第2章

第13話 異動先は秘密の部署

 

 ——みつきは大きくなったら、一体どんな人になるんだろうね?


 記憶に残る母はいつだって、優しい瞳でこちらに語りかけてくれた。


 ——やっぱりパパに憧れて警察官になったりするのかな?


 ——やめとけ、やめとけ。警察官の仕事なんて実際には地味なことばっかりで、刑事ドラマみたいなカッコいい活躍なんてほとんどないんだぞ?


 それに危険もいっぱいだしな、と苦笑した父は、それでもどこか満更でもない様子に見えた。

 口ではこう言っていても、やはり自分の子どもに憧れられるのは親として期待してしまう部分もあったのかもしれない。


 事実、二十年前の栗丘みつきは、警察官として働く父の姿を誇りに思っていた。

 家ではトランクス一丁で歩き回って母に注意されるのが日常茶飯事だった父だが、ひとたび外に出てあの濃紺の制服に身を包むと、まるで別人のように頼もしく見えたものだ。


 ——もちろん、お前がどーしても警察官になりたいって言うならパパは否定しないぞ。でもこれだけは覚えておけよ。どんな仕事にも嫌なことだとか、面倒だったりしんどかったりする面もあるんだ。そういうのも全部引っくるめて受け入れなきゃいけない。それを理解した上で、それでもその仕事がしたいって言うなら、それはお前が本気だってことだから、パパは歓迎するぞ。


 ——もう、瑛太さんったら。そんな難しいことを言っても、みつきにはまだわからないわよ。


 母がそう言って笑うと、同じように父も笑った。


 穏やかで、幸せな時間。

 数少ない両親との記憶の中で、最も鮮明に思い出せるのがこのやり取りだった。





「……にしても、もうちょっとぐらい身長は伸びると思ってたんだけどなぁ」


 退勤間近の交番内で、栗丘は窓に映った自分の姿に溜息を吐く。


 子どもの頃から憧れだった警察官になって早五年半。

 二十三歳という年齢だけ見れば立派な大人になったというのに、その見た目は未だに小中学生と間違われるような幼い容姿だった。

 これでは父と同じ警察官といえども格好がつかない。

 過去の写真を見る限り、父はそれほど低身長でもなかったはずだが。


「なーに暗くなってんすか、栗丘センパイ。左遷されたのがそんなにショックなんすか?」


 と、そこへ同じく退勤間近の後輩・藤原が上機嫌に声を掛けてくる。


「藤原。なんだよ、左遷って」


「明日から別の部署に異動でしょう。みんな言ってますよ、『栗丘さんは左遷されたんだ』って」


「はあ? 何だよそれ!」


 寝耳に水である。

 自分はあの御影という警視長に見初められて別の部署へと引き抜かれたはずだが、周りの面々はそれを左遷だと勘違いしているらしい。


「わかってますよ。栗丘センパイのその見た目じゃあ交番勤務は大変でしたよね。俺もこの間はちょっと文句言っちゃいましたけど、身長とか体格とかは遺伝的な要因もあるしセンパイ自身が悪いわけじゃないってのはちゃんと理解してるんで」


「いや待て待て。偏見で勘違いしたまま突っ走んな! 俺は左遷じゃなくてただの異動! なんなら個人的に引き抜かれたんだよ。俺の能力を買ったのが警視長のお偉いさんで」


「センパイ、もういいんすよ。みんなももうわかってるんで。左遷先の部署……ええと、特例ナントカって所でしたよね。そんな部署の名前は誰も聞いたことないんで。どうせ大した仕事もない暇な部署でしょ。交番勤務よりよっぽどラクできそうだし見方によっては良かったじゃないすか」


 どこまでも憐れみの目で見下してくる後輩に、栗丘はただ黙って奥歯を噛むしかなかった。

 というのも、異動先である『特例災害対策室』は警視庁の中でも特に異端で、その実態を知る者はほとんどいない、という説明が御影からあったのだ。


 ——あやかしが見える人間は稀だからね。見えない人間に説明したところできっと理解はしてもらえないと思うよ。


 目の前にいる後輩も、例によって『見えない人間』だろう。

 ここで栗丘がいくら弁明したところで、異動先の潔白を示すことはほぼ不可能なのだ。


 悔しいがここは耐えるしかない——と半ば諦めていると、そこへガラガラと交番の入口を開けて中へ入ってくる者があった。


「やっほー、栗丘くん。迎えに来たよー」


 およそ交番の客として似つかわしくない陽気な声とともに、狐面を被った和装の男がそこへ現れた。

 栗丘は「あっ、御影さん」と軽く挨拶したが、隣の後輩は咄嗟に身構える。


「え、何。不審者!?」


「だめだめ、撃たないで!」


 すかさず腰の拳銃を抜いた藤原に、御影は慌ててジェスチャーで訴える。


「私も警察の人間だよ。ほら、手帳」


 そう言って彼は懐から取り出した警察手帳を藤原の方にポンと投げる。

 戸惑いながらもそれを受け取った藤原は、そこに書かれた文字に「け、警視長!?」と目を剥く。


「御影さん、どうしたんですか。今夜の飲み会は店の前で待ち合わせでしたよね?」


 栗丘が聞くと、御影は扇子を持っていない方の手でグッと親指を立てる。


「ちょうど通り道だったから君のことも拾って帰ろうかと思ってね。すぐそこで絢永くんがパトカーで待機してるよ」


 さあ行こうか、と御影がぐいぐいと栗丘の背中を押す。

 その隣で藤原は警察手帳が本物かどうか斜めにしてみたりしてまじまじと眺めている。


「ところで君は栗丘くんの後輩かな? 今まで彼が世話になったね」


「え? は、はい。いや、えっと」


 急に話しかけられた藤原はしどろもどろになりながら警察手帳を返す。

 それを受け取った御影は面の奥で小さく笑ってから、栗丘の代わりに別れの挨拶を述べた。


「栗丘くんは優秀で将来有望な警察官だからね。私がもらっていくよ。君も彼に負けないように、これからも交番ここでお仕事頑張ってね」

 

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