少女の夢
───エルフに案内され森を走る宗十郎一行。しかし正確な位置まではわからない。逃げてきたというが、集落は広く、しんがりを引き受けたという異郷者は今、どこにいるのか見当がつかないのだ。
その時であった、突如鳴り響く破裂音。上空で火薬が爆発したかのような後が見えた。
「あそこか!」
即座に理解した。あれはSOSである。エルフを救うため一人残った誉れある異郷者が救いを求めているのだ。駆け出す。一刻も早く、その期待に応えるために。
森を抜け、藪を払い開けた場所に出てきた。そこにいるのは男性二名。異様に巨大な斧槍を持った騎士風の男と、そして……。
「ハンゾー!?貴様だったのかエルフを助けた異郷者というのは!?」
「ぬ……これは……宗十郎か……。気をつけよ、奴は理外の力を扱う……我らの確執はひとまず置いて、集中せよ……」
息を整えながら半死半生、苦悶の表情を浮かべながらハンゾーは敵の正体を伝える。
「これは僥倖、よもやブシドー本人が来るとはな」
ジルは宗十郎を見据え斧槍を振り回し、その矛先を向けた。
ハンゾーの実力は他でもない宗十郎が理解している。そのハンゾーがこうも一方的にやられた事実に宗十郎は驚き隠せなかった。
「ジル!お前が出てくるということは……本気なのか。オルヴェリンは本気で私たちを消そうというのか!」
カーチェが割って入る。ジルと呼ばれた騎士風の男。二人は知り合いのようであった。
「カーチェか。神聖五星騎士の面汚しめ。オルヴェリンに泥をかけるなどと騎士にあるまじき愚行。所詮は女だな。感情に生きて論理性に欠ける」
血濡れた斧槍を振り払う。付着した血液は飛散して刃物の輝きを取り戻す。周囲をカーチェは見回した。荒らされた家屋の数々、ところどころに付着した血痕。先程の助けを求めていたエルフを思い出す。傷つきボロボロになりながら、懸命に逃げ出したのだろうか。
突如案内をしてきたエルフが苦しみだす。嘔吐、更に目は充血し言葉にならぬうめき声をあげている。
「これは……毒ですね。特殊なタイプです。エルフの代謝機能のみをピンポイントに狙っています。それが周辺に充満していますね。危険です、このままでは彼の命は……」
リンデは苦しむエルフの状態をそう分析した。毒ガスの使用を今、認識したのだ。ゴブリンの解毒薬は常備しているが蔓延する毒ガスから抜け出さなくては意味がない。
「シュウ、一人で問題はないか」
「無論、師匠はこの者を安全な場所へ」
幽斎は事態の緊急性を察しエルフを担ぎ、即座にこの場から離脱する。風のようにあっという間であった。
「ジル……お前……毒ガスを使用するなど……お前こそ騎士の誇りはないのか!?」
毒ガスの使用は誉れある戦いとは言えない。ただ一方的に無差別に殺戮かる非人道的兵器。許される謂れがないのだ。
「何を言っているんだ?害虫を始末するのに手段を問われるいわれはない。カーチェ貴様、話には聞いていたが、狂ったのは本当のようだな」
エルフを含む亜人に人権は存在しない。故にジルの行動が法的に考えれば間違いはない。非人道的というのは、人権のある相手に使う時だけに限られる。
「馬鹿なことを言うな!エルフは中立的立場をとっている亜人だ!このようなことオルヴェリンの市民も納得いくはずがない!」
だが、そうではない。たとえエルフに人権がなくとも、法的に間違いないとしても、人としての道徳がある。その倫理観を失えばこの世は地獄。
カーチェは訴える。ジルの間違いを。
「納得するよ」
カーチェの言葉に、ジルは冷たい声で断言した。
「人間はな、己が利益に繋がると思えばいくらでも残酷になれるのだ。法?非人道的?だからどうしたというのだ。カーチェよ、人の本質は醜さにある。例え国のために懸命に奉仕したものであっても、国に益するものでないと判断すれば即座に切り捨て、道具のように凌辱する。これが人の本質だ。変わらぬさ、俺もお前も、オルヴェリンの人々も」
このような残酷極まりない振る舞いを、人々は認めると、ジルは迷うことなく断言した。
「それはお前たちの勝手な妄想だ!歪な社会構造を作り上げ!集団心理により大衆の心理をコントロールしているだけだ!人々の弱みをつけこんで甘露を与えるだけだろう!」
「いいや?支配とは体裁。救いだ。この先何があっても『私たちは支配されていたのだから悪くない』と言い訳をする。逃避先を作ることで彼らを救っているに過ぎない。為政とは万能ではない。強い意思があればはねのけられることはお前自身が証明しているだろう」
