約束を交わした二人②

「ララスティ様、こちらにいらしたのですね」


 カイルの十歳の誕生日パーティーのひととき。

 少し休憩をするために日除けされたテラスに出ていると、不意に声をかけられ、ララスティが後ろを振り向くとカクテルグラスを持った桜色の髪の少女が微笑んで立っている。


「マリーカ様。ごきげんよう」


 実兄が亡くなったことで嫡子に正式に選ばれたララスティの親しい友人。

 マリーカは空色のワンピースドレスの裾を揺らしながらララスティの隣に立つと、グラスに口をつけて一口飲む。

 その様子をじっと見つめ、ララスティは会場に続く扉の横にいるメイドに視線を向けず手だけを振って人払いをする。

 メイドたちがいなくなると、テラスにはララスティとマリーカだけが残る。


「どうしましたの?」


 ララスティが心配そうに尋ねれば、マリーカは拗ねたように頬を膨らませた。


「ルティお姉様! このような場所で休んでいる暇はありませんよ。カイル殿下のおそばに居るべきです!」


 二人きりになったとわかった瞬間、甘えるように呼び方すら変えたマリーカに苦笑し、ララスティは「まあまあ」と宥めた。

 マリーカは元々エルンストの婚約者候補であったことから、他の令嬢よりもララスティとも親交があり、人前では他人行儀に「ララスティ様」と呼ぶが、二人きりや親しい人だけのいる空間では、「ルティお姉様」と呼んでいる。

