第4章「好きって伝えたかったら、嫌いって書けばいい」 第2話(上野紗良)

【3月10日】



河津桜。


2月~3月上旬に咲くことで有名な桜だ。


幸いにして、ホスピスから車で30分圏内のところに、河津桜の名所があった。


私のたっての希望ということで、外出許可をもらい、介護タクシーを予約してもらった。


同行してくれるのは看護師の佐々木さん。


そして、作業療法も兼ねていると言うことで、三浦さんが一緒に来てくれた。


たった30分の移動でも、今の私の身体には大きな負担がかかる。


それでも、満開の桜を見たい!という願いが、私を支えていた。




車内では、ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミ―」が流れている。


病院を出発すること25分、やっとのことで現地に着いた。




辺り一面が、河津桜の濃いピンクで満たされている。


真っ青な空とのコントラストが見事で美しい。


穏やかな陽気の中、一足早い春の訪れを運んできているのを知ってか知らずか、桜たちは今しかないこの一瞬を、懸命に咲き誇っている。




そのなかで、ひときわ大きく、美しい桜の木を見つける。


春を知らせる風に、花弁がそっと揺れている。


「ここで日向ぼっこしましょう」


大きな桜の木の下に、佐々木さんがピクニックシートを引いてくれた。


「ありがとうございます。天気も良くて、本当に気持ちいいです。来てよかった」


「そう言っていただけて、こちらも嬉しいです。上野さん、ここならいい詩が書けそうですね」




私は早速、詩に取りかかることにした。


三浦さんの方を振り返ると、彼もシートに腰かけ、桜の木をデッサンしている。


一心不乱に桜を描く三浦さん。


自分はアーティストである、と背中にハッキリと描いてある。


そんな三浦さんの過去も現在も未来も、すべてを包み込むように咲いている、紅色の桜。


さながら桜の妖精になったような気分で、頭のなかにくるくると湧き出てくる詩を書きとめた。






♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


【詩】「桜輪舞曲(サクラロンド)」





サクラ サクラ サクラ サクラ咲く


永遠の喜びの世界の中で


記憶よ戻れ 光とともに




回る 回る 運命は回る


幾度も巡りゆく桜とともに


時よ戻れ 色づく前に




サクラ サクラ サクラ サクラ散る


深い心の傷を癒しながら


過去よ戻れ 痛みの前に




思い出して 運命の花


いつもあなたのそばにいたの


消えない傷を癒す旅路へ




思い出して 運命の花


桜舞い散る その一瞬が


永遠の光満つる時




サクラ サクラ サクラ サクラ咲く


遥か遠い宇宙の彼方へと


奇跡を願い 咲き誇れ






♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢




気がつくと、私の作った詩を三浦さんが覗き込んでいた。


私は三浦さんにイメージを伝えてみようと、少し詩をメロディにして口ずさんでみた。




「サクラ、サクラ、サクラ~♪、サクラ咲く~♪、


永遠の喜びの世界の中で~♪、


記憶よ戻れ~光とともに~♪


……メロディ付けるなら、こんな感じをイメージしているんです」




すると、三浦さんは大きく目を見開いて、こちらをじっと見つめている。


「あの……何か?」


何か変なところでもあっただろうか。


あまりにも三浦さんが見つめてくるので、少し不安になる。


すると、彼はおもむろに口を開いた。




「いいね。俺が思い描いていたものと同じようなイメージだよ。


もっと言えば、想像していたよりもずっと良かった。


それに……上野さんって、歌がめちゃめちゃ上手いんだね。


そのことにびっくりしたよ」




……え?タメ語?俺?


……どうした三浦さん?




突然のことにこちらも驚き、とても恥ずかしくなる。


自然と頬が上気してくるのを感じる。


でも、三浦さんの方が、しまった!という顔をしているのが見てとれた。


歌をきっかけに、心を開いてくれたのかもしれない。


何かモゾモゾと言いかけようとしている三浦さんを制して、勇気を出して伝えた。 




「いいんです。そのままタメ口で話してもらえませんか? 


