✦07✧︎ 獏


 鼻は象、目は犀。脚は虎、尾は牛。雲を思わす獅子のたてがみに、豹の斑が彫られた胴体。眼前に存在するは……中国で生まれ、日本に伝来した『バク』の銅像だ。生い立ちが共鳴する幻獣へ近づけば、廃品の鏡を踏み割ってしまい、目を見張った。異質な色彩の自分が映っていたのだ! 退廃的に白皙で、澄ました顔貌だ。隈のある氷銀アイスシルバーの吊り目には、『妖』の鋭い瞳孔が宿る。白黒モノクロメッシュの斜め前髪に、長い三つ編みは尾の如し!

 

疯狂的命运狂った運命だ你这个怪物この化け物め现在是革命的时候了革命の時は来た! 」

 

 己の牙を嘲笑い、『獏』の銅像に掌の血を擦り付けた! 新たな異能 、【駒喰コマクイ夢戯ムゲ】は既に発動している! 夢は記憶を整理する作業だ。『獏』として浬の夢に入り、必要な経験値こたえを喰らったのだ。うつつへ暗転する去り際に、夢に爆弾キーワードを投げ入れた。浬がキーワードを認識した瞬間、遊戯開始ゲームスタートとなる。初陣のキーワードは『桐乃』だ!


 水中で目覚めれば、薄明光線が降り注ぐ。妖の視界で捉えたのは、自然光だけじゃない。水上から降りる樹枝は、輝安鉱スティブナイトの如し。黒光りが氷銀アイスシルバーを纏うのだ。分岐する運命を具現化した枝先は、浬の選択肢を蛍光表示した。


  【桐乃を殺す】

  【河に墜ちた男の危険性もしもを考慮し、先に喰らう】


 優柔不断な奴め、選択肢が揺れている。ならお前の代わりに、自分が選択してやろう。お前に自由意思があると思わせたままでな! 【桐乃を殺す】選択肢ごと樹枝を砕けば、早速出迎えだ。水流を裂く朱龍の口内に、妖力を喰らわしてやる! 炸裂した氷銀アイスシルバーに暴れる『人魚』の鰭を掴めば、地上への激流となる! 暴れ龍を足蹴で乗りこなし、水飛沫を割る解放に叫んだ!


「善悪斑の権化に、狂喜しろ! 眼前の男こそ、お前らの神だ! 」


 浬は唖然と振り返り、揚子江の雨は降る! 夢遊の記憶は無自覚でも、期待の星雨に瞳は輝いた。首を締められていた桐乃は離され、戦火で燃える岸の消火完了だ! 呼吸を取り戻し、桐乃は茫洋としゃがみ込んだ。奇跡を見上げるように、安堵の涙を流す。中々悦い、崇拝者じゃないか。


「しょうちゃんが……私の『原初の妖かみさま』だったの? 」


「ロリコン厨二病のな! 【打物溶解ウチモノヨウカイ】をに使え、桐乃! 便衣兵達の置き土産だ! 」

 

 我に返った浬が一手を打つ前に、素直な桐乃は鉄槌を振るう! 捨てられた武器が熱鉄に変わった瞬間に、自分は悪人面で鱗を蹴り、後宙の最中に指を鳴らす。相乗した妖力が炸裂し、岸辺は爆発した! 氷銀アイスシルバーの業火の中で『人魚』が絶叫する!


「『人魚』の丸焼きの完成だ! 物理攻撃が無効でも、妖力を絡めれば有効らしいな! 」


 悔しくもヒントを授けてくれたのは、ガソリンで焼かれて犠牲になった人々だ。 軍属の有無も人種も超えて静止した群衆は、異質な花火を鑑賞した。妖力を浴びせなかった彼らにとって、極光オーロラを連れる氷銀アイスシルバーは、水鏡に拡散する慰霊祭だ。両軍の銃火器をも無効にし、鉄と厄を『バク』として喰らってやったのだ!

