第30話 一体どうすればいいんだよ

 

          ◯



 翌朝。

 いつものスーツ姿で満員電車に揉まれながら、栗丘はぼんやりと吊り革を見上げていた。


 昨夜は結局、一睡もできなかった。

 それもこれも、胡散臭い上司が嘘か本当かもわからない衝撃の事実を口にしたからである。


(俺の父親が、絢永の仇……?)


 二十年前に死んだと思っていた父親が、実は生きていた。

 本来なら喜ばしいことのはずなのに、今はとてもじゃないがそんな気分にはなれない。


 ——前回の出現から、今年でちょうど十年が経つ。つまり来月の大晦日の夜には、君の父親は必ずこちらの世界へやってくる。だからそれまでに、君がどうしたいかをちゃんと考えておいてね。


 昨夜の御影の言葉が、まるで呪いのように思い出される。


 ——君の父親を正気に戻すのは、おそらく不可能だ。だから私は、彼をこの手で殺すつもりでいる。できれば君にも協力してほしいけれど、嫌なら逃げてくれても構わない。あるいは私を止めたいというなら、全力で止めにくればいい。ただしその時は、私も容赦しないよ。


「そんなこと言われてもさぁ~~」


 両手で頭を抱えながら、栗丘はふらふらと電車を降りた。

 駅を出て警視庁舎へと向かう途中も、脳内に浮かぶのは不穏な未来ばかりである。


(そもそも、絢永はこの事実を知らないのか?)


 今までの絢永とのやり取りを考えると、彼はおそらく何も知らされていない。

 御影との付き合いは栗丘よりもよっぽど長そうなのに、なぜそんな大事な情報を共有していないのかは疑問だった。


(でも逆に知ってたら知ってたで、それも気まずいよなぁ?)


 家族の仇である男の、その息子が目の前にいるとなれば、復讐に燃える彼の胸中は穏やかではないだろう。


「あ~~、もう。こんな状況で、絢永にどんな顔して会えばいいんだよ……」


 考えすぎて頭がパンクしそうになっている栗丘の横から、


「呼びました?」


 と、聞き慣れた声が不意に届く。


「うわっ! 絢永ッ!?」


 いつのまにか隣にいた絢永に、栗丘は飛び上がって後ずさりした。


「な、なんですかセンパイ。そんなに驚かなくたっていいでしょう」


「あ、いや。ちょっと考え事してたから、気を抜いてて」


 しどろもどろになる栗丘を見て、絢永は怪訝な目を向けてくる。


「もしかして、昨日の話を気にしてます?」


「えっ!?」


 なんでお前がそれを知ってるんだ!? と栗丘は勢いで言いかけたが、


「家族を殺したあやかしを、僕が追っているという話……。あんなことを話されると、やっぱり引いちゃいますよね。もう十年も前のことなのに、未だに復讐することばかり考えているなんて」


 昨日の話、というのはどうやら御影の話ではなく、絢永が自ら話した内容のことらしかった。

 『復讐』という言葉を後ろめたそうに口にする彼の様子に、栗丘は慌てて否定する。


「あっ、いや、違う違う。引くなんて、そんな訳ないだろ! 俺が気にしてるのは別のことで。ちょっと個人的に悩んでるだけだよ」


「そう、でしたか」


 どこかホッとした様子で微笑む絢永。

 いつもの余裕を取り戻したのか、「あなたも人並みに悩んだりするんですね」などと軽口を飛ばしてくる。


「もし何か力になれることがあれば言ってください。僕でよければ、いつでも相談に乗りますから」


「あ、ああ。ありがとう」


 善意の塊のような笑顔を向けられ、栗丘の良心はズタズタに引き裂かれそうになる。


(言えない……俺がお前の追っている犯人の息子だなんて……!)




          ◯




 その後のパトロール中も、栗丘はひたすら悶々としていた。


 パトカー内では絢永が運転、助手席に御影が座り、栗丘は後部座席から二人の後頭部を見つめている。

 御影は昨夜の話には一切触れず、ひたすらあやかしの気配を追うことに集中していた。

 あまりにもいつもの光景すぎて、昨日の会話は夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。


(だめだだめだ。今は仕事に集中しないと)


 何も手につかないとはこのことである。

 せめて勤務中は雑念を振り払わないと、と躍起になっているところへ、


「そうだ、栗丘くん。今のうちに、これを渡しておくよ」


 と、御影が急に体を捻ってこちらを向いた。

 不意に視界に入ってきた狐面に、栗丘はびくりと肩を跳ねさせる。


 彼から差し出されたのは、見覚えのある二丁の拳銃だった。

 いつも絢永が使っているのと同じ、対あやかし専用の武器だ。

 一つはあやかしの動きを封じるための札が飛び出すもの。

 そしてもう一つは、トドメの一発を放つもの。


「君は囮役だから、発砲する機会は滅多にないだろうけどね。一応、護身用に持っておくといい。年末は百鬼夜行に遭う可能性もあるし、その時は必要になるかもしれないからね」


 大晦日の夜には、実の父親と戦闘になるかもしれない。

 暗にそう告げられた気がして、栗丘はたまらず震えそうになる手で銃を受け取る。


 と、運転中の絢永がちらりとこちらに目配せして言った。


「いいんですか、御影さん。その銃は……」


 大丈夫大丈夫、という御影の反応に、栗丘は首を傾げた。


「何ですか?」


「いや、まあ。それほど大したことじゃないんだけどね」


 そう前置きしてから、御影は元の位置に座り直すと、フロントガラスを見つめたまま言った。


「この銃の弾や札は、特殊な方法で作られていてね。量産できないモノだから、できるだけ慎重に扱ってほしいんだ」


 いつだったか、絢永も似たようなことを言っていたな、と栗丘は思い出す。


「というわけで、無駄撃ちや試し撃ちは厳禁。実戦で標的を外した場合は、たっぷりお仕置きするから覚悟してね」


 大したことじゃない、という割には脅し文句のようなものを突き付けられて、思わず身震いする。

 御影のお仕置きというのがどれ程のものなのか見当もつかないまま、受け取った二つの銃を慎重に懐へ仕舞った。

 

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