一章 旅立ち⑦

(なんて自分勝手な願いかしら。何もできないのに、失望だけはさせたくないだなんて……)

 改めて自分自身が胸の内に抱いた感情を叱りつける。

 令嬢として振る舞えないのであれば、せめて侍女としてならどうだろうか? いや、それこそ本末転倒だろう。

 グランツ様は“侍女”ではなく“令嬢”としてのイヴを迎えたいと思ってこの話を受けた筈なのだから。

 プルプルと首を左右に振り余計な考えを散らす。 

(令嬢らしく……令嬢らしく……)

 そう自分自身に言い聞かせながらソファーで身体を休めていると、ボーンと重く沈んだ時計の鐘の音が鳴った。約束の時間になったのだ。

「イヴリース様、中庭へご案内致します」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 イヴはソファーから立ち上がると、迎えに来たシンシャの後を付いて歩きながら屋敷の中を改めて見回した。

 長い廊下の左右には幾つもの部屋があり、中の様子を窺い知ることはできないがきっと書斎や執務室などもあるだろう。

(書斎があったら……本を読んで過ごしてみたいわね)

 そんなことがまかり通るかは分からないが、本を読んで現実逃避をしたいと願う悪癖がひょっこり顔を出す。

 それでも今は前を向かなければならない。

 リセッシュ家の令嬢として、ファブリーゼ家当主と対面しなければならない。

 疑心に満ちた思いを抱くことは失礼極まりないだろう。けれど今の自分自身の心を守れるのは、自分だけなのだ。 

「…………」

 言葉にも、表情にも出さないままイヴは悩んでいた。

 今回のこの話は、誰が仕組んだものなのか、と。

 実父ブルタールは何も言わなかった。 

 義母達にファブリーゼ家へ行けと言い渡された時も。

 屋敷を出る時ですら、見送りに出て来てくれることはなかった。

 だから、何も知らないイヴはただひたすら邪推することしかできない。明るい話であると、心の底から喜べないのは自分自身でも悲しいが、長年培われてきた警戒心が密かに心を揺らしていた。

 噂には、聞いたことがあるのだ。

 仮面夫婦と呼べばいいのか。

 婚約、結婚をしたとしても愛を育むことがない契約婚があるという。

(そうよね……。契約結婚ということも充分にあり得るんだわ)

 イヴ自身、グランツ様から寵愛を受けられる身分だとは思っていない。家柄はどうであれ、世間体がどうであれ――接点が、きっかけが何一つないのだから。

 黒い髪も瞳も地味で、華やかさの欠片もない。

 シュヴァルツシュヴァインだと揶揄されてきた自分を大切にしてくれる異性など、夢のまた夢なのだ。

 今こうしてファブリーゼ家に滞在していることですら、半ば夢だと思っている。

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