第23話 誠也の妹

「え?」

 突然誠也の口から飛び出た言葉に真夜は驚いた。


 妹がいたというのに、死んだ。


 年を取っているならともかく、妹ということは誠也よりも年下だろう。



 高校一年生の誠也よりも年下ということは、かなりの若さだ。


 誠也の一つ下というのならまだ中学生ではないのか。


まさかこんな性格の誠也が一年前というほんの少し前に家族を亡くしているとは思わなかった。


「事故とか病気?」


 真夜にとっては父が病気で亡くなっているのだ。ならば家族の病死はよくあること思った


 どこか身体が弱かったのだろうか。もしくは交通事故だろうか。


「あ、ごめん。こんなこと聞かれたくないよね」


 ついそんな言葉を出してしまったことが申し訳なくなった。


ただでさえ家族を亡くしているというのに、家族の死因だなんてそんなこと、普通は聞かれたくない。それでは悲しみを思い起こすだけだ。


しかし、誠也は答えた。


「自殺だよ」

「……え?」


 突然、誠也の口から重い言葉が飛び出た。


「じさつ?」


自殺というと、自ら命を絶つことだ。

病死でも事故死でもなく、自分から死んだというのだ。


「うちのマンションから飛び降りた。自分の部屋の窓から。四階だったから、助かることもなく死んだ」


「そんな……」


 真夜の知り合いに自殺をしたものなんていない。


 日本では自殺する者は年間約二万人といわれているが、家族にそんな経験をしたことがある人なんて滅多にいないと思ってた。


 そんなものはドラマや映画などフィクションでの設定であり、現実で自殺というものはあまりないのではと。



 日本に毎年約二万人ものの自殺者がいるとはいえ、自分の学校に自殺をした者なんていない。


 まさか自殺という話が本当にあるとは思わなかった。


 そんなもの、真夜にとってはどこか遠い世界の話だと思っていたからだ。


 誠也の家族が自殺しただなんてそんな重い過去があるだなんて思わなかった。


 誠也の性格からしてそんな暗い部分が見えなかったのだ。


 病死でも事故でもなく、家族が自ら死んだ過去を持っていたなんてと。


「いじめに遭ってたんだ。バスケ部で、無視されたり。持ち物を壊されたり、スキンシップといって叩かれたりしてた」


「いじめ……?」


 いじめで自殺というものはよく聞く。


 しかし、いじめにより追い詰められて死に至るだなんてそんなものよっぽどのことだろう。


 真夜もそういう辛さがわからないことはない。


 真夜も学校では自分もクラスメイトから疎ましい目で見られるようになり、陰口を叩かれたり、仲間外れのようになったり無視されたりもしたからだ。


現に真夜も誠也と初めに会った時には死にたいと思っていたから。


「妹のいたバスケ部で妹が仲良くしてた友達が三人いたんだ。一年生からの仲良しグループだったんだけど、そいつらが二年生になって妹のことをいじめだした。物を壊したり、隠したり、時折は暴力も振るわれたらしい。そして暴言もよく使ってたそうだ、二年生になって練習がさらに厳しくなって、妹が練習中によく失敗をするようになったからってことで、それがきっかけで『お前がいると、お前みたいなやつと仲良しと思われてる私達のイメージが下がる』とか言われたらしい」


 誠也は顔をうつむきながら、淡々と話している。


 その表情は悲しみも見えたが、少しだけ怒りも見えた気がした。


「俺によく相談してたんだ。仲が良かった子達にいじめられて辛いって。それはすぐに教師や親とか大人に相談した方がいいって俺は何度も言ったよ。だけど辛くて苦しいけれど妹は親や先生に言わないでって懇願した。そうすると学校にいられなくなって。みんなと仲良くなれなくなるからって。妹はあまり友達が多い方じゃなかったんだ。だからバスケ部の友達とは絶対に仲間外れにされたくないって必死だったんだろう。そうなったら他に仲良くできる友達がいなくなるからって」


 その気持ちは真夜もわからないことはない。真夜も惟子に都合が悪くなるとまずいとあの時に自ら罪をかぶるという行動に出たところもあった。結局惟子は転校していなくなったけれど。


「いじめられるくらいなら、とっととバスケ部をやめてしまえばいいといったよ、けれど妹はだからそこを辞めたら友達がいなくなると思ってたんだろう。友達と何かあったら学校に居場所がなくなると思っていたんだろう。それならまだいじめたやつらと一緒にいた方がいいって。友達がいないって思われたくないし、周囲にいじめられてるだなんて思われたくないってのもあったんだろうな。だから学校の先生にも自分がいじめられていることをけして知られないようにしていた。もしも自分がいじめられていると知られたら、バスケ部のイメージがが落ちて、他の部員や先輩からも冷たく見られるって思っていたんだろうな。だから人前ではいじめられてないふりをして、無理してあいつらに付き合っていた。絶対に友達がいなくなりたくないからって」


