✦05✧︎ 紅涙の使者
光華門の城壁に登った日本兵が、ついに日章旗を掲げる。侵略への高揚と憎悪を連れて。余韻ごと砲撃されたが、光華門と中華門は
戦火を抜けた半妖部隊は、逢魔が刻の南京城に絶句した。既に、酷い腐臭がする。電柱からぶら下がるのは、鉄の鳥籠だ。中の晒し首は、
「地獄に踏み入ったような、漢奸狩りだ。死体と動けぬ難民以外、もぬけの殻じゃないか。自分一匹を狩る余裕など、国民革命軍には無さそうだ。自分の親は……逃げ出していればいいが」
「やけに胸騒ぎがする……人々はどこに行ったの? 」
餓鬼道を駆ける中、
『贪生怕死莫入斯门
(生に貪欲で死を恐れるなら、ここに来るな)』
中洋折衷の母校に墜ちたはずの空爆が、弾ける明転。咆哮した旧友の脚が血を引いて飛び、白日の瓦礫に潰れる骨と襤褸布になった……。破裂寸前の脳圧が滾らす息で、 誰を呪えばいいのか。種族の惨殺に抗う彼らにとっては、半妖を見捨てられない自分は裏切り者なのに。腹底から決壊した血流の問いに、生と死の価値が揺れていた。ただ一つの革命に、死を捧げるべきか。後世へ生き残り、多くの新しい革命を成すべきか。
「ようやくだ。
「浬! やっと逢えたのに……分からないよ。私は貴方に何をしてしまったの? 」
「悟れよ。僕ら三人は、性愛を歪ませ、恐れ、侮辱している。非接触で崇拝する
紳士的な歩にさえ、殺気を連れる。浬は呪うように見下し、桐乃の両頬に触れた。瞳で喰らうように、恐ろしい
「僕らは誰かを正しく愛することなんて、出来ない。『兎川家から解放される』という餌に釣られた桐乃が、愛するフリで僕に縋ったように。己に性愛を向けなかったから、僕と三橋中尉に安堵したんだ。泣きつけない母親の代わりに慰めてくれるなら、誰でもよかったんだろ」
桐乃は耐え兼ねたように、顏を辛く歪ませた。遺された子供のように、涙が零れる。
「私の初恋を否定しないで。慰めが嘘だったとしても、私は浬に救われたんだよ! だから、私は貴方を変えたかった。傷ついているときに、必要な薬をくれた人を好きになっちゃいけないの? ……私が嫌いなら、はっきり言ってよ」
「桐乃は『有益な異能』以外に利用価値が無い、短命の消耗武器だ。それ以上には成り得ない。妖狩人から日本軍に売られた半妖の身で、恋物語を観れて光栄だろ」
無慈悲が、胸を吹き抜ける。茫洋と瞳を曇らせた桐乃が、突き飛ばされた! 自分は思わず桐乃を支え、浬を睨んだが、奴は冷めた眼差しを返すばかりだ。
「いい加減、自覚しろよ。正し過ぎる光源は、害なす激薬だって。逃亡を語った桐乃のせいで、半妖共が死ぬんだからな!
浬は悲鳴同然に吼え、己の頬へ銀の爪をたてた!
「僕という水で『浸蝕』し、
「ふざけるな! 残酷な死で、今生が救われるものか!」
嗤う浬の身体が、とぷんと
「僕らの意思は、血族に呑まれて消えていくんだ。『妖』という生ける武器を異郷に下げ渡す屈辱より、『死』が悦いと洗脳したのは妖狩人なのさ! 」
不運にも居合わせた日本人兵士が雄叫びを上げて銃撃し、浬は無機質に一瞥した。弾丸は、水の如き身体に波紋を生むばかりだ。唸る『人魚』が兵士に噛み付き、吊るす! 卵を潰すように頭部を咀嚼し、粗相と流血で牙を濡らした。透ける龍の腹に呑まれ、深海の体内に赤き
「初めから分かっていました。戦地に赴く
自分の肩に触れた黒鱗の手が滑り落ち、我に返る。彼の肘から先には、繋がっていなかった。蒼灰色の狐耳が揺らぎ、血濡れで横たう❮
「私の家門は、桐乃と同じ境遇でして。妖を血脈に溶かすために、幾人もの妖と人が犠牲になるのです。私と結ばれた奥様もお可哀想で。『人のお世継ぎ』と『妖混じりの贄』を産む為に、望まない二人の男と交わらねばならないのですから。『転生の幻夢を視せながら殺して、定めから楽にして欲しい』という彼女の願いを、私には叶える事が出来ませんでした。彼女は別れ際に泣きながら、『帰って来ないで』と私を呪っていました。愛する人を苦しめるくらいなら、私は死にたかったのです」
苦悶の微笑みが灰の如く崩れ、金緑の光が霧散する! 半妖の死は、無惨な
「浬……貴方も逃げればよかったじゃない。『妖狩人』なんて立場から。どうして、
声音に憎悪を燻らせる桐乃が、最後に問う。
「己の血からは逃げられやしない。傷口を掌握する人魚の愛を失ったら、僕は身体が解けるんだ。致命傷が蓄積された僕は、生きているようで死んでいる」
嗤おうとする浬は、泣けもせずに口角が歪む。いっそ、狂おうとしているみたいだった。浬が心から化け物になってしまえば、完璧に恨めたはずだ。
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