第21話 侯爵夫人の問いかけ

「お待たせしたわね」


柔らかくかけられた侯爵夫人の声に、私達は立ち上がる。

一斉に、お辞儀をした。


「昨日もお会いしたと思うけれど、息子のディオンルーク、そしてこちらは、フェンブル公爵夫人、わたくしの友人よ」

「初めまして、宜しくね皆さん」


優雅な所作は流石公爵夫人である。

歳の頃も侯爵夫人と同じくらいだろうか。

だが、この国の公爵家ではない。

貴族名鑑に載っていなかったという事は、他国の公爵に嫁がれた方だ。

けれど、私にはまだ他国の貴族の知識はない。

勉強不足にほんの少し落胆していると、ディオンルーク様の謝罪の言葉が聞こえた。


「昨日は急に席を立って済まなかった。どうしても気になってしまって、あの後役人に水質汚染の事を調べさせたんだ」

「まあまあディオン、まずは席に着いてからにしなさいな」

「ああ、そうだった。済まない」


母親に窘められる息子に、微笑ましくなってつい私は微笑んだ。

やはり、ディオンルーク様は真面目で優しい人である。


「水質汚染……?」


席に着いて、話したそうにうずうずしているディオンルークに水を向けたのは公爵夫人だった。


「はい。王都近くの川の汚染が酷いとアリーナ嬢に教えて頂いたのです。実際に目の当りにしたらやはり宜しくない状況でしたので、予算を組んで対策をする事になりました。とはいえ、すぐに予算を確保は出来ないので、それまでに対策を講じようかと考えています」


「まあまあ、立派だこと。確かに水が汚れると伝染病も怖いものね」


確かに、と私も頷く。


そこまで考えが及ばなかったが、王都の民は井戸を使っていない事は多少なりとも救いかもしれない。

もし使っていたら、もっと早くに被害が出ていたかもしれないのだ。

以前に問題が起きた時、そこまでの事態にならなかったのは幸運だった。

伝染病が発生したら、密集して住んでいる平民たちは瞬く間に病に倒れるだろう。

ディオンルーク様が早速行動してくれたのは有難い事だ。


私はそう思いながら、今日の焼き菓子に手を伸ばした。

クッキーの中央にアプリコットジャムが載っていて、甘酸っぱくて美味しいクッキーだ。


レオナ様はクッキーを食べて下さっただろうか?

お口にあえばいいのだけれど。


「対策はまだ出来ていないのね?」

「恥ずかしながらまだ、検討中です」


昨日の今日だから仕方がない。

私は侯爵母子のやり取りを見て、頷いた。


「貴女達はどう?」


優雅に、それでいて冷たさを孕んだ瞳で、侯爵夫人は笑む。

マリエ様は目を見開いて、ぴくりと肩を揺らした。

モニカ嬢は、首を傾げてから、左右に振る。


「わたくしは、何も考え付きません」


正直なモニカ嬢の答えに、マリエ様も渋々というように追従するように頷く。

そしてマリエ様は、ほの暗い瞳で私を見た。


「アリーナ嬢は?」


侯爵夫人が優しいけれど、有無を言わさぬ声で尋ねる。

マリエ様の視線が答えるなといい、侯爵夫人の微笑みは答えるように促す。

勿論、どちらを優先するかは決まっていた。


「はい。僭越ながら素人の考えではございますが、浄水場の建設をすれば宜しいかと存じます」


「浄水場……とは水を綺麗にする場所かしら?」


私の意見に質問を投げかけたのは公爵夫人だった。

その質問に対して私は頷く。


「はい、仰る通りでございます。一番最初に必要なのは下水用の処理場で、次に商工業用の排水、生活排水はもしかしたらこの二つが綺麗になれば、然程問題ないかもしれませんので、後回しにして宜しいかと存じます」


「驚いたな。その浄水場ではどうやって水を浄化すればよいのだろう?」


ディオンルークは問いかけというより自問自答するように口にしたので、私は侯爵夫人をちらりと見た。

侯爵夫人は微笑んで頷く。


「まずは大きな塵を取り除く為に、いくつか水路に濾過できる網などを取り付けて、最終的に水だけになった場所には、もっと細かい濾過を施せば宜しいかと。小石や砂礫などを積み重ねた上に水を流すと、より細かい塵も取り除けましょう。ですが、これも素人考えですので、専門家による検証は必須でございます」


「考えたのか?君が?一日で?」

「わたくしが考えたというよりは、先人の知恵でございますわ。ディオンルーク様が奔走されている間に、わたくしはただ図書室の本をお借りして読んだだけに過ぎません。何より尊いのは、その知恵を生かす場所と機会を作られた、ディオンルーク様の行動だと存じます」


自分で言っていて思った。

ディオンルーク様は尊敬できる方だと。

貴族にとってだけ考えれば、水質汚染など取るに足らない問題だろう。

いずれ積み重なって崩壊するとしても、そこまで考えない人々は多い。

平民の命や生活など、どうとでもなると考えている人達も確かにいるのだ。

王族ならまた違うかもしれない。

底辺の民が働けなくなれば、全てが先細り、いずれは困窮してしまうという影響が出るのは分かっている筈だ。

でも、事前にその芽を摘むことが出来る臣下は優秀だ。

私達の様な平民は、その知識があったとして生かす場がない。

学者でもなければ、考えを披露する場さえないのだ。


「誉めてくれたのは嬉しいが」


ディオンルーク様は穏やかな顔で微笑んで、前置きした。


「対策まで考えてくれていたとは思わなかった。参考になったよ、有難う」


はにかむように言われて、私の心臓はどきりと跳ねた。

キラキラと眩しい美男子に笑顔を向けられたら。


直視できない!眩しすぎる!


私は慌てて目を伏せた。

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