第16話 腹の底は誰にもわからない

 

          ◯



 空になった前菜の皿が下げられると、次は汁物が運ばれてくる。

 それをさらに平らげると次は豪華なお造りが四人の前にそれぞれ並んだ。


 「相変わらず美味しそうだねえ」と上機嫌に眺める御影の隣から、マツリカがまたしても横取りしようと箸を伸ばす。

 しかし御影は慣れた手つきでそれを阻止し、マツリカは不満気に頬を膨らませた。


 その向かいで手元の皿に目を落としている栗丘は、先ほどまでとは打って変わって生気がなかった。

 どこか上の空で、ただ機械的に目の前の品に箸をつける。


「そんな暗い顔で食べてたら、せっかくの料理が不味くなりますよ」


 隣から絢永の厳しい声が飛んできた。

 栗丘はちらりと彼に目をやって、「ああ、ごめん」とだけ返す。


「なにショック受けてるんですか。斉藤さんがあなたを殺そうとしていたのがそんなに悲しいんですか? 別に親しい友人でも何でもないんですから、気にする必要もないでしょう。そもそも僕らは警察官なんですから。仕事上、恨みを買う場面なんて色々ありますよ」


「わかってる。けどさ……」


「あなた、僕より五年も先輩なんでしょう? 今までだって、勤務中に逆恨みされることなんていくらでもあったでしょう。勤続六年目にもなって、そんなことでいちいち凹んでたら警察官なんて務まりませんよ」


「そうじゃなくて!」


 栗丘はわずかに語気を強め、絢永の顔を真っ直ぐに見上げた。


「俺、あの時の斉藤さんは完全にあやかしに操られていたと思ってたんだ。だから……斉藤さんを怒らせるようなことを、わざと言ったんだ」


「あやかしを引きずり出す算段だったんでしょう。それがどうしたんですか」


「斉藤さんを傷つけるような言葉を、俺は何度も口にしたんだ。斉藤さんが怒って、悲しそうにしていたあの反応は、あの人の本心だったのに」


 そう訴えかける栗丘の顔は、今にも泣き出しそうだった。

 涙こそ見せていないものの、その瞳の表面はやけに潤いを帯びて揺れている。

 おそらくは罪悪感に苛まれているのだろう。

 自分の予想とは反する栗丘の反応に、絢永は調子を狂わされた。


「……なんだ。そんなことですか」


 早とちりした自分を振り払うように、絢永は湯呑みのお茶を喉へ流し込む。


「俺、斉藤さんに謝らなきゃ。あんな酷いことを言って傷つけたのに、このまま何もなかったような顔なんてできないよ」


「やめてください。下手に接触してあれこれ質問されたら後々面倒です。彼にあやかしが見えない以上、どうやったって納得のいく説明はできないんですから」


「でも」


 尚も悩み続ける栗丘に、はぁ、と絢永は溜息を吐く。


「人間は、誰だって闇を抱えています。相手がどれだけ愛想良く笑っていたとしても、その心の奥底では何を考えているかはわからないし、覗き込む術もないでしょう。なにも斉藤さんに限った話じゃありません。みんなそれぞれ何かを抱えて、迷ったり悩んだり、あるいは目を逸らしたりして生きているんです。今回はそれがたまたま可視化されただけです。斉藤さん本人が普段はそれを隠しているのなら、我々は見なかったことにすればいいじゃないですか。今回問題となったあやかしは、ちゃんと退治したんですから」


「絢永……」


 再び絢永が視線を戻すと、こちらを見上げる栗丘の目がやけに明るく輝いている。


「絢永。お前もしかして、俺のことを慰めてくれてるのか?」


「…………は?」


 キラキラと期待の眼差しを向けてくる栗丘に、絢永はこれ以上になく顔を歪ませる。


「俺のこと、そんなに心配してくれるなんて……。絢永、お前ってやっぱり本当はイイ奴なんだな。ただの嫌味で生意気な奴だと思ってたけど、見直したよ」


 ありがとな、と見当違いの笑顔を向けられて、絢永は無言のまま手元の刺身に箸を伸ばす。


「……やっぱり僕、あなたのこと嫌いです」


「えっ、なんでだよ!?」


 栗丘が元のトーンで声を張り上げた瞬間、その様子を見ていた御影がふふっと笑った。


「二人とも、どんどん仲が良くなってるみたいだね。その調子で今後の捜査もよろしく頼むよ」


 言いながら、彼は狐の面を少しだけ持ち上げて、その隙間から器用に刺身を口元へ運んでいく。

 栗丘の位置からは面の下がどうなっているのかよく見えず、つい好奇心で首を伸ばして横から覗き込もうとすると、べしっと絢永の平手が頭に飛んできた。


「いてっ」


「興味本位で人のプライバシーを侵害するんじゃありません」


「あーっ! こいつ今叩いた! 傷害罪だ!」


 再び部屋の中が騒がしくなると、マツリカは心底面倒くさそうな顔で呟く。


「これのどこが仲が良いの? うるさすぎるし、お店の営業妨害だからさっさと連行して欲しいんですけど」


「喧嘩するほど仲が良いんだよ。彼らにはこれから二人一組で捜査に当たってもらうわけだし、どんどん距離を縮めてほしいね。というわけで、そろそろあやかし退治の方法について説明したいんだけど、いいかな?」


 御影が言って、栗丘と絢永はやっと口論をやめる。

 そうして渋々と座り直した彼らを前に、御影は本日のメインディッシュともいえる話題に改めて切り込んだ。

 

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