第45話 喧嘩をしてる場合じゃない
「なっ、こいつ……!」
両腕を巻き込みながら胴体に巻きつかれ、自由を奪われる。
そうして身動きのできなくなった獲物を逃さんとばかりに、あやかしの群れの奥から『それ』は正体を現した。
無数の小さなあやかしたちを押し退けて姿を見せたのは、木桶に入った女の生首だった。
絢永たちの体に巻き付いた長い髪の毛は、その生首の頭部から生えている。
女は紅の差された口を大きく開け、絢永の体を丸呑みにせんと迫る。
「くそっ……仕方ない。絢永! 撃つぞ、一発目!」
足を掴まれて地面に転がったままの栗丘は、自由の利く両手で銃を構える。
「待ってください。まだ……!」
絢永の制止の声に構わず、栗丘は手元の引き金を引いた。
直後、腹の底に響く重低音と共にトドメの一発が発射され、それは正確に女の脳天を一瞬にして貫く。
見事に急所を撃ち抜かれたあやかしは、甲高い断末魔とともに光の粒子となって砕け散った。
「ああ……貴重な一発が」
自由になった体で、絢永はがっくりとその場に膝をついた。
「大丈夫か、絢永!」
すかさず駆け寄ってきた栗丘に、絢永はキッと眼鏡の奥から睨みつける。
「あなたね。こんな序盤から大事な弾を消費して、一体何を考えてるんですか? 軽率にも程があるでしょう!」
「なっ、なんだとぉ!? せっかく助けてやったのに!」
「僕は頼んでません!」
二人でギャーギャーやっている間にも、暗い空からは無数のあやかしが降りてくる。
目の前の絢永に気を取られていた栗丘は、すぐ後ろに迫っていた小さな獣の存在に気づかず、左手の甲に歯を立てられて飛び上がった。
「
反射的に左手をバタバタと振ると、そこに噛みついたままの獣も同じように揺れる。
事態を把握した栗丘がもう一方の手でそれを払うと、獣はたちまち煙となって消えた。
「くっそー。油断も隙もありゃしないな」
「どうやら喧嘩している場合でもないようですね」
周囲では大小様々なあやかしたちがこちらを睨んでいる。
武器も体力も温存しながらの耐久戦は、予想以上に困難を極めそうだった。
「うーん。さすがに、あんな高い所にある『門』は届かないなぁ。もうちょっと下の方でも開いてくれたらいいのに」
遥か頭上を見つめながらマツリカがぼやく。
「ダメだよ、マツリカ。今あそこに近づいたら、戦闘の邪魔になってしまう」
隣から、今にも事切れそうな声で御影が嗜める。
彼は胸の前で両手を組んだまま、苦しげに肩で息をしていた。
「別にあいつらの邪魔になろうが、あたしの知ったことじゃないし。ていうか、あんたは人の心配してる場合? 今にも死にそうな顔してさ。そんなのであと何時間も保つの?」
「怪我で体力を奪われるというのは、予定になかったからね。若い頃と違って回復も遅いし、さすがに体の老いを感じるよ」
笑おうとしたのか、喉を鳴らした御影はそのまま咳き込む。
「あんた、ここで死ぬ気?」
その問いに、彼は答えなかった。
しかし呪符の代わりとなった彼の体は、いずれ力を使い果たせば燃え尽きて灰になる。
早めにケリをつければ無事に生き延びられる可能性もあるが、この様子ではあと数時間も耐えられるとは到底思えない。
「ねえ、死ぬ前に答えてよ。あんたにとって、あたしは何だったの?」
「ずいぶんと難しい質問をするんだなぁ」
ぜえぜえと乱れる呼吸の隙間から、はは、と乾いた笑いが漏れる。
「君にとっては違っただろうけど……私にとっては、君は娘のような存在だったよ」
「うそ。ただの便利な道具でしょ。今日だって、門の開く場所を調べさせたくせに」
「ふふ。確かに、それは否定できないな」
自嘲しながら、御影はゆっくりと顔を上げ、尚も戦闘を続ける栗丘の横顔を遠く見つめる。
「でも、マツリカ。これだけは覚えていてほしい。たとえ血の繋がりがなくても、親子になれる人はいるんだよ。私にはその資格がなかっただけさ」
直後、御影は低い呻き声を漏らし、全身を丸めるようにして再び項垂れる。
マツリカが見ると、彼の肩口——はだけた襟の隙間から見える白い皮膚を、じりじりと焦がすオレンジの光が侵食していた。
「うっそ。もう限界きてるじゃん。ちょっとミカゲ。しっかりしなよ!」
いつになく慌てた様子でマツリカが寄り添うが、御影は額に脂汗を浮かべたまま返事をする余裕もない。
これ以上は御影の体が保たない。
マツリカは未だ戦闘中である二人の方をキッと睨むと、腹の底から声を張り上げる。
「いつまでもたもたやってんの!? 早く片付けてよ!」
突然のクレームを受けて、栗丘はあやかしの群れに蹴りを入れながら額に青筋を浮かべた。
「あぁ!? お前な! 簡単に言いやがって!」
隣で同じく苦戦している絢永は、マツリカの背後で項垂れている御影を見て状況を察し、焦りから下唇を噛む。
「
それを聞いたマツリカは、無言でその場から駆け出した。
そのまま戦場へ一直線に突っ込んでいく彼女の姿を、御影は霞みがかる視界で捉える。
「待ちなさい、マツリカ……!」
その声も虚しく、彼女はあやかしの群れの目の前に立ち、頭上の門を仰いで叫んだ。
「親玉はそこにいるんでしょ。隠れてないで、さっさと出て来なさいよ! 臆病者!」
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