エルフを含め亜人たちの扱い。その背景にはオルヴェリンの体制維持が名目としてある。肥大化した都市国家は、限られた資源を得るためにどこからか奪わなくてはならない。
「オルヴェリンの長い歴史で、この体制に異を唱えたのはお前一人だけだよカーチェ。皆、言い訳がほしいだけだ。言い訳さえあれば、人は差別も容認するし、私刑とて容認する。これが人の本質だ、否、本性とも呼べる」
ジルの目には光がなく、ただ虚無を見ていた。彼は決して机上の妄想を口にしているのではない。知っているのだ。彼は人の本性を。弱者の醜さを。弱者のために戦った一人の男の末路を。
「ふざけるなッ!抗えないのは本心でそれを求めているからだと?私たちが守っているのはまさにそういった弱者たちのはずだ!強い意思を持たぬ、持つことができない無辜の民を救えずして何が騎士というのだ!」
しかしカーチェは違う。そんな弱さを持つ人間もいるからこそ、守らなくてはならないと、そう昔から夢見ていたことなのだから。
「そこが間違いなのだ。我らの使命は虐げれし弱者を救うこと。強者として正しき扱いを弱者に施せば良い。良いか、弱者とは罪なのだ。弱いからこそいくらでも残酷になれる。故に、我々強者が導く必要がある。それが使命であり強者として生まれた天啓なのだ」
弱者を救う。その考えにジルもまた否定するつもりはない。
違う点があるとすれば彼にとって救いとは"適切な管理"である。それが彼の人生において導き出された答えだった。
「違う、それはただのエゴだジル!仮に崇高な目的があったとしても手段を履き違えては正義がない!本当はお前も分かっているから支配だの差別だので管理する社会に、楽な道に賛同しているだけなのだろう!他者を蹂躙し!差別し!虐げることでしか維持できない社会など、最初から、根っこから腐りきっているのに目をそらしているだけだ!」
その瞳には曇り一つない透き通ったものだった。
『ジル、私は必ずこのみんなを……』
記憶が逆流する。茜色の空、日が沈み眼下に広がるは平穏を生きる民草。
ただ純粋無垢な瞳で彼女は答えた───記憶にモザイクが、砂嵐が走る。
それは、とても不愉快で、見るに耐え難いものであった。捨て去りたい過去、捨て去りたい記憶。人の業。彼女を見ると思い出す。
「……そうだな。貴様の言うことは恐らくは正しいことなのだろう。童に読み聞かせる絵本ならば、きっとそれが間違いない。だが現実は違う。知らないのだお前は。人は、どこまでも利己的で、一貫性などなく、ただ一つの正義を信じ歩むことなど到底できない」
言い聞かせるようにジルは斧槍を構える。心を殺し、ただ前だけを見る。脳髄に刻まれた血濡れの記憶振り払うように。
「言葉では伝わらないだろう。故にこれ以上の問答は無意味。己が正義を示すならば、その力をもって示せ、神聖五星騎士カーチェ!!」
こういう人種を、ジルは知っている。
だから問答は意味をなさないと理解している。
"死ななくては"分かってくれないのだ。否───"死んでも"きっと、理解できないのだ。
「良いだろう、受けて立とうジル!いや神聖五星騎士の第一柱ジルよ!私は私の正義を信じ、今ここに剣を取る!」
異郷者ジル。その肉体は術の類全てが無効化される。それはジルの持つ理。あらゆる超常的現象を否定する。
夢は終わり、白日のもとにさらされる。その加護こそがジルの持つ唯一無二の力。異郷者としての理外の力。
ハンゾーが力を振り絞り一歩前に出ようとしたところを、止められる。宗十郎であった。
「何故だ。三人がかりで奴に挑めばより確実に……」
「確かにそれは一番であろう。しかし、俺もカーチェも……お主ほど割り切れないのだ。これはカーチェにとって心の踏ん切りをつける大事な戦い。どうか見守っていてほしい」
そう、カーチェが前に出た理由はそこにある。この戦いはオルヴェリンとの決別を意味する。故にカーチェが戦わなくてはならないのだ。カーチェが斬らなくてはならないのだ。ハンゾーは宗十郎の意図を察し立ち止まる。
「行くぞカーチェ、我が騎士道に基づき、貴様をこの手で屠ろう」
───これは手向けの花だ。人の業を知らぬまま育ったオルヴェリンの少女。現実を知るにはあまりにも残酷で、あまりにも報われない。ならば騎士として、綺麗な思い出の中で、散ってもらうことこそが、最後の情けなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます