第9話 盗賊、濡れ衣を着せられる

幸いなことに俺の留置場暮らしは長くは続かなかった。

裏で手を回したのはピケッティ監督官らしく、捕まった翌々日の午後に、俺は憲兵たちの手でピケッティのオフィスまで連行された。

部屋に入るなり、ラベンダーのような香水の匂いが鼻についた。


(アクーが気にしていたのはこれか)


この間はあまり気にならなかったが、前日の朝から何も食べていないから嗅覚が敏感になっているのだろう。

執務机の向こうで椅子にふんぞり返っているピケッティの他に、部屋にはドニーもいた。ドニーは常よりおどおどした様子で壁際に立っている。


「ご苦労様。あなたたちはもう結構ですよ。……ああ、ですが後で話がありますので、それまでロビーで待っていてください」


鼻にかかったような声でピケッティが言い放つと、憲兵たちは敬礼をして退去した。


「さて……」


ピケッティは、憲兵たちが扉を閉めて遠ざかっていくのを確認してから話し始めた。


「大変なことをしてくれましたねえ、クラウドさん。まさかギルド内にの手引きをする人が現れるなんて、頭が痛い」


ピケッティは白髪交じりの頭を振った。


「いや、俺は無実だって。それに、あんたも見ただろあの腕。あれは確かに……」

「だまらっしゃい!」


抗弁を始めた俺の言葉を、ピケッティがヒステリックにさえぎった。陶器のような顔がうっすらと紅潮している。


「これを御覧なさい。証拠があるんですよ!」


ピケッティは机の上に並べた長剣ロングソード小剣ショートソードを指しながら叫んだ。


「あなたの家から出てきたそうじゃないですか! それなのにまだシラを切るというのですか!? あなたが関係しているに決まってるじゃないですかッ!」


ピケッティはそこで声のトーンを落とした。


「……ですが、あなたに今、捕まってもらうと困るんですよ。あなたのような盗人シーフを雇った私の責任問題になってしまう。

 だからと言って、あなたのやったことを許すと思わないでくださいね。

 あなたには余罪があります」

「なんだって!?」


疑われるのはともかく、ここまで来るとさすがに想定外だった。


「この頃、倉庫から資材が紛失することが続いてましてねぇ。つい先日も薬品庫にある希少な薬の分量が減っているということがありました。その前日に、あなたが用もないのに薬品室にこっそり出入りしているのを見かけた者がいるんです」


そこまで言うと、ピケッティはドニーの方をチラッと見やった。


「そうですよね、ドニーさん」


ドニーは黙っている。


「そう言ったでしょう、ドニーさん!」


ピケッティが甲高い声で怒鳴ると、ドニーは下を向き、そして震えるようにわずかにうなずいた。

ピケッティは満足したように微笑むと続けた。


「あなたには余罪があります、クラウドさん。今までに起きた紛失事件もあなたの仕業に違いありません。ですから、今日限りでここを出て行っていただきます。ここを出て行くか、今までの罪をすべて償うために刑務所暮らしをするか二つに一つです。私とあなたにとって都合の良い答えは一つです。分かりますよね? 、出ていていただけますね?」


こうなると嫌も応もない。相手は職工ギルドの監督官で宮廷魔術師だ。身に覚えのないことだが、絶対的な権力者の決定に逆らってもしょうがない。


「……分かった」


ピケッティは満面の笑みを浮かべた。


「ん~よろしい。では、あなたがここで犯した問題は、すべて私がなかったことにしておきましょう。これは温情というものです。積荷の強奪の件もすべて悪鬼のせい。不幸な事件でした」


(何が温情だよ。自分の保身のためにうやむやにするだけだろうが)


「何か言いましたか?」

「いや別に」

「あ、そうそう。薬物に関しては監督官がヤヨイズミ卿に戻りましてね。薬品の件だけは私にはどうすることもできません。ヤヨイズミ卿も相当お冠でしたからねぇ。帰還早々、薬品紛失とはお気の毒に。あなたを雇ったのは私ですが、ヤヨイズミ卿の監督不行き届きもあるということでうまく取りなしておきます。そういう訳で、あなたはその責任を取っての解雇ということになります。よろしいですね?」


(ヤヨイズミ……ヴィシラスか)


ヴィシラスについては、シュバイガートに引っ立てられる前に少し調べてみた。


儀式でこっちの世界ゲアに転移してきたとき、ヴィシラスはヤヨイズミと名乗ったらしい。おそらくヤヨイ・イズミと言ったのだと思う。その後、魔王と戦って死んだ英雄ヴィシラスであることが判明してから、『ヴィシラス』と呼ぶ者と『ヤヨイズミ』と呼ぶ者がいて宮廷が混乱した。そこでイジドール王が、爵位と共にヤヨイズミという姓を与えてヴィシラス・ヤヨイズミとなったそうだ。


