第10話『デート』

――木漏れ日の中、少女は微睡む。

 暖かな日溜まりが、優しく風を誘う。

 夢を見るでもなく、ただぼんやりとする。

「……」

 もしも、一人のただの少女ならば――。

 少女、ステラは考えてみた。

「意外と想像できないな……」

 憧れるものほど、案外具体的な想像ができないらしい。

「……」

 可笑しくて、笑った。

 笑った後瞼を下ろす。

 今日は特にやることは無い。少しぐらい、怠けてもいいだろう。

「……」

 瞼越しの紅い光が網膜を刺激する。

 ――明るくて眠れない。

 目を右腕で覆った。

「――――」

 身体が鈍い。

 最近身体が鈍いのだ。

 きっともう――。

 ――長くない。

 この身体は恐らく近いうちに――臨界点を迎えるだろう。

 そうなったら、あとはもう終わりの秒読みだ。

「せめて人のように死にたいな」

 可笑しな話だ。人でもない化物なのに。

 人らしいことなんて、何も知らないのに。

 憧れるばかりで、何も手の中に無いのに。

「……」

 それでも、憧れは加速していった。終わりが見えているからだろうか、より一層心に強く働きかける。

 嗚呼、欲しいのだと思った。

「でももう遅いよね」

 何もかも遅かった。もう少し彼と、早く出会うべきだった。

 出会いたかった。

 出来るならば、彼と――。

「なんてね」

 出会って数日の人間にどれ程求めるつもりだろう。

 莫迦だ。

 馬鹿馬鹿しい。

 愚かだ。

 度し難い。

「……」

 知らない心の疼きに、涙を浮かべた。

「大丈夫、ネネたちも大きくなってきたし、私が居なくてもフロイがいる。それにあの人もいる、大丈夫、大丈夫……」

 是はきっと運命だ。私が居なくなる時に、入れ替わるように、私の「大切」を守ってくれるような人が現れた。

 ――だから大丈夫。

 きっと――大丈夫。

 祈り、願い、羨望し、憧憬の想いを灯して、少女は眠りに就いた。

 泥のように眠っていく。

 沈殿するように、意識が落ちる。

 ――夜には笑える。


「リーベス! リーベス!」

「どうしたんだ?」

 ネネが強く、リーベスの袖を引く。

「あのね、あのね! クーフェがおも――」

「それ言っちゃダメな奴――⁉」

 青髪の少女――クーフェが必死になってネネの口をふさぐ。

「なにも無いですから! 何でもないですから⁉ 何も無いよね⁉ 何も言ってないよね⁉」

「がはがは」

「なにも聴いて無いから離してやれ」

 クーフェに首をぶんぶん振り回されて、泡を吹き始めたネネを案じて仲裁する。

「本当に何でもないですからね!」

「おお」

「ほらいくよ、ネネちゃん」

「ぶくぶく……」

 完全に失神したネネを引きずって去っていく。

 見た目に依らず何とも剛毅だな。

「何かあったの?」

「ステラか……いや、俺は紳士として口を噤ませてもらうよ」

「……?」

 騒ぎを聞きつけたステラが訪ねてくるが、其処は紳士として口を開くのを避けた。この一人の紳士のおかげで、束の間ではあるが少女の尊厳は守られた。

 なお――橙色の髪をした少女が、青色の髪の少女――クーフェがおもらししたことを言いふらしたので、彼女の尊厳はすぐに破砕されたが、それはまた別の話だろう。

「あ、そう言えば」

「どうした?」

 何かを思い出したのか、手を叩くステラ。

「ルーエが塩とか諸々の必需品が少なくなってるから、買い足して欲しいっていてたんだった」

「そうか、行って来い」

「君~……」

「……? 如何した、行かないのか?」

 ステラの言わんとすることが分からなくて、首を傾げる。

 ステラは人差し指を立てて、呆れたような声で言ってくる。

「あのね、私たちは〝兵器〟なんだよ? そして君は〝管理者〟おーけー?」

「ふむ」

 リーベスは考えるように指を頤にのせる。

「つまり、お前の外出には俺の許可と同伴が必要だと、そう言いたいわけだ」

「イエ~ス~!」

 実際にステラの言う通り、〝妖精兵器〟である彼女たちは管理者の許可との同伴が必要だ。

 そうの同伴があれば外出は可能なのだ。

「そうだなぁ、まあ、確かに、偶には悪くないか」

「そうこなくっちゃ!」

 ――心なしか嬉しそうにするステラを眺めて、苦笑するリーベスだった。


 当初リーベスは中央区での買い出しを検討していたのだが、ステラの要望と関所での難航もあって、急遽亜人区での買い出しをする事になった。

 当然ながら、来る予定ではなかったために、変装はしていない。

 そのために、凄まじい疎外感が視線となって突き刺さる。

「やっぱりウェルカムじゃないね」

「そりゃあ、彼らからしたら煩わしい奴らが来たと思ってるだろ」

「ササっと終わらせよっか」

「……そうだな」

 彼女がすこし、落胆したような表情をしたのをリーベスは見逃さなかった。

「見てみて! これ何かな⁉」

「これは――」

 露店に並んでる黒ずんだ球体を指さす。

 見たところ食べ物を提供する露店のようだが、これは食べ物なのか?

