第13話 氷鬼
「ねぇ、どうやったらピッチを合わせられるようになるのかな?」
翌日の昼休み。俺たちパートリーダーは練習方法についての作戦会議をしていた。
「それはもうひたすら歌って、ダメだったら止めてを繰り返すしかないんじゃね?」
天ヶ瀬さんの問いに対して達也がスポ根的な方法を提案する。
「そっかー。やっぱり根気強くやるしか上達の道はないのかぁ」
「それよりもそろそろどうやってこの曲を表現するかを決めないと遅いと思う」
一方、和田さんはその一、二歩先をいく内容を既に考え始めていた。
「うーん、女子は結構揃ってきてると思うけど男子がなぁ……」
やはり音楽系になると平均的な技能レベルが女子の方が高い傾向がある。
それはうちのクラスも同様だった。
「よし、男子はもう気合で歌いまくるしかないな!」
俺は腹をくくり、達也の提案した正攻法で練習を進めることにした。
そこからはとにかく歌っては間違えた場所で止めてを繰り返し、徹底的に音を覚えこませた。おそらく音楽をやってこなかった人からすれば体で覚えるのが一番早い。
それはあながち間違っておらず、週の後半にはなんとかバラバラだった音が一つの音階に揃ってきた。
やればできる子一年五組! この調子なら和田さんの目指すステージにも少しずつ移行できるのではないか。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。
*
「ストップ。今のところテノールもっと優しく、ソプラノは音程下がり気味だから気を付けて」
普段は淡々としている和田さんだが、音楽のことになるとその熱量はすごかった。
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それが中学時代の和田さんの合唱祭シーズン限定のあだ名だと矢川が言っていた。
淡々と的確に何度でも。その徹底した指導から誰かがそう呼び始めたらしい。
「はい、じゃあもう一回さっきのところから」
和田さんの指摘している内容は的確だし、クラスのみんなもなるべくそれに応えようとしている。
しかし毎日朝練、闇練と続けてきている中で、徐々にモチベーションに温度差が出てきてしまっているのも事実だ。
そして事件は起きた。
反復練習に飽きてきていた大沢がふと遊び半分で体をオーバーに揺らしながらオペラ歌手のモノマネをしながら歌い始めたのだ。
するとつられて周りの男子が吹き出し、もはや合唱どころではなくなってしまった。
「ねぇ男子、ちゃんと歌って!!」
いつもの和田さんからは想像できない、大きく叫ぶようなその声に教室内が空気が張り詰める。
「なんでふざけるの? ちゃんと歌えてないんだから真面目に練習してよ!」
「いや、俺ら真面目にやってんじゃん。ちゃんと声出してるし音も合わせてるし、お前が勝手にケチ付けてんだろ。何が納得いかねーんだよ」
「全然ダメ。音程だってまだ完璧じゃない。それにこの歌は大きな声出せばいいって曲じゃないの。わかるでしょ」
「わかんねーから言ってんじゃん! お前こそ俺らがどれだけ練習したと思ってんだよ」
「そんなの結果が出てないんだからわかるわけないでしょ」
「はぁ!?」
最後の一言でついにキレた羽村が前に出ようとすると
「落ち着いて! みんな一旦落ち着いて、ね?」
天ヶ瀬さんが慌ててこの場の収集にかかった。
「羽村君、気持ちはわかるけど確かに和田さんの言う通り、私たちのレベルはまだまだ他のクラスよりも低いと思うの。だから合唱祭までの間もうちょっとだけ頑張ろう?」
彼女が珍しく自分の意見を強めに伝えたことで羽村も「わりぃ」と引いた。羽村も案外大人な対応をするんだな。
しかし問題はこっちの方だった。
「和田さんも一回落ち着こう? 和田さんの言ってることは正しいし、いつもみんなを引っ張ってくれて本当にありがとう。でも男子が頑張ってるのも本当だからそこは認めてあげよう? それからみんなでまた一緒に――」
「……それじゃ勝てないの。そんな甘いこと言ってたらいい合唱なんてできない」
「和田さん! それはわかるけど、でも今はみんなで団結しないと」
「じゃああなたがなんとかしてよっ! もう私は何も言わないから!!」
そういって和田さんは教室から駆け出して行ってしまった。
去り際に一瞬、彼女の頬に涙が伝うのが見えた。
「おい、もういいから放っておこうぜ」
「そうだよ、ウチらで楽しくやろうよ」
教室内の空気は完全に和田さんを悪者として扱ってしまっている。
(さすがにこりゃキツイよな……)
こういう場面では正直歩み寄りも大事だ。
和田さんに悪気が無いことはわかっているけど、どうしても「もっと丸く納められれば」という気持ちが勝ってしまう。
さて、この雰囲気をどうやって修復しようか。そう逡巡し始めた時だった。
「ダメだよ」
そう口火を切ったのはまたしても天ヶ瀬さんだった。
「和田さんも一緒じゃなきゃダメだよ。たとえ揉めたりぶつかったりしても私はちゃんとみんなで歌いたい。だって来年はもうこのクラスで歌えないんだよ? それなら泣くのも笑うのも一緒がいい」
天ヶ瀬さんの瞳にも涙が浮かんでいた。
そっか、二人とも方向性は違うけど本気なんだな。
どこかで小さな火が灯る音がした。
それはまだとても小さく、ちょっとの風ですぐに消えてしまうかもしれない。
それでも今はこの火を消さないように……
気づけば俺は走り出していた。
(和田さんを見つけなきゃ!)
俺は校内を駆け回る。
音楽室や図書室などを探してみたが見当たらない。
荷物はまだ教室にあったはず。
しかしその後も校内を探したがどこにも和田さんはいなかった。
(あとは……あそこか)
俺はサンダルからローファーに履き替えると、ある場所へと向かった。
*
「大丈夫?」
なんて声を掛けていいかわからない。でも声を掛けなきゃ始まらない。大丈夫な訳なんてないのに結局そんな気の利かない言葉しか出てこなかった。
「なんで来たの。私抜きでも練習できるでしょ……」
和田さんはいつも闇練をしている河原の土手に座り込んでいた。彼女の綺麗な顔に残る涙の跡を夕日が照らす。
「何もフォローしてあげられなくてごめん」
「そんなのいらない。だってあれは私の我儘だから」
「それでも勝ちたかったんでしょ?」
「そうだけど。そうだけど……それは私の勝手な願望だから」
和田さんは何か言い淀んでいるようだった。
「和田さんはなんでそこまで勝ちにこだわってるの? やっぱり音楽が好きだから?」
そもそも何故彼女が異様なまでに勝利にこだわるのか、まずはその理由から知る必要がありそうだ。
「もちろんそれもある。やっぱり綺麗な音楽にしたいから。でもそれだけじゃないの」
そういうと和田さんは「言葉にすると本当に大した事ない話なんだけど」と前置きをし、その理由を語り始める。
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