第九話 私だから分かること ①
「海、ですね」
星香が夏の日差しを手で遮りながら、目の前に広がる景色を見て、呟いた。
「うん、海だねぇ」
私もそれに同調して頷く。
私達が互いに当たり前の事を確認し合っているのは、少しおかしいだろうか。
しかし、星香がそれを呟く理由も分かる。
何故なら——。
「砂浜、殆ど人で埋まっちゃって見えないですねぇ」
「これがオーバーツーリズムって奴か……」
人の山で何も見えない。海はかろうじて遠くに見えるが、砂浜に関しては完全に砂粒ひとつも視界に入ることはないレベルだ。
「ま、まぁ、海水浴場に行く予定は無かったしさ。ほら、水族館とか江ノ島とかあっちの方行こうよ」
「あ、はい」
私がどんなに考えの無い人間なのか、今回のデートでかなり浮き彫りになった気がする。
海水浴場が眩暈のする程の人混みだったのだ、鎌倉も江ノ島も、同様の光景なのは少し考えれば分かることだ。
人がゴミのようだ。なんて有名なセリフがあるけど、どこに行っても多過ぎる観光客に流されるようにフラフラと歩き回る私達はまさにゴミのような惨めさがあった。
「ごめんね、まさかこんなに人が多いなんてさ」
「いえ、大丈夫です」
星香はそう言ってくれてるけど、明らかに人疲れしてしまって疲労の色隠しきれていない。
まだ昼過ぎだけど、事前に計画したプランは破棄して人の居ない静かな場所に移動したほうがいいだろうか。
そう考えた矢先、星香はタンクトップの紐を直しながら、「あ」と小さな声を上げた。
「あそこ、人少なそうですよ。ほら、あそこの古民家カフェみたいな場所」
「本当だ……でも、なんで?」
どこも混雑しているのに、背の高い木々に囲まれたそのカフェだけは人の気配が無い。
取り敢えず落ち着いた場所に行きたい、という考えの私達はその疑問を一旦置いておいて近づいてみると、その理由がすぐに分かった。
「あ、開店時間前だからか」
とはいえ、あと十数分も待てば開店するらしい。これ以上暑い中歩き回るのも厳しいので、私達は店の前で待つことにした。
「ラッキーでしたね」
運ばれてきた鎌倉パスタを見ながら、星香が笑う。
私達が席についてまだ少ししか経っていないのに店内は早くも食事客で一杯になってしまっていた。この調子なら多分店の前で並んでいる客もいそうな気がする。
「でも、いきなりデートなんて、どうしたんですか?」
腰を落ち着けて少し余裕が出てきたのか、星香はフォークの先端にパスタを絡めながら不意打ち的に問い掛ける。
「ええと……星香と2人きりで出掛けてみたかった、からかな」
「……そうですか」
ううむ。会話が続かない。
本来ならもっと会話を弾ませて、良い印象を残した後でデートの終わりに告白するというプランなんだけど。
意気込んでみても、というより、意識すればするほど何を話せば良いのか分からなくなってくる。
ああ、保科のダメ出しが聴こえてきそう。
結局。
デート自体はまともに観光も何も出来なかったし、その間星香と楽しくお喋りが出来た、とも言い難い。
いつもなら男の人が気を利かせて私に話を振ってくれたのだから、こうやって私の方から場を盛り上げるという経験値が少な過ぎる。
(モテ過ぎた弊害がここに……)
と、心の中で今の状況を茶化してみても、一向に気分は晴れない。
モヤモヤとした、具体的にいうのなら、星香に呆れられたのだろうな、という不安感を拭えない。
でも。
それでも。
あれだけ皆に、特に紗夜先輩に大口を叩いた以上、ここで告白しない訳にはいかない。
そんな小さなプライドが、私を一歩踏み出させた。
帰りの電車を乗り終えて、すっかり磯の匂いすらもしなくなっていた。
「あのさ、星香に言いたいことが、あるんだけど」
「……あ、えーと、はい」
そりゃこのタイミングでかしこまってそんな事を言えばバカでも分かるか。
星香、の「あ」という部分に何かを察した声色があった。
——それは勝ち目のない戦いだよ。
先週、紗夜先輩に会った時に言われた事を思い出す。
ショッピングモールで、私を戒めるように言い放った言葉。
◇
「言ったよね、星香は那月ちゃんを好きにならない。それは勝ち目のない戦いだよ」
「なんで、そんなことを言うんです?いくら姉妹だからって、星香の気持ちなんて分からないでしょ?」
私は少しムッとして食って掛かるように言うと、紗夜先輩は少し笑う。
「分かるんだよ。姉だから。それに、那月ちゃんだから言うんだよ。他の人が星香のことを好きになったとしても、何も言わないよ」
「……私だから?何で?」
「星香はね。ああ見えても、ちゃんと自分の芯がある。だから嫌いな人から迫られてもちゃんと断れる。でもね、那月ちゃんは違う。星香と真反対だから」
「……そんなこと言われて、私の気持ちはどうなるんですか?私、初めてなんです。初めて、誰かを好きになれたんです」
「……でも、星香はまだなの。私は星香にこれ以上傷ついて欲しくない。だから、那月ちゃんには悪いけど、諦めてくれないかな?」
「……私、星香を傷つけません。絶対、幸せにします」
「……そっか。じゃあ仕方ないね」
そう言って、私の説得を諦めた紗夜先輩は、力無く笑った。
紗夜先輩が何を予想しているのか。
それは知らないけど、私にだって意地はある。
それに——。
◇
「……私、星香が好き」
突き動かされるように出た言葉は、事前に考えていた告白の言葉なんかよりもずっとシンプルで。
もっと明るく、もっとポジティブな声で言うつもりだったのに。
蚊の鳴くように小さな声で。
夕陽の中に、私の声すらも溶け込んでしまうんではないかと思ってしまう程に頼りない。
彼女の返事を待つ時間が長い。
走馬灯のように、紗夜先輩の言葉がリフレインする。
星香は、私を好きにならない。
それは紗夜先輩の想像だ。彼女の過ちだ。
そんなことを言い聞かせても、いつもなら気にもかけない筈なのに。
今更に、その言葉に真実味を認めてしまっている自分に気づく。
そうか、星香は私を——。
好きにならないんだ。
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