私もタメ口にさせてもらいますから」


「えっ? わかりました。……じゃなくて、わかったよ」


「……ちなみに、今の曲、そんなに良かった?」


「はい。もう一度、歌ってくれませんか?」




おいおい。もう丁寧語に戻ってるじゃないか。


せっかく仲良くなるチャンスを逃したくないので、ここは強気で行こう。




「あの……タメ口になってないじゃん。


そんなんじゃ歌わないよ」


「すいません……あ、ごめんごめん」




まごつく三浦さんが、新鮮でとてもかわいらしい。


タメ語だからか、歌の話をしているからか、彼がさらに若返って見えるのは気のせいだろうか。




「……もう一度、歌ってくれる?」




三浦さんが改めてそう言ってくれたので、私は桜輪舞曲を通して歌ってみた。




心の赴くままに。気持ちを込めて。




三浦さんは桜を見上げ、穏やかに微笑んでいる。


爽やかなそよ風が吹き抜け、桜の花びらが揺れている。


歌い終わると、彼はゆっくりと視線を私に向けて、こう言った。




「実は、さっき、桜の木を描いていた時、気づいたら不思議なものまで描いていたんだ。


妖精みたいな……とにかく、自分でも不思議なインスピレーションで」


曲の感想かと思いきや、何を言い出すのだ。


「今わかったよ。それは上野さんだって」


……嬉しいような。恥ずかしいような。


何と返していいか分からず、瞬きを数回したまま、少し固まってしまった。


そんな様子を見かねたのか、三浦さんが私の肩をポンッと叩いて言葉を続けた。


「なんてね。ごめんね。冗談だよ。


この桜の木と、上野さんの歌を聴いて思い出したよ。


初めて作詩をした高校生のときのこと……」


彼はまた、遠い目をしている。




「……きっと桜と青空の、素敵な詩だったんだね」


私には、彼のデビュー曲が思い浮かんでいた。




最後のお出かけで、歌を通して心を通わせられたようで、純粋に嬉しかった。




作詩を終えると、桜の木の下で記念写真を撮った。


その後、川沿いの桜並木を車いすで散歩する。


佐々木さんに代わって、今度は三浦さんが車いすを押してくれていた。




散り際の花びら。


春風に舞うように、ひらひらと落ちていく。


落ちていった花びらが川の流れに乗り、下流へと流れていく。


日の光が当たり、川面がキラキラと光っている。


日本の散り際の美学は、こうした「もののあわれ」から来ているのだろう。




今しかない、この一瞬。


私は今、とても幸せだ。




しばらく散歩していると、川の下流に差し掛かっていた。


どこからともなく、楽しそうな音楽が風に乗って聞こえてくる。


下流付近では、ちょうど桜にちなんだロックフェスイベントが開催されているようだ。


ミーハーな佐々木さんのテンションが明らかに上がる。


「そうか、ちょうど桜フェスやってます!


この時期、全国からアーティストが集まる人気イベントですよね!


確か、5年に1回ぐらいSeijiとかも来てましたっけ!」




そう、Seijiも時々、桜フェスに参加してくれていた。


もちろん、私も地元民として、Seijiが出演していた桜フェスに参加したことがある。




……熱気に包まれたライブ会場。


……透き通るような、懐かしい声。




あの日、私たちは確かにそこにいた。




桜フェスに対する三浦さんの反応が気になったが、車いすを押してもらっているため、表情が見えない。


振り返るのも申し訳ないので、前を向いている。


でも、なんとなく言葉が出てしまった。




「私、死ぬ前に三浦さんの歌が聞いてみたかったな」




するとそこへ、車のクラクションが聞こえ、私の声がかき消される。


ちょうど、川下での合流をお願いした介護タクシーがやってきたのだ。


タクシーの運転手さんが、こちらに向かって手を降っている。


「おーい、こっちこっち」


「ありがとうございます!」


三浦さんが返事をする。


先ほどの私のつぶやきが三浦さんに聞こえていたのかは、タクシーのせいで結局分からなかった。




まあ、聞こえてなくてもいいや。


でも、いつか必ず、もう一度歌ってみてほしい。


あなたの歌を待っている人は、きっとこの世界にいるはずだから。




二度と目にすることのないであろう、桜並木を振り返った。


風に揺れている桜の樹々が、お別れを囁いているかのようだ。


ありがとう。また逢う日まで、さようなら。




あの肩を叩いてもらった感覚が、いつまでも残っている。


私の心の中には、彼のとっておきのエッセイが、浮かんでいた。

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