 

「やめろ……っ……僕らの血を焼き尽くすな! 桐乃を殺されたくなければ、『人魚かれ』を解放しろ!」

 

 人魚と共に苦痛を喘ぐ浬に、双刀を構える隙などやるものか! 両手を祈りに組んだ桐乃が、凛と見つめるのだから。その唇は声無く、『贖罪と救いを』と告げている。

 

「残念だが、お前は桐乃を殺せない! 自分と同じく『幸せになる見本』を知らず、陽を畏れる餓鬼なんだからな! 血の縛りを捨てて、軟弱な精神に自問自答してみろよ! 」


 男女惑わす魔性の美貌を、氷銀アイスシルバーの妖力纏う右拳で思い切りぶん殴る! 血反吐で吐き出された歯の欠片にニヤついてしまったが、透けゆく横顔を見逃すものか! 銀光つれて睨む浬が【己を溶かした水の身体で、こちらの意思を浸蝕】しようとする選択肢を、引き戻した右手刀で破壊した! 黒と銀の星屑が降る中 ―― 浬の脚を薙ぎ払えば、朱き残像が青くズレていく。身を返し、逆さで地に手を着いた浬の、刃を握る右拳ごと踏み砕く! 苦悶を浮かべた浬が宙へ離れ、裂き乱れる抵抗!青き片袖と朱き旋風が火花散らす壁を蹴り昇り、自分は天から拳銃を向ける。咆哮する浬に弾丸を斬らせた、陽動フェイントの軌道。四散する爆轟に飛び込み、横薙ぐ刃を! 口角を裂かれても、牙と白息で嗤ってやる! 銀の破片が煌めく中で、首筋をあかく噛み裂けば、すれ違う浬は微かに微笑んだ。己も餌に成れる事実に、安堵しているようでもあった。

 

「自信過剰な君なら、本当の神に成れるかもしれないな。君達を加害した僕と世界に、救う価値などあるのか? 」


 癒える口角の血を拭い、自分は立ち上がった。手の甲を返し、夜空に掌を向ける。凍えた悪夢に愛しき日差しを齎し、黎明を手に入れる為に。


「価値が無いなら、創造すればいい。心に蟲が蔓延るこの地獄ごと、ひっくり返してやる。斑の自分が吉兆を齎すのは、選んだ奴らだけだ。同族だった『人』へ、最初で最後の救いをくれてやる」

 

 群衆の脳裏に干渉すれば、共同幻想を誘発する。優しいネオンの虹色陽炎が郷愁の夢となり、人々と妖を揺蕩うのだ。


 とある子供は、春節に紅豆餅の年糕にんごうを食べ、赤き獅子舞を家族と観た。とある娘は、赤橙色の屋根が並ぶ美観が蘇った南京にて猫を撫で、喫茶店で本を読む。とある父親が、金の稲穂が靡く故郷に帰れば、涙を流す妻と子が迎えに走った。とある青年は永い時を経て、手紙を握り締め、生き別れた戦友とあの日を語り合う。


 価値ある日常には、言葉の境界線など無い。浬も人々からも悪夢を払って心を変えるには、他者に『大切なひと』を重ね、同じ命の価値を思い出せばいい。鬼子グイヅになった兵士は、家族を愛する普通の人間が戦争によって変えられてしまったのだ。

 

「忘れるな、この夜を! 『大切なひと』が重んじる己の心を、他者に奪わせるな! 己の空白の代換えに、他者の価値を奪わない為に! 」

 

 しかし、今の自分はまだ『人』を許す事が出来ない。愛しい両親を殺し、桐乃達『妖』を個体数で虐げ続けているのだから。血と遺伝子が近しい群れを重んじるあまり、一人一人の価値を軽んじる。戦略上の数字に変えてしまう。だが、今くらいは救われてもいいだろ。妖に化したばかりで、異能の酷使は堪えるな。くらくらと、虹色陽炎越しに夜空を見上げた。飛行場から飛び立った、愛しい二機ツガイが遠方から撃ち落とされ、螺旋を描き墜ちていってしまう。世界は悲しい程に遠すぎる。自分の意識も墜落していくようであった。

 

 

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