戦い終わり
「ファフニールは滅んだか。まさか再度戦うことになるとは思わなかったが……」
ファフニールを弔う宗十郎の姿をジークフリートは見ていた。恐らく彼は自分と同じく、異郷者。だが死者を弔う文化はあるのだと察せる。生命を軽んじる幽鬼ではない。
「お主は……ジークフリートと言ったか」
宗十郎は立ち上がりジークフリートに相対する。奇妙な風体の男であった。戦士であることは一目瞭然である。軽装の男だ。だがなぜだろうか、まるで重鎧武者を相手するような威圧感。この男は、まだ自分の力の底を見せていない。
「待て待て!宗十郎!その者と戦うつもりか!?彼に敵意はないだろう!」
無言で見つめ合う二人にカーチェが割って入る。不穏な空気を察したのだろうか。
「……いや、戦うつもりなど毛頭にない。むしろ詫びねばならぬ。此度は知らぬとは言え貴様の宿敵ファフニールに横入りをしてすまなかった。拙者の名は千刃宗十郎」
「千刃……宗十郎……ファフニールの件ならば気にしていない。むしろ助かった。奴は弱っていた故に、バルムンクの一撃で倒すことが出来た。貴様はこの世界の者なのか?」
「……否、拙者はこの世界で云う異郷者。招かざる客人。お主はどうなのだ」
「同じだ。気が付いた時、この世界にいた。だが分かる。この世界には俺を必要とする声が。おそらくはファフニールのような打倒すべき悪が跋扈している。それに異郷者……全てが善なるものとは限らない。宗十郎、どうか協力してくれないか。この世界に蔓延る悪を倒すために、英雄として」
不滅の勇者ジークフリート。彼は英雄と呼ばれる存在であった。弱者のために立ち上がり、悪を滅ぼす剣。
カーチェは震えていた。そうだ、このような者を私たちは望んでいたのだと。宗十郎もまた、そんな彼に感銘を受けるに違いない。彼らの圧倒的な力をもってすれば、オルヴェリンの抱える悪など敵ではないに違いないと思った。
「断る」
だが宗十郎は英雄ではない。ブシドーだ。世界を救う大命なんぞ興味はない。
「何でだよ宗十郎!今のは協力する流れだろ!ほら……その……ジークフリートさんを仲間にしてこの世界に蔓延る敵を倒して世界を救う流れだろう!!」
「別に世界などどうでも良い。拙者にとって第一使命は主君を守ること。主君の無事を確認すること。それ以外のことなど、全てが些事だと言っただろう」
唖然とするカーチェ。やはり理解できぬこの精神性。これではジークフリートにも失望……かと思いきや笑っていた。仏頂面に見えた彼が笑っていたのだ。
「ハハハハハ、なるほど。お前には大切なものがいるのだな。世界の危機が些事と思えるほどに、大切な、守りたいものが。なるほど、お前は英雄失格だ。世界よりも一個人をとる。そのようなものは英雄にはなれない。だが……俺はお前が羨ましい。迷わず世界よりも一個人の為に戦えると断言できる、そのような出会いがあったことに」
「ふ、無論であるジークフリート殿。拙者は良き主君に恵まれた」
ジークフリートは背を向け立ち去る。宗十郎とは住む世界が違うのだと確信したのだ。
「あ……あぁ……折角友好的な異郷者と出会えたのにぃ……どうするんだ宗十郎!あんな頼りになる味方の誘いを断るなんて!」
「……?お前はそれでいいのかカーチェ?奴は世界を救うために戦うと言った。即ちそれはオルヴェリンの為に戦うわけではない」
そう、英雄とは即ちそういうものなのだ。特定個人の為でも、特定組織の為でもなく。ただ虐げられし人々いるところに参上し、平等に手を差し伸べる。それこそが英雄たる所以。
「!……た、確かに。宗十郎、まさかお前そこまで考えて……?」
「さてな、だがカーチェよ。案ずるな。奴とはまたいずれ出会える気がする。拙者のブシドーセンスがそう囁いているのだ」
