始まりの音・裏②

 アインバッハ公爵家の馬車がランバルト公爵家に到着したのは、午前十時。

 ララスティには午後に訪問すると伝えているため、まずは先に本邸に馬車を向かわせる。

 もちろん朝一番で先触れは出しているが、訪問許可の返事を待たずに来ているので、本邸の使用人は寝耳に水。

 慌ただしく迎え入れられながら、コールストとルドルフは本邸に足を踏み入れた。

 階段から慌てて降りてくるシシルジアとスエンヴィオを一瞥し、コールストはわざとらしいほど機嫌がよさそうに見える笑みを浮かべた。


「ごきげんよう。急な訪問になってしまったが…………要件はわかりますね?」


 言葉の最後に笑みの種類を変え凄んで言えば、シシルジアとスエンヴィオは顔色を悪くする。

 使用人に箝口令を敷いたのに、まさか翌日にコールストが来るとは思っていなかったのだ。

 だが、本邸の使用人・・・・・・に箝口令を敷いたところで何の意味もない。

 ララスティは別邸で暮らしており、別邸で働く使用人は三人を除き全てコールストが手配した者ばかり。

 ララスティの言う事を聞くように指示していても、雇用主はあくまでもコールストなのだ。

 なにかあれば報告がいくと考えるのが当たり前なのに、シシルジアとスエンヴィオはララスティが使用人の口止めをすると思い込んでいた。

 どうしてそう思ったのか二人は理解できないようだが、コールストにはよくわかる。

 ララスティを頼むと言って心配しているつもりでも、結局、都合のいい道具としてしか見ていないのだ。

 家のために不利なことをするはずがないと、あくまでもランバルト公爵家の・・・・・・・・・付属品・・・と考えているから、ララスティが口止めをしたと当たり前のように考えたのだ。


「と、とにかくこのようなところではなんですし、奥でお話を……ルドルフ様も……」

「すまないね。コール兄上と話し合う要件があったんだが、偶然ララスティのことを聞いて心配になってしまったんだ」

「そうでしたか。あの子もきっと喜びます」


 スエンヴィオが顔を引きつらせながら二人を応接室に案内する。

 廊下を歩きながらコールストが「ところで、ランバルト公爵はどちらへ?」と尋ねると、スエンヴィオの肩が跳ねた。

 先触れが届いたのが数時間前とはいえ、今日の午前中に訪問すると伝えた以上、すれ違いの可能性を考えて家で待機しておくべきだ。

 だが———


「息子は……その……妻子と出かけております」

「ほう?」


 どうやらアーノルトに貴族としての常識を求めるのは間違っていたらしい。


「なぜ、とお伺いしても? 急な訪問とはいえ、先触れが届いた時間にはいらっしゃったのでしょう?」

「……はい」


 顔色の悪いスエンヴィオが小さく頷くと、コールストは「ああ、留守にされたことを怒ったりしませんよ」とにこやかに言う。

 そのことにほっとしながらも、スエンヴィオは言い訳のようにアーノルトの外出は、クロエとエミリアにせがまれてのものだと言った。


「なるほど、随分と大切になさっているようだ。商人を呼ぶだけでは飽き足らず、自らの足で店に出向くとは」


 言外にララスティには何もしないくせに、と言うコールストにスエンヴィオは身を縮こまらせてしまう。

 クロエは日ごろから公爵夫人としての窮屈な生活に文句を言っており、気晴らしに外出したいと言っていたのだが、平民時代とは違うのだから気軽に遊びになど行けないとアーノルトは断っていた。

