第2話:彼の思惑
甘味の街へと方向を定めた夜。一日のルーティーンを終えたリュウゼンは、いつも通り見回りを行おうと外へと向かいました。
相変わらず魔獣の気配はあるものの、結界を越える程の物とは思えません。下手に刺激を加えないよう、軽く確認だけを行なって、靴先は再び荷車へと向かいます。
─ミルラ、もう寝たかな……─
ターフに灯りはついておらず、声や物音も聞こえません。チラと覗いてみた所、稽古の疲れもあったのか、彼女は健やかそうに寝息をたてていました。
─……幸せそうな顔してる─
タブレットの側には、気になる店や物などが記載されたメモが置かれています。その詳細まではわかりませんが、リュウゼンにはとてもキラキラした物のように思えました。
靴を脱ぎ、彼女の包まっている寝袋から少し離れて、リュウゼンはカーペットの上に座ります。彼女を起こさないように体を横たわらせ、ぼんやりと天井を見上げました。
─どうしよう、この先の事……─
ここに至るまでの間、ミルラが並々ならぬ努力を重ねている事を、彼もよく理解していました。生まれ故郷では大変な目に遭いながらも、懸命に独り立ちを志すミルラ。そんな彼女にとって、甘味の街は羽を休めるひと時にもなりますし、彼もまたそうあって欲しいと願います。
しかし彼には不安な点がありました。その原因は言わずもがな、彼自身。彼は未だに自分の素性を話せておらず、それに纏わる問題なども伝えられないままでした。
─どうしよう……ちゃんと話をすべきだとはわかっているのだけども……─
悪き血、災害の魔人の血を引く身体。どう足掻いても変えれない事実に、彼は苦悩を抱えます。災害の魔人が犯した罪は数知れません。名の通りどうする事もできない男に対し、世間はその息子であるリュウゼンに良い感情を向けれる筈がありません。
─存在してはいけない命……消えなきゃいけない存在……それが自分だとわかっている……─
不幸にするだけの血を認めたとして、誰が幸せになるのでしょう。災害の魔人が跋扈する度に世間は彼を恨み、どうする事もできない状況の上、その血を引く者達を憎まずにはいられません。
リュウゼンはふと、徐に置いてあった私物の袋に手を伸ばしました。そこから取り出したのは、小さなケース。中には度の入っていないアンダーリムの眼鏡が収められており、彼はそれを装着します。
─正体がバレて殺された者もいると聞く……周りにいた者が見逃されるとは限らない。俺はまだしも、ミルラに何かあったなら……─
軽くつるをタップすれば、肌越しに魔力が吸われるのを感じます。何らかの魔法が組み込まれているのでしょう、ケースの中にあった鏡を覗き込むと彼の瞳が紫からオレンジへと切り替わっていました。
─良かった、直ってる……肉の都に入る前は、何故か不調だったけど……─
理由が自身の機械音痴にあるとは気づかず、リュウゼンはほっと安心します。黒髪は勿論、オレンジ色の瞳は魔人にとってかなりメジャーなものでした。加えて彼はそこまで存在感が無い為、こうした簡単な変装をするだけで、どこにでもいそうな一般人として認識されるでしょう。
─もう少し俺が強かったなら……こんな事しなくても良かったのにな……─
ミルラに手解きをしているとはいえ、彼は特別強いわけではありません。一人で旅ができるとはいえ、その実力は平均止まり。強い魔獣や複数人の魔人に囲まれればひとたまりもありません。
─もう少し俺がまともだったなら……誰かに迷惑もかけず、孤独にもならなかっただろうか……─
そう思った瞬間、心の奥が脅かされるようにゾワリと背筋が凍ります。嫌な予感を察し、リュウゼンは大きく頭を振りました。
─やめろ、だめだ。考えちゃいけない……薬もそう無いのに、ここで発作が起こったら……─
リュウゼンは別の事を考えようと必死になります。身体を抱きしめるようにキツく両手を肩に回し、服越しに爪が食い込みました。
─ダメだ、今は……できない……─
震え出しそうになる身を懸命に抑え、意識を別の方向へと逸らします。揺れる視界の中、ふと、その端にミルラを捉えました。彼女は深く眠りについているのでしょう。夢から覚める気配はありません。
─……ミルラ……─
穏やかな眠りに笑みを浮かべているミルラ。リュウゼンはその表情を見て、更に心を痛ませます。
─素直で愛嬌があるのに大変な目に遭って……ようやく地獄のような日常から抜け出せたのに……俺のせいでこの子を不幸にさせてはいけない……─
リュウゼンは意識を少女へと向けようとします。彼女は幸せにならなきゃいけない。その妨げになってはいけない。自分を奮い立たせて、その先に陥らないよう足掻き続けます。