ブシドーセンスとはブシドーによって磨き抜かれた直感である。熟練したものであれば未来予知じみたものも可能である。宗十郎は未熟であるが故に断定的な未来までは見えない。だが予感、虫の報せ。そのようなものがブシドーとしての宗十郎には感じたのだ。
「さて、ともかくだ。本来の目的を果たすとしよう。ボスゴブリンの首。あれを持ってオルヴェリンに報告をしなくてはならぬ」
宗十郎とカーチェはゴブリンの巣まで戻る。あれだけいたゴブリンたちはいなくなっていた。宗十郎とカーチェがファフニールとの戦いに目を向けている間に逃げ出したのだ。
だが一人、宗十郎を待っている者がいた。女ゴブリンのリンデである。
「他のゴブリンどもはどうした?投降すると聞いていたが」
「私が逃しました宗十郎。どうか気を悪くしないでください。私たちは宗十郎の言葉を信じています。ですが……そこの女はずっと私たちへの殺意を消していないのです」
リンデの言葉を聞いてカーチェは食いかかるが、宗十郎に静止させられる。
「どけ宗十郎!見ただろうこやつを!私たちの目を掻い潜って狡猾に仲間を逃したのだ!そういうものだ!信用するだけ馬鹿を見る!!」
「否、彼女の言う事は一理ある。それは今のお主が証明しているぞカーチェよ。オルヴェリンには強い差別意識があるようだな」
「人類に害するから始末するのだ!私たちは文化人だ!好んで殺戮するわけではない!」
「ほう?言質をとったぞカーチェよ。つまり彼女が……リンデが人を害さないのならば始末しないと?文化人故に?」
「!……なっ……な……!」
カーチェは狼狽えた。失言だったと後悔するが既に遅い。元より宗十郎とは考え方、物事の価値観がまるで異なる。まさかそのような目線で反論されるとは思ってもいなかったのだ。
「ブシドーに二言はない。嘘偽りなど恥知らずも良いところ。はて、この世界の"騎士"とやらはどうなのだ?誇りは、誉れあるものなのか?」
"誇り"。それは無論カーチェにもある。故にそれを出されると反論の余地はなかった。
「ぐっ……勝手にしろ!だが私は黙認するだけだ!庇いきれないときは黙殺するぞ!」
「それで良い。元よりリンデが人に害なすのであれば、拙者が誰よりも首刎ねよう」
宗十郎であれば迷いなしに刎ねるであろう。その安心と信頼はカーチェには間違いなくあった。だが……だが……ゴブリンを街に受け入れるなど到底許容し難いのも事実としてある。
「幸い姿は他のゴブリンと異なりほとんど人間と変わらぬ。その長い耳を隠せばどうにでもなるだろう」
女ゴブリンはゴブリン族の繁栄のために強いオスと交配することが目的としている。だが外見については単純に母親の遺伝子を強く受け継いでいるだけなので、特に深い意味はないのだ。そう、強いオスとの交配を目的としている。リンデは宗十郎に抱きつき、トロンとした目で囁いた。
「宗十郎、どうか私と交配を、婚姻を結んでもらえませんか。夫婦になりたいのです」
それは明白な求愛行動であった。当然である。単独でゴブリンの巣に攻め込み壊滅させただけに留まらず、長年に渡りゴブリンを虐げ、ゴブリン戦士を容易く殺戮してきたファフニールと渡り合うその実力。彼女が恋をするには十分すぎるほどであった。
「おい、宗十郎から離れろゴブリン。今すぐ私の手で殺してやるからな?」
「気遣いは不要だカーチェ。ゴブリンと婚姻を結ぶつもりは毛頭にない」
「宗十郎……!信じていたぞ、お前ならそう言ってくれると!」
だがリンデは納得がいかない。首を横にふり離さないという様子だ。女ゴブリンはその生態故に一度やると決めた相手には一途なのだ。そこは通常のゴブリンと変わりない。己が欲求に忠実なのだ!
