第9話 師匠は戸惑う弟子の話を聞く

 レイモンド・ルーが去ってから数秒後。セオはせっせと布のシートを敷き、持参のバスケットをその上に置く。


「とりあえず師匠として聞くから、みんな座って座って」


 誰もが素直にシートに座る。


「で。スイレン。話から察するに、レイモンドは君の精霊術の先生だとは分かったけど。どういう関係だ」


 師匠は直球な質問を投げる。弟子はクッキーをひとつ取っていたところだった。


「はい。言葉通りですけど。レイモンドさんはこの辺りで訓練を受けていたとか。殺伐としていない、公園に癒しを求めていて。私は魔法の練習目的で利用をしていました。師匠みたいに戦えるとかが出来なかったので」


 セオは優しい笑みをしながら、弱いデコピンをする。


「水臭いぞぉ。言ってくれたら教えたのに」

「むぅ」


 スイレンは頬を膨らます。


「そうだぞ。スイレン。私に言ってくれれば、ある程度は教えられたというのに」


 可愛らしい女性の声にセオは情けない悲鳴を出す。その声の主はリリアンだった。彼女は胸をセオの背中に押し付けるようにしつつ、抱き着いている。


「おま! 何しに来たんだよ!」


 セオの頬が赤く染まり、反射的に大声を出してしまう。リリアンはきょとんとする。


「ただの散歩だが」

「そうかそうか。だったら離れてくれ。近い!」


 セオは肘で突っつきながら、懇願に近いことをする。それでも彼女は離れようとしない。


「レイモンド・ルーか。海軍の若いエース格というあの軍人だな。婚約予定の女がいたという話だが、その婚約予定者の実家がやらかしたからか、破棄されたと言う」


 それどころか、リリアンは話を進めている。


「ちょっと待て。破棄された。破棄された?」


 セオは最後の言葉を繰り返す。リリアンは冷静に返す。


「ああ。賄賂という奴だな。それと不正使用の形跡もあったという話だ」

「情報源は」

「実家だ」


 セオは思わず「ん~」という奇声のようなものを出す。目をぎゅっと瞑り、顔を上げている。


「訓練時期を考えると、発覚する前は奴にとって、スイレンはただの教え子だったのだろう。だが婚約破棄の後は、異性として見るようになったと推測するのが妥当だ」

「でもリリアン様、いくら何でも急すぎますって。だって。そういう素振り一切なかった」


 スイレンの戸惑う様子に、リリアンは即座に答えとして出す。


「まじないの影響だろうな。本能で触れてはいけないと思ったからこそ、抑制をしていた。だが今のお前にはそれがない。だからこそ、欲の解放をし、愛を伝えたのだと私は考える」


 ユゼは真っすぐにリリアンを見つつ、どこか自分を責めるような表現をする。


「まるで……解いたから起きたような……やらかしたのは私なのか」

「お前は悪くない。ユゼ・シェンロン」


 優しいリリアンの声があったとしても、ユゼの表情は暗い。


「いや。これも責務という奴だろう」


 リリアンは変わらない態度でユゼと接する。


「セオみたいに気にするなとは言わぬよ。だが心の内というものは理解できるものではないし、読めるというものでもない。ほどほどにな」


 魔女様の視線はスイレンに移動する。目が合ったスイレンは綺麗な姿勢に変える。


「だがまあ……スイレンよ。覚悟をしておく必要があるぞ」

「何のです?」

「善意だろうと、悪意だろうと、男がお前を求めるようになったということだ。さきほどのレイモンドのようにな」


 現実を突きつけるような言葉はスイレンの表情を曇らせる。二人とも落ち込んでいるようなもので、場の雰囲気が一気に暗くなる。


「すまない。席を外す」


 いたたまれなくなったユゼはそう言って、どこかに行ってしまう。従者二人は頭を下げて、急いで彼に付いて行った。


「師匠」

「何だい」


 弟子は暗い声で師匠に問う。


「何故、軍の彼は私に求婚をしてきたのですか。一時を共にしただけ。朝の時間のみだったはずなのに」


 師匠は答えることに躊躇する。リリアンは「ふう」と息を吐き、セオに対して容赦ない態度を取りつつ、スイレンに対しては優しい態度を取る。


「鈍感な師匠の代わりに答えてやろう。婚約する予定だった女に疲れたのだろう。お前という存在と偶然出会い、癒され、次第に求めるようになった」

「リリアン様。それ。レイモンドさんの台詞パクってません?」


 鋭い指摘にリリアンはムッとする。


「仕方ないだろう。情報が少ないのだから。あとは……セオ、お前に任せる」


 予想外の質問の投げ方にセオはびっくりする。


「え。ここで俺に投げる?」


 リリアンは綺麗な目だけでセオの心を射貫く。セオはため息を吐く。


「分かった分かった。精霊術の習得で稀に髪の毛の色が変わることもあるんだ。レイモンドのように全部変わるのはレアで、基本的にほんの一部だけかな。魔法に長けてる奴らなら、感覚的に分かっちゃうんだよねぇ。染めてるわけじゃないって」


 スイレンはこくこくと縦に頷く。セオは続けて言う。


「で。ここからは推測になるけどさ。嬉しくなったんじゃないかな。教えたことで変化してさ。愛おしくなるとか。そういう感情を持ってもおかしくない。過去にそういう事例はいくつかあったみたいだし」


 弟子は何かを思い出し、「あっ」と小さい声が漏れた。


「だからレイモンドさん、嬉しそうにしてたんだ……」

「本当は今すぐにでも愛を君に捧げたかった。けどシェンロンのまじないで、触れてはいけないと本能的に理解していた。まあ。こういう感じだろうね。スイレン」


 師匠の優しい声掛けがあったとしても、弟子は肩を上げてしまう。


「今すぐ答えを出せとは言わない。けど。いつかは出さないといけないことを頭に入れておいて」


 そう言ったセオはスイレンを窺う。未だに彼女の表情に曇りがある。それを見たセオは背中をそっと撫でる。


「そろそろ戻って来るだろうし」


 セオはゆっくりと立ち上がる。


「合流したら、ぶらぶらと散歩しようか」


 提案をしながら、手を差し伸べる。スイレンはそっと手を重ね、掴み取り、師匠に引っ張られる。


「師匠……私はまだまだですね。未だに追いつけないです」


 笑ってはいるものの、スイレンに元気というものがない。師匠は弟子を元気づけようと、胸を張る。


「何言ってるの。俺の方が数年、人生の先輩なんだからな。それに家族でもあるんだ。だから頼ってくれよ」


 頑張る彼の姿を見たスイレンは微笑んだ。少し戻って来た彼女の雰囲気。柔らかい日差し。穏やかな風。ようやくこの場に日常が戻った。

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