 まずいことがあっても親や教師に言わないことにしていた、というのは真夜も同じだ。


 真夜もあの時、家が父親のことでいっぱいいっぱいだからけして心配をかけてはいけないと絶対に辛いことを言わないようにしていたからだ。


「部活に行けなくなって。けれど退部もできないって、無理して練習に入ってたけど、日々日々肉体的にも精神的にも明らかに妹は追い詰められていった。けれど、俺は妹に口止めされていて何も言えなかった。そのまま妹はとうとう夏休みの練習に行けなくなって、夏休みの間は部活が体調不良で休んでるってことにできても、二学期からは授業が始まるから、それに行けなくなるなんてダメだと思ったんだろうな」


 夏休み中ならば部活を休んでもまだなんとかなる。しかし、二学期から授業が始まってそれに行けなくなると、明らかに周囲には精神面的なことも勘づかれてしまうからだ。


「そして二学期が始まっても、美香はとうとう学校に行くことができなくて。精神的にも限界だったからマンションから飛び降りた」


 誠也は話し終えると、その辛さを思い出してか顔をうつむけた。


 真夜はそれを想像した。


 自分の家族が変わり果てた姿で見つかるなんて、と。


 自分の父親は病気で家族に看取られながら息を引き取った。


 しかし、自殺とは健康な身体なのに、自ら命を絶つことなのだ。健康な身体でこれからも生きていけるはずだったのに、それを自分自身で終わらせてしまったというものだ。


「妹が自殺だなんて信じられなかったさ。でも遺書が残っていたから自殺で間違いないって判断されてさ。事故や事件でも病死でもなく、自分から死んだんだって。遺書には『生きるのが辛くなりました。お父さんお母さんお兄ちゃんごめんなさい』って書いてあったけど、バスケ部のことは書いてなかった。言いたくなかったんだろうな、そこでいじめられてるってことを」


 遺書が残されていたのならばそれは自殺で間違いない。やはり自ら命を絶ったのだ。


「俺がちゃんと妹が生きてるうちに親か教師に妹がいじめに遭ってることを言えばよかったんだ。妹には必死で俺には絶対言わないでって口封じされてた。けれど、そんなことで黙ってたせいで妹は死んだ。俺のせいでもあったんだ」


 誠也はそのことを酷く後悔していたのだ。口止めされていたとしても言えばよかった。


 あの時、自分がそうしなかったせいで妹を死なせてしまったのだと。


「妹が死んだ後、俺は妹をいじめていたバスケ部のその三人のことを教師に告げたんだ。だけど、そいつらはそれを認めなかった。いじめをしたんじゃなくて、ただ普段通りにしていただけだって。いじめって認識すらなかったんだろうな。妹がいつもやられていたことに反抗することもなく、ただ我慢していたから、それで明るみにでなかった。それでいじめは確認できなかったの一点張りでさ。悔しかった。そして妹がバスケ部でいじめられているのに気づかなかった教師達や何もしなかった大人達も、みんなとうとう妹について何があったかを認めなかった」


 もう遅いとわかっていても、誠也は妹の死後にそれを周囲の大人に伝えても、それが通らなかった。それでは結局、妹は死に損だったということになるようで悔しかったのだ。


「父さんも母さんも妹が死んでから変わった。お前がもっとちゃんとしていれば美香は死なずに済んだんじゃないのかってあてつけられて、溝ができた。今は家に帰ってもろくに話もしない。居心地だって悪い。母さんは家で寝込むようになったよ。父さんは酒を飲みに行って遅く帰るようになった。同じ家に住んでるのに全く会話をしない。実質家族バラバラになったようなものだ。学校でも誰も俺のことを相手にしてくれなくなった。あいつは妹が自殺したから、家族が自殺するような酷い家庭だったって噂されるようになって。それで俺には友達もいなくなった。そしてそのまま中学校を卒業した。だから高校では友達を作らないことにした。また下手に交友して何もかもを失う感覚を味わいたくなかったから」


 真夜が学校で不穏なことが起きて友人ができなくなって不登校になり、母親と気まずい親子関係になってしまったように、誠也の家もまたそうなってしまった。

 友人もいなくなり、何もかもを失った。


 真夜は父親の病死と学校でうまくいかないという、半分はワガママのようなものだが、誠也の家にとっては家族の自殺という目に見える形で狂ってしまったのだ。


 誠也の家庭もまたそんなにもすでに壊れかけてしまっていたのだ。


 そして家族を亡くしたという、不穏な家庭にも見えて誰も誠也に近寄らなくなって友人もいなくなった。ある意味誠也もまた全てを失っていたのだ。


「だからこの場所で君の姿を見た時、真夜のことほっとけなかったのかな。ちょうど年頃も同じで、雰囲気がどことなく妹と似ていたから。だから死のうとか言う君をほっとけなかったのかもな」