(どの道、ここには長居しない方が良さそうだ)


『悪鬼の腕』の件で、もう少しゴネることはできる。

しかし、この件にヴィシラスも関わってくるとなれば話は別だ。刑務所で臭い飯を食うなんて慣れたものだが、ヴィシラスはやばい。

前世で覚えた魔法や知識を使って功績を上げているそうだから、きっと俺のことも覚えているだろう。まずいことに俺の外見は前前世の頃そっくりだ。気付かれたら八つ裂きにされてもおかしくない。

濡れ衣を着せられたのはしゃくさわるが、ここはおとなしく引いておこう。


「……分かったよ」

「結構。では、ごきげんよう」


(何が『ご機嫌良う』だよ。ちっとも良くねえよ)


俺は監督官の執務室を出た。

グズグズしていたドニーもピケッティに追い出されて部屋を出てきた。コソコソと裁縫室へ向かおうとしている。

俺はドニーの目の前に腕を突き出して壁に手を付き、その行く手を阻んだ。


「やってくれたな」


俺が殴るとでも思ったのか、ドニーは痩せっぽっちな体を縮めながら小さく悲鳴を上げた。


「ゴ、ゴメン。僕には弟たちもいるし……」

「分かってるよ。飲んだくれの親父が蒸発したのも、お前の母ちゃんが病気なのも知ってる」


ドニーのか細い声を遮って俺は言った。

そう分かっている。裏で何があったのか。なぜドニーがそうしなければならなかったのか。

俺は顔を背けた。壁からそっと手を離し、ドニーを廊下に置いて立ち去る。振り返ることはない。



置きっぱなしだった自前の工具を取りに工房に戻ると、無数の冷たい視線が飛んできた。皆、一様に俺を一瞥いちべつすると、何もなかったかのように作業に戻った。

ただ一人、部屋の奥から親方のバルテルだけが俺を見ていた。バルテルはいつもの仕草で顎を動かし、こっちへ来いと促した。

俺は炉や工作台の間を通って奥へと向かった。

一歩、一歩と俺は近づいて行く。

誰も見ていないはずなのに、歩くごとに皆の意識が突き刺さるようだった。


「おい、あいつだってな」

「やっぱりそうなんだな」

「怪しいと思ってたんだよ」


工房のどこからか、俺をそしるささやき声が聞こえてくる。

長すぎる一瞬が終わり、バルテルが待つ作業台の前に立つと、バルテルはいきなり手に持っていた袋を台に叩きつけた。

勢いで、袋からいくらかの銅貨、銀貨がこぼれ落ちた。


「最後の日給だ。これを持って出て行け」


俺は何も言わずに台の上に散らばった硬貨を拾い集めて袋に押し込んだ。

ふと、袋の中に銅貨や銀貨とは違う光が見えた。一枚だけ、金貨が混じっている。明らかに多すぎる額だ。何かの間違いだろうか。

俺はとっさにバルテルの顔を見た。

バルテルは顔を背けた。

これが師匠と弟子との最後の対話だった。

結局、俺は誰にさよならも言わないまま、工房を去った。



「クソッ、ピケッティの奴!」


工房を後にしてなお、俺のはらわたは煮えくり返っていた。

完全に巻き込まれた上に、とばっちりだ。

頭では整理できていても気持ちは収まらない。


(いつか真相を明らかにしてやる)


腹いせに何かパクってきてやろうかとも思ったが、ヴィシラスの影が頭にチラついたので止めておいた。ここはとにかく穏便にやり過ごして、ほとぼりを冷ますのが優先だ。とにかくヴィシラスの注意を引いてしまうような事は避けたい。

そんなことを考えながら、俺は乗合馬車を降りた停留所から<釣人通り>にある下宿先へと向かった。


ギィギィ


海の方からアホウドリの声が聞こえてきた。

日が高いうちに戻るのは久しぶりだ。

着いてみると、俺の住んでいた二階に誰かの荷物が運び込まれている所だった。


(やっぱりな)


経験からしてこれは予想通りではあった。もう俺の荷物はどこかへ売られてしまったに違いない。

この世界に借主の権利などありはしない。賃貸人が出てけと言えば問答無用で叩きだされるのだ。

それにしても手回しの良い婆さんだ。妙なことだが、俺は少し感心してしまった。

生き馬の目を抜くような社会だから、これくらいしたたかでないと生きていけない。


(あの婆さんも伊達に長生きしてねえな)


俺は独り笑いした。


(まあ、良いってことよ)


別に腹も立たない。

というのも、はなから家には大事なものなど置いていないからだ。


盗賊家業を長くやっていると、いつでも逃げ出せるように身の回りに物は置かないようになる。

もっとも盗賊に限らず、江戸っ子よろしく「宵越しの金は持たねえ」なんて奴がこの世界では標準だ。皆、いつ病気や災難で死ぬのかも分からないのに貯め込んでもしょうがないという考えだ。

