大長谷の王、兄の仇を討つ


「兄が! 穴穂皇が討たれただと!」

 知らせを受けた大長谷おおはつせの王は激怒した。兄、黒日子くろひこの王の元に相談に行く。

「ふうん。皇が討たれたと……」

「なんですか! その気のない返事は!」

 実の兄が殺されたというのに、返ってきたのはぼんやりとした反応で驚きも悲しみもしていない。その反応の薄さに大長谷の王は激怒した。

「殺されたのは! 我らの兄で! 皇ですよ! それをなんだ!」

 かっとなった大長谷の王は黒日子の王の着物の襟をつかんで引き倒すと、刀を抜いて刺し殺したのだった。


 大長谷の王はその勢いのまま、もう一人の兄白日子しろひこの王のところへ行った。

「穴穂皇が討たれたのです!」

「へえ……」

 こちらも気のない返事をしてくる。

「なんなんだ! お前らは!」

 大長谷の王は怒り、白日子の王の着物の襟をつかんで連れ出し、穴に埋めだした。立ったまま生き埋めにされた白日子の王は腰のあたりまで土が埋められたところで、体が圧力に耐えられずに両目が飛び出し、死んでしまった。



 眉輪の王は臣下の一人、都夫良意富美つぶらおほみの家に逃げて身を寄せていた。

 大長谷の王は軍を起こして都夫良意富美の家に向かった。都夫良意富美はそれを迎え撃った。

 大長谷の王の軍に意富美の家から矢が雨のように降り注ぐ。


 だが、大長谷の王はそれで怯むような男ではなかった。矛を手に仁王立ちし、そこから大音声で家の中に向かって言葉を投げる。


「私が言葉を交わした娘はこの中にいるか?」

 攻撃を仕掛けようとして、そう言えばと思い出したのだ。


 沈黙の後、武器も何も持たない都夫良意富美が一人で出てきた。

「娘の訶良比売からひめはお約束通り、あなたの元に嫁がせましょう。また結納の品として、五か所の蔵を差し上げましょう」

 都夫良意富美は静かに淡々と告げる。その様子は冷静そのもので、先ほど大長谷の王の軍に矢の雨を寄こしてきた男とは思えなかった。


「ですが、私はあなたの元には降りません。この卑しい臣下の元へと王子が頼ってこられたのだ。死力を尽くしても、私意富美はあなたに勝てないだろう。それでも、私はあの方を見捨てはしない!」

 そう言って意富美は取って返し、再び武器を取って戦いに戻った。



 その後、矢は一本もなくなり傷も負った意富美は眉輪の王に語りかけた。

「私はもう戦えません。さて、これからどうしましょうか」

 その声には、すでに諦めの色が滲んでいた。眉輪の王は一度目を閉じ、再び目を開けて口を開いた。

「それならばもう致し方がない。私を殺しなさい」

 意富美は王子を刺し殺して、その刀で自分の首を切って死んだ。



 当時、市の辺いちのべ押歯おしはの王は穴穂皇の後継と目されていた。大長谷の王は市の辺の押歯の王との仲は決して悪くはなかった。だが、彼は他の兄弟を殺したことで気づいてしまった。彼が皇になるのに障害となる存在はもう残り少ないということに。


 大長谷の王は市の辺の押歯の王を狩に誘って共に近江に行った。狩りが好きな市の辺の押歯の王は翌朝、まだ日も登らない内から狩りの支度をして馬に乗り、大長谷の王の寝所に向かって話しかけた。

「まだ目覚めないのか? もう夜は明けたぞ! さっさと狩場に行こう!」


 それを聞いた臣下の一人は大長谷の王にこう言った。

「変わったことを仰る方ですな。こんなまだ暗い内から……王よ。お気をつけなさいませ。何をされるかわかりませんぞ」

 大長谷の王はふふんと笑った。衣服の下に鎧を仕込んで、素知らぬ顔で支度を済ませた。

 大長谷の王も馬に乗り、二人は共に馬を走らせた。


 そして、ある程度馬を走らせたところで、市の辺の押歯の王を弓矢で射った。

 市の辺の押歯の王が落馬したところで、大長谷の王はさらに刀で切りつけ完全に殺した。そしてその身を刻んで馬の飼い葉桶に入れて地に埋めたのだった。



「殺される! 絶対に殺される!」

 市の辺の押歯の王が姿を消したことで、彼の二人の息子、意祁おけの王と袁祁をけの王は父が殺されたことを確信した。そして、自分達の身にも危険が迫っていると感じ、供の者をつけずに二人だけで逃げ出したのだった。

 非力な子供の身である彼らは、途中、罪人の証である入れ墨をした老人に食料を奪われるなどした。

「食べ物など惜しくない。だが、あんな卑しい身の者に侮られることが、ただ悔しい……」

 そう言って、二人は涙するのだった。



「随分、遠くまで来たな……」

 二人は逃げに逃げ、播磨の地にたどり着いた。

「今日は、ここの岩穴で休もうか」

 逃げ続けることに疲れた二人は、見つけた岩穴で休むことにした。

「ここ、水があるからちょうどいいね」

 その岩穴には湧水が満ちていて、喉の渇きの心配をする必要がなかった。その湧き水の横で休もうとしたとき、彼らは不思議な光景を目にした。

「え……」

「わあ……泉が光ってる……」

 泉の底が金色に光り輝いていた。二人はその光景を呆然と見て、逃亡生活で感じていた疲弊から荒んでいた心を一時休ませたのだった。



 播磨の地を治める豪族、志自牟しじむはその日、水を汲みにある岩屋にやってきた。

「あそこの水は時折金色に輝くのだ。その特別な水で酒を造ってみてはどうかと思ってな」

 供の者と一緒に岩屋を訪れた志自牟はそこで二人の少年が横たわっているのを見つけた。

「……君たちは、一体どこの誰かな?」

 志自牟はその二人の少年を拾って、自分の家で働かせて代わりに寝食を世話してやったのだった。

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