分が恥ずかしかった。淺ましかった。

「そうだよ!だから、私は断った。あんなすごい人に好意を持たれても、私は私のままだから、卑屈なままの普通以下だから」

 そうやって、いつまでも自分を卑下することだけが、私の心を安定させている。

 そのくらい分かっている。

 じゃあ、私はどうなったら普通以上だと言えるのだろう。

 どこまで変われば、普通を超えられるのだろうか。

 そこまで変わってしまった私は、私と言えるのだろうか。


「じゃあさ、訊くけど。星香はさ、那月ちゃんのこと、どう思ってるの?」

 那月先輩は、私にとって——。

 鬱陶しくて、変わり者で、とんでもなく美人で、私なんかを好きになる変な人で。

「……苦手な人だよ」

 だって今だって、私の感情を乱してしまう。

 決して好ましい性格じゃない。きっと同級生だったのなら、仲良くなることすらなかったのだろう。

 一緒に居て、楽しくなかった、と言えば嘘になる。

 まるで、歳上の妹みたいで、騒がしくて、辟易するけど、やっぱりなんだかんだ楽しかった気もする。

 でも、やっぱり。


「私が嫌いな私を好きだなんて言う人……やっぱり苦手だよ」

 笑えちゃう位に、単純な答えだ。


 ——私は、いつもそうだった。

 こうやって、いつもいつも。

 お姉ちゃんの生き方を羨んでしまう。

 考え方を羨んでしまう。

 そしていつも、呆れるくらいに正しかったりする。

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