 だが、昨日シシルジアがクロエからブローチを返却させたせいで、口実に使えると思ったクロエがアーノルトにもう我慢の限界だと泣きついた。

 クロエとしては、きっかけや理由はなんでもよかったのだ。

 ただ昔のように気軽に家族三人で・・・・・出かけたかっただけ。

 エミリアはついでにカイルに贈るハンカチ生地を見たかっただけ。

 そんな平民の当たり前を実行しただけ。

 予定や段取りを重要視する貴族にとっては迷惑なその行動も、クロエやエミリアにしてみれば普通の行動・・・・・でしかない。


「昼食を食べて帰ると言っていました」

「それは……午後にはルティのお見舞いに行く予定なのですが、間に合いそうにありませんね」


 コールストの言葉に、スエンヴィオは足に力を入れないと崩れ落ちるのではないかと思うほどの絶望を感じてしまう。

 娘とはいえ少女に暴力をふるったことへの弁解を、本人が出来ないということだ。

 本来なら伯父とはいえコールストは部外者だが、今はララスティの後見人も同然。

 その事実は社交界に知れ渡っているし、支援していると表明している書類にはルドルフのサインもある。

 傷害罪として訴えることだって可能だ。

 いや、それだけならまだしも、このことをきっかけに支援の契約を見直されるかもしれない。

 やっと領地の方で住民の承諾が得られたというのに、これでは努力が無駄になってしまう。


「もうしわけありません、私が悪いのです!」


 足を止めたシシルジアが頭を深く下げて言う。

 合わせるように足を止めたコールストとルドルフはスエンヴィオに視線を向けたが、スエンヴィオもシシルジアと同じように頭を下げてしまった。


「……とにかく、話を聞きます。部屋、そこでいいですか?」


 ルドルフがまとめるように言うと、スエンヴィオは頭を上げてうなずいた。


 部屋に入り向かい合わせにソファーに座る。


「さて、報告ではランバルト公爵が随分と強くルティを打ったそうですが……一応理由をお聞きしても?」

「私が……クロエからブローチを返却してもらったんです」

「ほう?」


 だから? とコールストは続きを促す。

 シシルジアは事のあらましを正直に話し、素直にコールストに頭を下げた。

 それを見てコールストはため息を吐く。


「ランバルト公爵の行動にも驚きますが、女主人の証をそんな気軽にどうにかする貴方たちも信じられません」


 シシルジアはコールストの言葉に何も言えなくなり、うつむく。

 昨日、ララスティが打たれるのを見てアーノルトに怒鳴るまで、シシルジアはララスティに女主人の証を持たせるべきだと思っていた。

 それに、クロエは多少立派な箱に入っていても、そこまで宝石が付いているわけではない女主人の証に興味もなかった。

 だから簡単にシシルジアに返却してきた。

 念のため女主人の証について話もしたが、興味なさそうだったので問題はないと思った。

 だが、実際にはアーノルトにせがむ口実に使われ、結果としてララスティにけがを負わせてしまった。


「全ては私の考えが及ばなかったせいです」

「まったくですね」


 庇う余地はないとばかりに言われ、シシルジアは泣きそうになってしまう。


「ララスティの怪我は目立たなくなるまで一ヶ月ほどかかるそうです。どれだけの力で打ったのか……同じ力でランバルト公爵の愛娘を打てば、わかってくれるんでしょうか?」

「おやめください!」


 スエンヴィオが咄嗟に止めたのを見て「おや?」と、コールストは器用に片眉を上げる。

 以前であればこのように庇う真似はしなかったと思うが、暴力行為はさすがに止めなければと思ったのか、それともエミリアに情が移ったのか……。


(どちらにせよ、本気であの娘を殴るつもりもないが)


 アーノルトに怒っているのは事実だが、だからといって同じことをするつもりはない。

 これはただの言葉の綾で、ちょっとした脅しだ。


「……まさか、言ってみただけです。それとも本気でやると思いましたか?」

「あっ……いえ」


 スエンヴィオは気まずそうに視線をそらし「すみません」と謝罪する。

 それが何に対する謝罪なのか問い詰めたいが、あまりいじめても意味はないと思いやめた。


「今後もこのようなことがあっては困ります。次がないことを祈って、ララスティとの接触は最低限を心掛けてください。あと、別邸にまた・・お宅の愛娘が入り込んだそうですよ」

「「えっ!?」」


 知らなかったのだろう、二人は驚きの声を出し顔を見合わせている。

 別邸に移った当初は何度か出入りをし、ララスティからアクセサリー類を奪っていたが、目的の物がなくなったのか、口酸っぱく言ったのが効いたのかがわからないが行かなくなっていた。


「使用人たちはララスティからさきに、もしかしたらエミリアが来るかもしれないと言われていたためいれたそうですが、カイル殿下からの贈り物である刺繍糸を奪っていったそうです。まったく、変わりませんね?」

「「もっ申し訳ありません!」」


 シシルジアとスエンヴィオは慌てて頭を下げる。


「宝石類やドレスでなければとでも思ったのでしょうか? 刺繍糸とはいえカイル殿下からの贈り物に手を付けるなんて、教育はうまくいっていないようですね?」


 シシルジアは刺繍糸を奪ったから刺繍用のハンカチを買うと言っていたのかと思ったが、今からエミリアの部屋に行って刺繍糸をとりかえしたら、昨日と同じことになるかもしれないし、そもそもどの糸なのかわからない。

 結局、そのまま二時間ほどシシルジアとスエンヴィオから説明という名の言い訳を聞いたが、当然アーノルトたちが帰ってこなかった。

 今後、別邸敷地内へのアーノルトの立ち入りを絶対に禁止と、ララスティを不用意に本邸に呼びつけないことを約束させ、話し合いは終わった。

 アーノルトだけ立ち入り禁止にしたのは、エミリアも立ち入り禁止にすれば、ララスティの計画の邪魔になるかもしれないからという理由なだけだ。

 その後は、ララスティに昼食を一緒に食べることの了承をもらって別邸に移動することになった。

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