水を撒く①

 ララスティは自宅に帰る馬車の中で、ルドルフに言われた言葉を考えていた。

 ルドルフも巻き戻っており、前回のララスティの事故後の状況を知っているという。


(四十年も生きたと言われても……)


 記憶がないからか、実感が全くない。

 その上、ルドルフと事実婚をしていたなんて、それこそ夢のような話だ。

 だが、巻き戻って動いている人がララスティ以外にもいるとすれば、自分の想定していた状況とずれが生じているのも納得がいく。

 先ほどの様子から敵対しているとは考えにくいが、ルドルフの行動次第では、今後もララスティの想定外の出来事が起きるかもしれない。


(それに、愛してるって……)


 思い出したララスティは、自分の頬が赤くなっていることに気づき、手を添えて誤魔化す。

 あれほど正面から愛していると言われたのは、前回の記憶を合わせても初めてで、正直どのように反応していいのかわからない。

 慣れない言葉をかけられたからか、ずっと胸はドキドキと高鳴り、頭に熱が上って何も考えられなくなってしまいそう、とララスティは熱い吐息を吐いた。


(いえ、きっとからかっているだけですわ)


 たとえルドルフと事実婚だったとしても、十三歳も年の差があり、あちらから見ても恋愛対象に見るとは思えない。

 確かに女性として意識したのは、前回の自分が十八歳になってからだと言っていたが、それも怪しいものだ。

 言うだけならいくらでもできるのだから。


(でも……)


 前回のララスティの好物だった甘い香りの蜂蜜を、何の飾り気もなく当たり前のように渡してくれた、とララスティは小瓶の入ったポケットに手を添える。

 ララスティが甘いもの好きなのは隠していないが、その中でも蜂蜜が特に好きだというのは限られた人しか知らない。

 カイルが蜂蜜のアメを寄越した時も、もしかしてルドルフの助言があったのかもしれない。

 考えれば考えるほどわからなくなってしまいそうで、とララスティは目を閉じる。

 話をしている時、ララスティに向けられるルドルフの視線は常に優しかった。

 従兄妹姪に対する親愛だと思っていたが、本当に事実婚の家族に対するものだとしても、ララスティが求めていた愛情なのだとすれば——————


「気にならないわけがありませんわ」


 そう呟いたララスティの声はどこか震えており、いっそ泣き出しそうなくらい弱々しく小さかった。

 実際、先ほどまであまり気にしていなかったルドルフの存在が、ララスティの中でどんどんと大きくなっている。

 我ながら単純だとわかっていながらも、予想外のところから向けられた愛情に戸惑ってしまっているのだ。


 馬車が家に到着してそのまま門を通り別邸に向かう途中で急に止まってしまう。

 何事かと思っていると、馬車の扉がノックされた。


「お姉様、いるのよね? ちょっと出てきてくれませんか?」

「エミリアさん?」


 今日は想定外の事が多いと思いながら、ララスティは内鍵を開けた。

 次の瞬間、勢いよく開けられた馬車の扉に驚いたが、にんまりと笑うエミリアの顔を見て困ったような笑みを浮かべる。


「ごきげんよう、エミリアさん。どうなさったのかしら?」

「こんにちっじゃなくてごきげんよう、お姉様。あたしとちょっとお話しましょうよ」


 そう言って「入りまーす」と言ったエミリアは、勝手に馬車の中に入ってきてララスティの向かいに座る。


「お姉様は王宮に行ってきた帰りですよね?」

「ええ」

「いいなぁ、羨ましぃ。あたしもがんばってるのに、まだ正式な社交デビューさせてもらえないんです。っていうか、なんですかね面倒くさすぎません? まあ、メイドに食べたいものを取らせるのはいいんですけど、順番だとか食べ方とか細かすぎ」



