ぶっきらぼうな元軍人、最凶の幼女兵器に「壁」として徴用される。 ―君が「お姉ちゃん」と呼ぶまでのログ―
テラ生まれのT
第1話 貴様の任務は、私をトウキョウ・サルコファガスまで護送することだ。
ミヤギノフ。
正式名称、旧・宮城県宮城野区。
そこは、かつての日本を南北に引き裂いた国境線上に位置する、停滞と混沌の街だ。北側――ユーラシア東部連邦の冷徹な管理社会と、南側の爛熟した資本主義が、軋みを上げながら混じり合う「継ぎ目」。
シャワーの湯は、死体のようにぬるかった。
「ちくしょう、また水温調整がバグってやがる。……これだから型落ちは」
サーシャ・コンドラチェンコは、錆びた蛇口を呪うように睨みつけた。期待した熱湯はついに来ず、肌を滑るのは塩素の臭いと、中途半端な苛立ちだけ。
鏡に映る自分を見る。24歳。
テーブルには、今日届いたばかりの「予備役編入通知書」が放り出されていた。
『士官としての現状不適応』
丁寧な言葉で綴られた、実質的なクビ宣告。自分を軍人として形作っていた誇りが、安っぽい再生紙1枚に塗りつぶされていく。
「……あたしをゴミ箱に捨てたつもりか。クソったれな連邦め」
サーシャは昨晩の残りのウオトカを喉に流し込み、コートを羽織った。懐にはマカロフ。腰には、唯一の私物である古い日本軍式の軍刀。
このままアパートの壁を眺めていても、自分が腐っていく音しか聞こえない。彼女は吐き出すような溜息と共に、夜の街へ踏み出した。
ミヤギノフの空は、厚い鉛色の雲に覆われていた。
年中降り続く酸性雨のせいで、本物の星空などここ数年拝んでいない。街を照らすのは、色褪せたナトリウム灯と、違法なホログラム広告のノイズだけ。
ふと、前方で金属的な駆動音が響いた。
「……執行局か?」
サーシャは反射的に壁の陰に身を潜めた。路地の奥、3体の機械化兵が、1人の幼女を追い詰めている。
赤いモノアイが闇に尾を引く。連邦軍執行局の精鋭――本来なら、こんな場違いな路地裏に現れるような連中ではない。
その中心に立つ幼女は、異常なほどに「白」かった。
腰まで伸びた銀色の髪、深い藍色の瞳。汚れ一つない、フリルの付いた年代物のコート。まるで、血生臭いゴミ溜めに迷い込んだ、高価な磁器の人形だ。
「個体E-710。抵抗は無益である。直ちに回収に応じろ」
機械化兵の無機質な音声が、路地の空気を凍らせる。少女は壁に背をつけ、逃げ場を失っている。だが、その瞳には「恐怖」というプログラムが存在しないかのように、どこまでもアンニュイで、冷めていた。
(関わるな。あたしはもう軍人じゃない。ただのプー太郎だ)
サーシャは自分に言い聞かせ、背を向けようとした。だが、兵士の次の一言が、彼女の足を止めた。
「故障した機材は、分解して持ち帰るのみだ」
機材。故障。
自分を「不適応」として切り捨てた組織の言葉が、その幼い少女に向けられている。
「……あー、クソ。本当にあたしは馬鹿だ」
サーシャが飛び出したのと、少女がこちらへ突っ込んできたのは同時だった。
少女はサーシャの脚元に滑り込み、見上げることさえせず、氷のように冷たい声で命じた。
「動くな、肉壁。私の邪魔をするな」
「……ああ?」
驚くサーシャをよそに、機械化兵がレーザーライフルの銃口を向けた。
「そこの市民。貴様、兵器の脱走に加担するのか?」
「兵器ねぇ……冗談きついっての。こんなん、ただのガキだろ」
サーシャはマカロフを引き抜き、少女を庇うように構えた。軍人としての勘が告げている。勝率は、12%もあれば御の字。
「非効率的だ、サーシャ・コンドラチェンコ」
背後の少女が、なぜかサーシャの名前を呼んだ。
「貴様の行動は、生存確率を12.4%まで低下させている。……だが、利用価値は承認する」
少女の白く細い指が、サーシャの腕に触れた。
「
その瞬間、世界がバグった。
視界の端からデジタルノイズが走り、スローモーションに引き伸ばされた景色の中で、サーシャの網膜に「ありえない光景」が映り込んだ。
それはミヤギノフの空ではない。遥か南、トウキョウを覆う巨大な「鉄のシールド」が、天を衝くような轟音と共に引き裂かれる幻視。
その亀裂から溢れ出したのは、刺すような、圧倒的な、暴力的なまでに美しい「本物の青」だった。
(……なんだ、この光……。空が、輝いているみたいだ……)
汚染された地上の空とは違う、純粋すぎて涙が出るような蒼。鉄の巨人を飲み込むような、鮮烈な希望の光。それが一瞬だけ、閃光のように網膜を焼いた。
「演算完了。確率事象の最適化」
少女の言葉と同時に、幻想の青は消え、現実が猛烈な勢いで動き出す。
路地に転がっていたビール缶が、不自然な角度で跳ね、機械化兵の足元で滑った。同時に、アパートの換気扇が超高速で逆回転を始め、凄まじい高周波を放つ。
ギギギィッ……!
「装甲に共振エラー……! センサーが、焼き切れる……!」
機械化兵たちがバランスを崩し、虚空を撃つ。
サーシャはその隙を逃さなかった。
「うおおおっ!」
生身の限界まで踏み込み、マカロフを精密に連射。ターゲットは、装甲の継ぎ目である膝裏の関節。
ドスッ、ドスッ。
2発の弾丸が、電子の巨体を地面に沈める。
静寂が訪れた。硝煙の臭いの中、サーシャは荒い息をつきながら、背後の少女を振り返った。
「アンタ……今のは、何だ」
少女――E-710は、依然として感情を欠いたまま、掌から立体的な、連邦軍の中央軍事最高権限ホログラムを展開した。
「私はE-710 ヴァルキリー。……サーシャ・コンドラチェンコ中尉。貴様は私の生存に、有効に介入した」
少女の藍色の瞳が、一瞬だけかすかに笑みを浮かべたように見えた。それは美しく、そして底知れず不気味な「兵器」の笑みだった。
「よって、貴様を専属護衛ユニットとして徴用する。拒否権は無い」
「……は? 徴用? あたしはもう軍人じゃねえっての」
「否」
少女の藍色の瞳が一瞬だけ強く光った。それは、拒否を許さない絶対的な命令の光だった。
「貴様の任務は、私をトウキョウ・サルコファガスまで護送することだ。任務開始は今から0秒後。迅速に行動せよ。死にたくなければ、付いてこい。肉壁」
少女は倒れた機械化兵を無関心に踏み越え、路地の外――緩衝地帯へと続く不気味な夜へと歩き出す。
トウキョウ・サルコファガス。南側の最深部。
そこへ行けば、さっき見た「あの青」を、幻ではなく本物として見上げることができるのだろうか。
「……あー、面倒くさいっての」
サーシャは深く溜息をつき、通知書を捨てた手でマカロフを握り直した。
分断された日本を縦断する、最悪のバディによる逃亡劇。
ミヤギノフの路地裏から、大いなる夜明けへ向けた旅が、今、始まった。
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