 誠也はそんな思いを持っていたからこそ、真夜をあの時引き留めたのかもしれない。


 父を亡くした真夜の気持ちがわかるというのは誠也も自分の家族を失っていた過去があったからだろう。


「ごめん、重い話をするつもりなんてなかったんだけど、しんみりさせちゃったかな」


「え……いや、そんなこと……」


 真夜はどう言えばいいかわからなかった。


 星を見に行くという夏の夜を楽しみに来たはずなのに、自分があんな話題を振ってしまったせいで、誠也にも悲しいことを語らせてしまった。それを後悔した。気まずい空気になってしまった。


 普段の誠也の性格からはこんなことは決して話しそうはない。


 真夜の話題もあり、夜というその雰囲気がそういう気持ちを正直に言ってしまったのかもしれな。


「そろそろ帰るか。あまり遅すぎるのもよくない」


 誠也はそう言い出した。


 夜遅い時間になるのはよくないと思っていたのだろうが、真夜が触れてはならないことを言ってしまったから急に帰るという話になってしまったのかとそうとも思えてしまった。


 このままここにいても誠也とどう話したらいいかわからない。自分のせいでそんな話をさせてしまったという罪悪感もあったからだ。


 ここは素直に帰ることが、この場から離れられる手段だろう。


「うん。じゃあ私もそろそろ帰るね、お母さん帰ってきちゃうかもしれないから」


「送って行くよ。女の子一人じゃ危ないだろ」


「別にいいよ。大丈夫、自転車だし何か危険があることなんて心配ないよ」


 そうは言っているが、真夜は誠也とこれ以上一緒にいるのは誠也が辛いかもしれない、と思えたからだ。これ以上誠也の心の傷をえぐるようなことはしたくない。


 ならば今日はすぐにでも誠也と別れて互いにここから帰った方がいいだろう。


「じゃあまたね」

「ああ」


 この場から逃げるように、真夜は自転車を置いた場所にそそくさと移動し、自転車の鍵を解除してまたがった。


 真夜は自転車に乗って自宅に向かいながら、複雑な気持ちだった。


 行く時は星を見に行くというロマンティックなことに心躍らせていたが、今は全く逆の気持ちだ。


 あの誠也があんな重い過去を抱えていただなんて知らなかった。


 あの日、自分を引き留めてくれたことで誠也と仲良くなれた。


 まさかあの誠也が真夜に話しかけたのは妹と重ねたというそんな理由があったのだと。


 こんな話を聞き出すつもりなんてなかったのに、自分があんな話題を振ってしまったから誠也にそんな苦しい過去を言わせてしまったと激しく心の中で後悔がうずまき、重くなる。


 家族と死別している人間はこの世界で自分一人だけではないのだ。


 真夜の父は病気だったが、誠也の妹は自殺だ。


 本来死ななくていい命を自分から投げ捨てたのである。


「誠也……あんなことを言わせてごめんね……」

 あの時の誠也の悲しそうな表情が忘れられない。誠也もあんな顔をするのだと。

マンションにたどり着き、駐輪場に自転車を止めて、マンションのエレベーターを昇った。




 真夜は家に帰ってからも複雑な気持ちだった。


 これまでフィクションの世界だと思っていた自殺をする者が本当にいること、しかも誠也の妹は亡くなったのは中学二年生で自分と同じ年だったというのだ。


 誠也の性格からしてあんな暗い過去を抱えていただなんて知らなかった。


 真夜にとっての誠也は少しやんちゃなところはあるが、こんな自分と付き合ってくれる友人だ。


 なのに、実はその陰で悲しみや苦しみを抱えていたのかもしれない。


 真夜は想像した。もしも自分の家族が自害したらと。


 病気でもなく、元気な身体だったのに、自分から命を投げ出した。世の中生きていたくても生きることができなかった人もいる。


 自分の父だって本当はもっと長く生きていたかったのかもしれない。だけど病気でどうしようもなかった。


 しかし、誠也の妹は精神的に追い詰められた結果、自ら命を絶ったのだ。


 生きていたくても、希望を見いだせずに、自分から死んでしまった。


「誠也……私よりもずっと辛い経験してたんだね……」


 あの話を聞いてから、真夜は次に誠也に会う時はどんな顔で会えばいいのか迷った。。


 妹の話を聞かされたのだから慰めるべきか。


 しかし、誠也の妹が亡くなったのはもう一年も前のことなのに、今更話すのもどうかと思う。


 それはかえって傷に塩を塗りこむようなものだろう。トラウマに触れることになる。

 昨日まで全く知らなかった話なのに、それにまた触れてもいいものなのか。


 次に会ったら何を話すか。いっそこのままもう二度と誠也に会うのは止めたほうがいいのかもしれない。


 真夜はそう思いつつも、今日は眠ることにした。


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