 始まった文句に、ララスティは苦笑するしかない。

 ララスティからしてみれば、それは物心ついた時から当然のことで、マナーを間違えればしつけとして体罰も受けてきた。

 聞いた話によれば、エミリアの教師は厳しく接するタイプではなく、エミリアがマナーを間違っても優しく指摘するだけらしい。

 その事実だけでも、アーノルトはエミリアを可愛がっているのだとわかる。


「けれどそれが出来ないとお茶会では顰蹙を買ってしまいますわ。面倒でも身に付ける努力を———」

「カイル様とのお茶会でもそんな風に細かいマナーなんですか?」

「……いえ、マナーの授業で習うようなティースタンドが出てくることは、ほとんどありませんわ」


 言葉を遮られたが、ララスティはとりあえずカイルとのお茶会の一部を伝える。


「やっぱり! 婚約者のお茶会なら毎回面倒なマナーなんてないと思ったんです! そうですよねぇ、普通そんなにマナーなんてきにしないですよね」

「そういうわけではございませんわ」

「えー、でも堅苦しくないんですよね? じゃあ気にすることないじゃないですか」


 意味ない勉強とかしたくないというエミリアに、ララスティはお茶会はカイルとだけするわけではないとだけ伝える。

 女性同士の社交におけるお茶会は情報戦であり心理戦。

 その前哨戦がドレスやアクセサリー、そしてマナーの出来栄えだ。

 家格が上であっても前哨戦で失敗すればあっという間に追い落とされる。


「それで、このように馬車に乗り込んでいらしたのは結局どのようなご用なのでしょう?」

「ああ、なんかおばー様が今度分家の人を集めたお茶会をするから、そこであたしのプレ社交デビューするって言ってて、お姉様も来て欲しいって」

「なるほど。開催日など本日中に教えていただけますか? こちらもスケジュールを調整いたします」

「はーい。でも、社交のプレデビューとか面倒ですね。そのままデビューでいいじゃないですか。あたし、この家の一員としてお披露目もされたし、お姉様の誕生日パーティーにも参加したんですよ? 今さらって感じです」


 確かに平民出身のエミリアからすれば、もう社交デビューした気分なのかもしれない。

 だがこの国の貴族社会としては、ただのお披露目ならしゃべらない赤ん坊でも出来るし、家族の誕生日パーティーに参加していなければ逆に問題だ。


「エミリアさんは分家の方だから、格下の人ばかり来ると思っているかもしれませんが……」

「そうなんですよね?」

「今のランバルト公爵家にとって、分家の方々は我が家を支えてくれる、大切な忠臣でしてよ」


 ララスティの言葉にエミリアは首をかしげる。

 領地の立て直しに分家の力は欠かせず、経済状況で言えば支援を受けているランバルト公爵家よりも裕福な家もある。

 格下だと侮っていては逆に手を噛まれる可能性が高い。


「まあ、あたしには関係ないですけど。そこでうまくできれば正式な社交デビューらしいんで、お姉様もあたしをうまくフォローしてくださいね」

「善処いたしますわ」


 ララスティはここでエミリアに協力し、信頼を得るのも悪くないと考える。

 虐げられても異母妹のために努力する異母姉。

 傍から見ればさぞかしけなげに見えるだろう。


 話しているうちに馬車は別邸の玄関前に到着して止まる。

 内鍵が開けられたままだった扉を横目で確認してからエミリアを見る。


「わたくしはもう家に戻りますが、エミリアさんはどうなさいますの?」

「え?」

「このまま本邸に馬車でお戻りになるのならこのままお乗りになってください。もし別邸でお茶をなさるのなら、どうぞ降りてくださいな。ちょうど美味しいそうな蜂蜜をいただきましたの」

「カイル様からですか!?」

「いえ……」


 否定したララスティに「なんだ」と言って、興味を失ったのかエミリアは「本邸に戻ります」と言う。


「わかりました。この馬車で本邸まで送らせますわ」

「いや、歩いて帰りますけど?」

「いけませんわ。何かあっては大変ですもの」


 ララスティの言葉に家の敷地の中だから問題がないというエミリア。

 この防犯意識の低さは平民出身だからなのだろうか、とララスティは考えてしまう。

 例え家の敷地内であっても、危険はどこにだって潜んでいる。

 だがあえてそれを指摘せず、ララスティは別の事を指摘した。


「歩いて帰れば時間がかかってお父様たちが心配なさいます」

「ああ、なるほど。あたしがお姉様にいじめられてるとか? あはは、ありえなーい」


 笑うエミリアに、前回はララスティに虐げられているとカイルに訴えたくせに、と内心で毒づく。


「愛されている証拠ですわ」

「まあ、そうですけどね」


 にやにやと笑うエミリアを無視し、ララスティは馭者の手を借りて馬車を降り、振り返る。


「あと、カイル殿下への敬称はくれぐれもお気を付けになってくださいませね」

「……ふんっ」


 エミリアは乱暴にドアを閉めると、中から「早く出発して!」と怒鳴った。

 その声に、ララスティは馭者に言うとおりにしてやるように言って、馬車から離れる。


(お茶会でのプレ社交デビュー、ね)


 さて、どう演じようかとララスティは楽しそうに笑い、くるりと体を回転させ、別邸のドアを開けて待っている執事に笑みを向けた。

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