実際のところ、こんなことが日常茶飯事で起こるのだから、そう考えるようになるのも無理はないだろう。


(願ったりかなったりだね)


どの道、ヴィシラスの目から逃れたいのだから、住処すみかは変える必要がある。


(おい、アクー。そのまま降りないでついて来いよ。目立ちたくないからな)


俺は、先ほどから上空を大きく旋回しているアクーに気が付いていた。

何か異常な事態が起きた時は、すぐに近付かないようにかねてからしつけてある。


(うん! サカナとりにいこうッ)

(そうだ俺、腹減ってんだよ。飯にしよう)


俺は周囲の気配を探りながら、ゆるゆると海の方へ向かった。



王都エルドゥーンの東側には広大な海が広がっている。


このカルネア王国の首都が大陸北部の東岸に位置しているのは、永きに渡って西側が魔物たちに支配されているからだ。

海に面した都では、海外から侵略を受けやすいのではないかと考える向きもあるだろうが、有史以来、そんなことはないらしい。少なくとも俺は聞いたことがない。

海には海竜の類も住んでいるし、大海を渡るのは命がけの所業なのだ。聞いた話では、よその大陸に派兵するほど余力のある国はない、ということだった。

大陸南部にも海運に強い国家はないから、西方の魔物たちへの対処がこの国におけるもっとも重要な国防課題となっている。


(カイリューもつれる?)

(こんな浅い所には出ねえよ)

(カイリューみたい!)

(俺は見たくないぞ)


突堤の端から釣り糸を垂らしながら、俺はいつものようにアクーの他愛ない会話につきあっていた。

前世や前前世ではずっと一人でいたが、おしゃべりな相棒との暮らしも悪くないもんだな、と思い始めている。


ハーッ

ハーッ


俺は片手づつ手を口元に当てると、手袋の上から息を吹きかけた。

厚着をしていても、冬の海岸でじっとしているのはなかなかこたえる。

俺はアクーを引っつかむと、膝と胸元の間に押し込んだ。


(わ、くるしいよッ!)

(寒いんだよ。湯たんぽになれ)


アクーはしばらくジタバタしていたが、うまく位置を調整して具合の良い所に収まった。首を伸ばして、肩越しに街の方を眺めている。

アクーの身体はひんやりとしていて、どちらかと言えば俺の体温が吸われている気がしたが一向にかまわなかった。俺が求めている温もりはそういうものではないのだ。


しばらくすると、竿が引っ張られる感触が来た。

いくらか魚と格闘した後、小振りな魚を釣り上げる。


(クルッペだ。やったッ!)

(やったぁ!)


クルッペという魚は、イワシみたいに癖のある味だがフライにするとなかなかうまい。

俺が次の釣果を上げた頃には、昼飯を釣り終わった連中が帰路につき始めていた。

防波堤にいる人影もまばらになってきた。


(そろそろ良い頃合いか……)


先ほどから気配を探っているが、監視されている様子はない。


(アクー、あれは大丈夫だよな?)

(なんのことー?)

「おいおい、頼むぜ。まさか消化しちまったんじゃないだろうな?」


俺は思わず口に出して言った。


(アレだよアレ)


俺はアクーを抱き寄せると、トントンと背中を軽く小突いた。


(あー、アレかー)


言うなりアクーは体をくねらせた。えずいた様な音をさせながら、俺が開いた手の中へ、求めていたものを吐き出す。

赤いそれは、波に反射する陽光を受けてキラキラとまぶしく輝いた。


極大のガーネット。


アクーの内臓を傷つけないように丸く加工――カーバンクルという奴だ――してあるが、それでもかなり大きい。

大きいだけではない。このガーネットには魔力マナが宿っている。いわゆる魔石で、それだけで価値がある。職工ギルドでコツコツ稼いだ金で買ったものだ。

俺は宝玉をつまんで光に透かして見た。大きな傷はない。大丈夫そうだ。


「よし。よくやった。お前は優秀な奴だ!」


俺は人気のない堤防で快哉かいさいの笑い声を上げた。


翼竜には、鳥が持つ素嚢そのうのような、消化前のものを一時保存しておく器官がある。それを使って飲み込んだものを自由に出すことができる。

アクーが捕った魚を出し入れしているのを見て、俺は金庫として使えると考えた。そして稼いだ金を宝石に変えて、アクーに飲み込ませておいた。

いつどうなるか分からない下宿部屋なんかより、アクーの腹の中の方がよっぽど安全だ。


(これでなんとか一年は生活できるな)


ガーネットを換金すれば、一時しのぎにはなるだろう。

だけど、その間にどうにかして生活を立て直さなければならない。俺はまた釣り糸の先を見ながら考え始めた。

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