今暫くの時間は必要でした。しかし彼の努力は功をなし、次第に身体の震えが収まってきます。暴れ出しそうだった心も落ち着き、彼はようやく深い呼吸を許されました。
─良かった……久々に薬を使わず収まった……─
滲み出た汗を拭いながら、リュウゼンは細く息を吐き出しました。まだ心臓の音が大きく響いていますが、次第にそれも落ち着くでしょう。
─伝えなきゃいけない……けど今は、その時じゃない……─
今の彼女は、一人で生きていく術を持ち合わせていません。彼から逃げ出したは良いものの、その先みすみす命を落としてしまえば、自分が彼女を殺したようなものだと考えてしまいます。
─ちゃんと、伝える……彼女が俺から逃げても、大丈夫になった頃に……─
軽蔑されてもいい。石を投げられたって構わない。だけど今は誰の得にもならないと彼は思ってしまうのです。
─大丈夫、慣れてる……大丈夫、別にいい……今はただ、正体がバレないようにだけ努めれば良いのだから……─
リュウゼンはこの先に訪れる甘味の街を思います。流行に敏感な街ですから、きっと彼の事を知る者は少なくありません。
それなりの努力が必要でしょう。彼が「彼」として在らない為に。その為に必要な事は、ちゃんと彼もわかっています。
─馬鹿だな、俺は……こんな気味の悪い瞳なんて晒したから……自分の本名なんて伝えたから……─
だからそう、こんなにも変な気持ちになってしまうのだ。そう結論付けた彼は、意識を放り投げてしまおうと、瞼を深く閉ざします。疲れ切った心と身体は、思いの外その意志に沿った動きをしてくれました。次第に彼の意識はどんどん現実世界から切り離されていきます。
─馬鹿げてる……でも、何で……何で俺、あの子に名前を告げたんだろう……─
正体を隠すべきだと思っていたのに、何故。瞳については言い訳がつきますが、名前に関してはその理由がわかりません。
─いつもの偽名、使えば良かったのに……なんで俺、彼女に本名を……─
知られたくない筈なのに。そう思う頃には彼の意識は遠い夢の奥深くへと引き摺り込まれてしまいました。
翌朝、リュウゼンは何事もなかったように稽古を勤しんでいました。少し遅く起きたミルラは、見慣れない眼鏡に驚きます。
「どうしたのですか、それ……」
まさか義眼に問題でもあったのかと不安になる彼女に、リュウゼンはできるだけ優しく首を横へと振りました。
「変装だよ。ここから先は、流行に敏感な魔人が増えてくるだろうからね。色々と自分を……『リュウゼン』を消さなければならないんだ」
幾らメジャーな色だとはいえ、常々見続けてきた紫からの変化に、ミルラは戸惑いを覚えます。可哀想だとは思いましたが、彼には更に『彼』を隠す手段を伝えねばなりません。
「それとね、これからは俺の事をアンバーグリスと呼んで欲しいんだ」
「アンバーグリス……肉の都を出る時にも使った偽名ですよね……」
ミルラは故郷を出る際に通った門の事を思い出します。書き慣れた手つきで記された書類と偽名。理由こそ察していましたが、説明がない以上、深くは触れないようにしていました。
「ああ。俺の名前も良い意味で広まっていないからね。下手に俺がリュウゼンだと知られてしまったら、君にも危害が及んでしまう」
「それはその……その通りなのですが……」
ミルラは更に戸惑いを見せましたが、リュウゼンは双方の為にもそれを取り消す事ができません。
「大丈夫ですか、リュウゼン様……」
疲れを隠せない表情に、ミルラは不安と心配を募らせました。
「お互いの為だとはわかっているのですが……だとしてもリュウゼン様に負担がかかっているように思えます……」
「……大丈夫だよ」
リュウゼンは彼女から視線を外します。
「大丈夫。リュウゼンなんて本来は居ない方が良いんだよ。消えてしまった方が良い。けど、卑しくもそうできないのだから……こうするしかないんだ」
「…………」
かける言葉が見つからず、ミルラは地面を見つめます。二人の空気を揺らがすように、朝食を温めていた鍋がカタカタと音を立て始めました。いけない、とわざとらしく慌てた様子で、リュウゼンは蓋を外します。
「なんて、詳細も伝えられてないのに言われても困るよね。今朝は少し冷えただろう。ほら、つみれ入りの生姜スープだよ。しっかり食べて温まるといい」
「……有難う御座います」
下手なりに演技をする彼に対し、ミルラもまた笑顔を作り上げました。違和感に足掻いたところで彼の為にならないと、飲み込むしかなかったのです。
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