「これはブシドーの問題だリンデ。拙者にはそもそも婚姻の自由などない」
ブシドーは勝手な婚姻を結ぶことは許されていない。強い家と繋がることでより強いブシドーを磨き上げていく……即ち、親や主君、師の許しなくして婚姻などありえないのだ。
「なんだそれは……随分と前時代的というか……しかし宗十郎、お前にも師と仰ぐものがいるのか?その実力で?」
「無論だ。そもそも拙者などブシドーとしては半人前。我が師は齢八十を超えるご老人であったが、そのブシドーは今も冴えわたる。幼き頃から拙者にブシドーを教えてもらった。それは戦いだけではない、礼節や学問までも……最早、もう一人の親とも呼べる」
カーチェは軽く引いていた。宗十郎のような異郷者を他に見かけた報告はない。彼のいた世界はどんな魔境なのだろうか。彼のような人間が山ほどいて競い合っている地獄のような世界があるというのか。
「しかし、それでは宗十郎。この世界で一生婚姻を結ばないということにならないか?」
「いかにも。リンデも理解したか?お主の想いに応えるということは拙者がブシドーでなくなるということ。それはお主の本懐ではあるまい」
その固い決意。魂レベルに刻み込まれた決意をリンデは見た。ブシドーというのはいまいち分からないが、この男を納得させるには一筋縄ではいかないということだけは分かる。
ここは大人しく引き下がり頷く。リンデに企てがあった。今はこの男の傍にいて、この男がどんな女性を好むかじっくりと観察し、それに応えることにしたのだ。男の篭絡は女ゴブリンの得意技なのだから。
オルヴェリンの相談所。宗十郎たちは早速ボスゴブリンの生首を引き渡し、ゴブリンの巣を潰したことを報告した。
「え……は、早いですね!あぁ異郷者の方ですか道理で。どうぞこちらが報酬です」
金貨のようなものを受け取る。それを宗十郎は三等分した。
「ちょ、ちょっと私はともかくゴ……リンデにまで与えるのはどうして?」
「寝食ともにするとはいえ自由に使える金は必要であろう?」
───寝食?その言葉にカーチェは唖然とした。
「ま、まさかお前……そ、そいつとあの家に住むというのか」
「そうだが、何か問題でもあるのか」
「大ありだ!知らんぞ私は襲われても!!」
「その時は斬る故、問題ない。夜襲など拙者のいた世界では日常茶飯事。当然の戦法故にブシドーは対応できるのが自然」
本当に対応するだろうから、カーチェは何も言えず「ぐぬぬ……」と歯を食いしばる。そしてそれが一番問題の起きないやり方であることも。女ゴブリンなどという危険極まりない存在を監視する……そう考えれば確かに宗十郎のもとにいるのが一番良いのだ。
だが……だが……。頬を染めながらそれでいて嬉しそうに笑みを浮かべるリンデの姿を見ると論理的には理解できても感情的には納得できない。
「あ、宗十郎様、忘れていました。今回の依頼達成の追加報酬です。依頼主から渡すように言われていまして……」
相談所窓口の女性が紙切れを三人分持ってきてそれぞれに手渡した。紙切れにはコンサートチケットとある。ゴブリンの巣が原因で人の往来が難しかった為に、コンサートの開催が困難だったのだ。
「コンサート……?なんだこれはカーチェ」
「これは……今、流行りのアイドル、ゆうゆうのライブチケットだな。コンサートっていうのは……歌って踊ってる姿をみんなで見る行事……といえば伝わるか?」
「ほう!舞踊か!いや結構、恥ずかしながら拙者はそういうのには疎い。父からも主君からも堅物故、少しはこのような娯楽を勉強せよと言われたものだ」
血と汗にまみれたように見えるブシドーの世界だが、こうして雅さを尊う心もあるのだ。これを彼らは膳の心という。舞、歌、書、茶……文化を尊んでこそ一流のブシドーなのだ。
「いや……多分、宗十郎の思ってるのと違う……」
「何を言うか。そもそもこの世界全てが拙者の生きてきたものと違う。今更舞踊の差など些事よ。折角頂いたのだ。是非ともこのゆうゆうとやらの舞踊を楽しもうではないか」
宗十郎は心躍らせた。おそらくはこのゆうゆうと云うもの。聞くには多くのものを魅了している達人舞踊者。巧みな技で人を惹き付けるというのはブシドーに通じるものがある。そう、分野こそしは違えど達人と呼ばれるもののタクティクスはブシドーにもまた強い影響を与えるかもしれないのだ。
本来、宗十郎が力不足でなければ、主君を敗走させることなどなかった。この事態は自分の不徳が招いたもの。次の機会あれば、同じ過ちは繰り返さない。一皮むける、そのきっかけになるやもしけぬと……ブシドーセンスが虫の報せを宗十郎に囁いているのだ!
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