『是は〝リンドブルム〟の〝鋼卵〟ね』

「〝鋼卵〟?」

 ミーチェの声を聴いたステラが、首を傾げる。

 リーベスも同様だ。過分にして聞かない。

『リンドブルムは分かるわよね?』

「ああ。【竜種】の第四位に位置する〈モンスター〉だろ?」

『ええ。【生存権内】の中じゃ相当高位の〈モンスター〉よ。〈モンスター〉……特に竜は階位を上げるごとに……〝純種〟に近づけば、近づくほど特異な生態になっていく。リンドブルムはその最たる例よ』

「というと?」

 ステラが訊くと、ミーチェ先生が応えてくれる。

『リンドブルムの卵は殻を持たない。卵白がその役目を担うのよ。硬質化した卵白が、ありとあらゆる外敵から身を護るの』

「わざわざなんで、そんな面倒な特性を?」

『知らないわ。そんなのリンドブルムに聞くべきね』

「ごもっとも」

 露店の前で自身の博学を披露するミーチェに感心する。

 そんな二人と一振りの姦しいやり取りを煩わしいと顔に出す店主。

 店主は犬顔の亜人だった。

「冷やかしなら、どっか行けよ」

「悪い悪い」

 謝りながら、疑問に思う。

 〝リンドブルム〟――……。

 前述したように、リンドブルムは相当高位の〈モンスター〉だ。いくら卵とはいえ、このような屋台に並んでいるのは可笑しいのでは?

「ちなみにこれ食えるのか?」

『食べるのに相当面倒な手順がいるらしいけど、結構珍味らしいわ』

「そうなんだ」

「なるほど」

 リーベスはリンドブルムの〝鋼卵〟を手に取ると、購入する。

 当然彼のポケットマネーからだ。

「ササっとって言ったそばから寄り道したね」

「ま、良いだろう。腫れ物なりに愉しめばいい」

「ちなみにいくらだった……?」

「二万フェス」

「二万……⁉」

 その莫大な金額に、頤が外れんばかりに驚く。

 その後指折り数え始めた。

 おそらくそれぐらいの額が有れば、どれだけの間遊べるとかそんなところだろう。

『こないだのサルベージの報酬全部ね』

「構わんだろう。金に困っているわけじゃない」

『だからといって、湯水のように使っていいワケじゃないと思うけど?』

「湯水ねぇ、そんな贅沢……貴族だってしてないさ」

『ただの比喩よ』

 フェスト軍国の水資源の需要に対する受給率は極めて僅かだ。

 何せ、

 雨水も、河川も同様に汚染されている。

 ――常飲すれば、忽ち人体に害を及ばす。

 一度、二度ならば問題はないが、それが数百、数千に上れば十分人を殺し得る。

 現在、フェスト軍国の水は軍国地下に存在すると言われるアーティファクト『零落ラクリマ』による浄化で何とか賄っている。

「……」

 二人の買い物を続いていく。

 露店を巡り、笑い合う。

 それは間違いなく――。

「これデート?」

「どうした……?」

「何でもないよ!」

 赤面する。ああ、これデートってやつだ。

 フロイに貸してもらった本で読んだことがある。

「……」

 彼の横顔を覗き見る。

 綺麗だと思った。

 紅い瞳も。漆黒の髪も。

 ニヒルな笑みも。

 総てが心をくすぐる。

 彼の吐息を感じ、彼の声音に動揺して――。

「でーとだ」

「……?」

 ぼしゅん!

 頭から湯気を出す。

 完全にオーバーヒートだ。

 容量オーバーだ。

 エラー、エラー。

「おい、どうした? 顔が真っ赤だぞ?」

「ひゃう……⁉」

 顔を覗き込んで、額を合わせる。

 かなり熱かった。

 完全に発熱している。

「熱だな。適当に買い物も済ませたし、帰るか」

「君は~……」

 本当にデリカシーが無い。

 普通断りもなく、女の子と額を合わせるかな?

「……でも、そうだね」

 一周廻って、冷静になって来た。随分と長く、彼と亜人区を回っていたようだ。

 空が大分暗くなっていた。

 愉しい時間はかくも早く過ぎていく。

 儚い。

 淡い。

 幽かで。

 ささやかで。

 とても大切なモノのように思えた。

「またくればいい。だからそんな顔をするな」

「――――」

 照れているのか、彼は顔をよく見せてくれなかった。

 でも――その言葉を聞いた時。

 ――時が止まった気がした。

 欲しかった物を、手に入れた気がしたんだ。

 大きく風が吹いた気がしたのだ。

 心臓がとくんと高鳴る。

 血脈踊る。

 叫び出したいほどの衝動を、胸の奥に秘めた。

 痛いほど、嬉しいこの想いを胸の奥に潜めて彼女は――。

「――うん」

 小さく頷いた。

 

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