羽を折るは貴方のみ

ティー

第1話

別に最高級の幸せなんて求めてはいない。

普通に家族仲良く笑って生きて、友達と喧嘩して、好きな人が出来て、結婚して子供が出来て、孫が出来て、病気一つせずに大切な人達に囲まれながら死ぬ、それだけでいい。

こんなことが全て叶えられる人間なんてほとんどいないだろうけど、そのうちいくつかを叶えることは、殆どの人間が可能だと思う。


俺はそのうちの一つも叶えられそうにない。

生きるのは苦痛だ。

小さい頃からずっとそうだった。

普通の家庭だったはずなのに、母は男を作って逃げ、残された俺と弟と父は、それはもう懸命に生きていた、はずだった。

昔から母の事が大好きだった父は精神をやってしまい酒に溺れ、アルコール依存症に陥った。

暴言暴力が日常茶飯事になった。

俺はまだ小一だった弟を必死に守った。

なのにある日突然、守るべき弟が消えた。

それから暫くして、俺は父が呼んだ友人達に、"おもちゃ"にされた。

拒否すれば、暴力が降りかかる。

だから俺はおもちゃとして、心なんてものをなくして、ただ息をして動くだけの人形として、そこにいるだけだった。



***



「ただいま戻りましたー」

「おかえりー羽川くん」


俺、羽川玲二(はねかわれいじ)はこの南総合事務所で住み込みで働いている。

ここは総合事務所として何でも屋みたいな感じで色んな依頼を受けている。(と言っても法律違反の依頼は受け付けてないけど)

今日は、依頼された女性の彼氏役として出向いていた。


「つっかれた~…。相手の女の子の香水キツくて頭痛くなっちゃったよ」

「お疲れ様、はい今回のお賃金」

「ひーふーみー…え、3万?やす……」

「電車賃とご飯代、遊園地のチケット諸々引いたらそんなもんだよ」


割に合わない、とは思っても言えまい。

ワガママ言ってこの事務所に住まわして貰って、仕事も多めに回して貰ってるし。


「じゃ、ちょっと行ってくる」

「はーい、あ、今日16時には帰ってきてね、仕事あるから」


そんな予定あったっけ?と思いながら、事務所を出て電車に乗り、都内を出る。

俺はレンタカーを借りて、とある探偵事務所へと向かう。

目的は一つ、俺の弟、奥川真希(おくがわまき)を探すこと。

と言っても、死亡届を出されているから事実上死んでるんだけど、俺は生きていると信じて、都内全ての探偵事務所などを回って探して貰った。

勿論見つかるわけもなく、千葉や神奈川栃木等でも探せば見つかるのではと頑張っているものの、今のところ大した成果はない。


「はー今日もダメだった~」


以前依頼していた事務所からは、やはり真希は見つからなかった、と報告を受けた。

なので違う事務所にお邪魔して、依頼だけしてきたのだが。


「真希、お前本当に…」

(いやいや、そんな訳ない。真希が死んでるなんて)

そう思わなければ、自分が生きている意味がない。

ちら、と時計を見ると、時刻は15時半を回っていた。


「やべ、仕事…!」


俺は慌てて事務所へ戻った。



***



「すんません戻りました!!」

「遅い」

「すいませ…って誰?あんた」


事務所の扉を開けると、目の前には長身の男が立っていた。

背の高い男は嫌いだ。

あいつをを思い出すから。


「あーその人がね、依頼人…いや、まぁいっか」


こっちこっち、とソファに座れと促される。


「れーじくん、また会えるよね?」

「ち、千花ちゃん…?」

「いつでも帰ってきていいんですからね」

「弥生さん…?」


ここの社員である千花ちゃんと事務員の弥生さんに、なぜか別れの言葉を告げられ、俺の頭はクエスチョンマークでいっぱいだった。


「では改めて。玲二くん、君は今この場で南探偵事務所をクビになります」

「はい?」

「で、新しくそちらの、早乙女隼人(さおとめはやと)さんの元で働いてもらいまーす」

「はい?言ってる意味が……」

「契約書はサインしたからね、実印も押したし。荷物はあんま無いだろうけど、明日届くと思うからね、いやー寂しくなるなぁ」


(クビ??新しく働くって?契約書って?)

一気に色んな事が起きすぎて、パニックになる。


「という事だ、行くぞ」


早乙女隼人と呼ばれた男が俺の腕を掴む。

周りの人達は俺の事情など無視して悲しむだけで、俺を助けてはくれないみたいだ。


「いや、意味わかんな…」


俺の言葉は事務所の扉の閉まる音とともに掻き消えた。


「ちょ、あんたまじで…」


なんとか腕を振りほどこうとしても、うんともすんとも言わない。

力には自信があっただけに、悔しい。

とりあえず何とか逃げないと、と思ったが、俺達の目の前に突然ベンツがやってきて、俺はその中に放り投げられる。


「い…ってぇ、あのな、お前!!」

「お前、だと?」


ギロリと睨みつけられる。

そういう目は、苦手だ。


「……っ、い、いきなり、すぎんだろ……」


自分の声が震えているのがわかる。


(違う、あいつは今ムショにいるはずだし、それに俺はもう大人だ、だから大丈夫)


そう自分に言い聞かせる。


「早乙女隼人」

「え?」

「俺の名前だ。苗字でも名前でもどちらでも好きな方で呼べばいい。ただし、お前だとかあんただとか、そういうのは今後一切許さない、わかったな?」

「え、っと…」

「返事は、はいしか受け付けない。後これを読んでおけ、契約書だ」


そう言って俺に一つの書類を放り投げてくる。

さっき南所長が『サインしちゃった☆』と言っていたアレ。


(こんなの破れば…)


「破っても無駄だぞ。こちらにもあちらにもまだ書類の予備はいくつでもある」

「いやおかしいだろ!本人の許可なく…!」

「返事は、はいしか受け付けないと言わなかったか?」

「わかりましたよ」


俺は諦めて、渡された契約書を読む。


【月給100万、ただし一日のうち一つでも逆らえば月給から5万天引き】

【土日は基本休みだが、早乙女とは共に行動すること】

【携帯はこちらから渡したもののみを使用すること】


(自由なんてないってことか。俺は奴隷か?)


こんなことをいえば早速5万引かれるんだろうから黙っておく。

仮に毎日逆らえば150万、つまりマイナス50万。


【100万よりも超過した分は借金扱いとする】


なんて書いてある。

俺にあまり金が無いことを知った上でこんな事も書いたんだろう。

俺の人生に、再び地獄が訪れた。

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