 ララスティもエルンストが亡くなったことで親類になる縁は途絶えたが、マリーカのことは実の妹のように可愛がっているからか、こういう時は「マリー」と愛称で呼ぶ。


「少しだけ休憩ですわ。それに、カイル殿下だってずっとわたくしが横に居ては疲れてしまいますわよ」

「そんなことありません。ルティお姉様のような方にフォローされている方が、カイル殿下だって安心できるはずです」


 自信満々に言うマリーカに「フォロー……ね」とララスティはくすくすと笑う。


「今日の主役はカイル殿下ですわ。この機会にお近づきになりたいと思う方々も多いでしょう。貴女だって……」

「ルティお姉様、わたしは無い・・とわかってますから」

「マリー」


 少しだけ寂しそうな笑みを浮かべるマリーカは、エルンストとの婚約の話が出ていたさい、秘かにカイルに憧れているとララスティに告白してきたことがあった。

 そのことを考慮してのララスティの発言だったが、マリーカは大丈夫だと頷いた。


「問題はそのお近づきになりたいと思う方々です! ルティお姉様が正式に婚約者になったというのに、未だに自分を売り込む身の程知らずの多いこと!」

「カイル殿下はまだ十歳だもの。今後はどうなるかだれにもわかりませんわ」

「弱気になるなんてルティお姉様らしくありませんよ」

「そうかしら。事実だと思うけど」


 ララスティはそう言って「ふう」と大きく息を吐きだす。

 その様子を見てマリーカは不意に声を小さくした。


「もしかして、お疲れでしょうか? ここのところ色々ございましたし……」


 遠慮がちな声に「気にしないで」とララスティは言ってから、風で少し乱れた髪を指先で直す。


「確かに色々あったけど、王太子妃教育のことなんかを考えると、むしろこれからの方が忙しいのではないかしら」

「それはそうですね」


 今後の大変さについては反論しないのか、マリーカも素直に頷く。

 実際のところ、すでにしっかりと王太子妃教育のスケジューリングがされている。

 ララスティの能力と勉強の進捗次第で調整はされていく予定だが、確認した限りでは数ヶ月先まで予定が埋まっている。

 マリーカはララスティが髪を直している横で手にしたグラスの中身を飲み干してからにすると、先ほどのララスティの真似をする用に「ふう」と息を吐きだした。


「そうだ」

「なんでしょう」


 話を切り替えるように明るい声を出したララスティにマリーカは首をかしげる。


「今度、我が家にカイル殿下をご招待しようと思ってますの。マリーも一緒にどうかしら? わたくしの可愛い妹分として改めて紹介したいですわ」

「ご紹介してくださるのは、その嬉しいのですが……お家というのは、ラインバルト公爵家でしょうか?」

「ええ、そうですわ」


 頷くララスティにマリーカは難しい表情を浮かべる。


「ルティお姉様はランバルト公爵令嬢ですから、家に招くとなれば確かにそうでしょうけれど、あの家でのルティお姉様の扱いは……その……」


 言いにくそうに、けれども頬を膨らませて、まっすぐ見つめてくるマリーカを安心させるようにララスティは微笑む。


「別邸の庭で三人だけでお茶をいただくだけですもの。問題など起きませんわ。あの方々は、もう別邸に興味などありませんし」


 心配ならマリーカの婚約者候補を連れてくればいいというララスティに、マリーカはどうしたものかと眉を寄せる。

 いつもなら別邸など気にしなくとも、王太子であるカイルが訪問するとなれば挨拶にくるかもしれない。

 その際にララスティが傷つくような真似をされたくない。


「わたしはまだ婚約者は決まっていませんから、誰かを連れていくのは難しいです」

「そうですの。マリーの旦那様になる方はわたくしも見定めたかったですわ」

「ルティお姉様ったら」


 からかわれているとわかってマリーカは拗ねるが、そのからかいがララスティなりの気づかいだともわかっている。


「もしあの方々が来ても、わたくしは大丈夫ですわ」


 髪を直し終わったララスティはマリーカに近づいて腕を伸ばしてくる。

 そのまま自身の髪が直されるのを受け入れたマリーカが何かを言う前に、テラスの扉が開いた。


「やあ、ここに居たんだねララスティ嬢。マリーカ嬢も一緒だったんだ」

「カイル殿下。どうかなさいましたか? もしかして来賓から逃げていらっしゃいましたの?」


 マリーカの髪から指先を離し、ララスティはからかうような声でカイルに話しかける。


「先に逃げたのは君じゃないか」


 カイルは特に怒った様子もなく返事をして足音を立てて二人に近づく。

 当たり前のようにララスティの横に立つカイルに、マリーカは内心で安堵する。

 周囲がどのように動こうとも、今現在のララスティとカイルの仲は良好に見えた。


「女の子には息抜きは必要ですの。ねえ、マリーカ様」

「ええ、ララスティ様」


 カイルが来たことにより他人行儀な呼び方に戻ってしまったが、雰囲気は相変わらず気安さを維持している。

 そのことに気づきカイルがララスティを見るが、特に何も言わずに微笑まれて終わってしまった。

 マリーカは特にその場に残ることもせず、カーテシーをしてから会場に戻っていき、テラスにはカイルとララスティが残る。


「彼女とは親しいの?」

「ええ。会えない時も文通をしていたぐらいに仲良くしておりますわ」

「ふーん。女の子の交流関係はまだよくわからないな。思いがけないところで繋がっていたりするし、下手に扱えなくて難しいよ」

「あら、なにかありましたの?」


 首をかしげたララスティに、カイルは気を抜いた顔でため息を吐く。


「全然関係ないと思ってたご令嬢たちが数人、誕生日プレゼントだってお揃いのハンカチを持ってきてね。人気店で一緒に購入した同じモチーフの物だそうで……」


 そこで言いよどんだカイルに、ララスティは同情の視線を向けた。


お揃い・・・でも他の皆も一緒だから問題ない、と言われましたのね?」

「そうなんだよ」


 店の既製品とはいえ、婚約者でもない令嬢とお揃いのハンカチを使うのはできないと逃げてきた、と言うカイルにララスティは笑う。


「次に同じことをされたら、わたくしの刺繍したハンカチがあるから、ハンカチは間に合っているとでもおっしゃいませ」


 くすくすと笑うララスティにカイルは頬を膨らませた。


「それじゃあ君が嫌な子みたいに思われるかもしれないよ」

「構いませんわよ。自分が刺繍したハンカチを持って欲しいという、婚約者のかわいいおねだりではございませんか」


 からかう様子のままのララスティにカイルは「はー」と息を大きく吐き出した。

 そのあとゆっくりララスティに視線を固定すると、カイルが一歩足を踏み出し、ララスティに自分の顔を近づける。


「じゃあ、僕は君に髪飾りでも贈ろうかな。婚約者の君につけてもらいたいっていう、可愛いおねだりでしょ」

「まあ!」


 思いもよらないカイルの発言に思わずララスティは目を大きく開けてしまった。

 前回はカイルに様々なものをもらったが、このように直接つけてもらいたいなどと言われたことはなかった。


「ララスティ嬢の髪は綺麗な薄い藤色の髪だからどんな髪飾りがいいかな?」


 「今つけているネイビーもいいけど……」と考え始めるカイルに、もし前回でララスティが執拗に愛情を求めなければ、カイルとは今のように気安い関係だったのだろうかとも思ったが、今求めるものと前回求めたものは違うと内心で笑った。


「今度我が家にご招待する際……」

「ん?」


 考え込むカイルにララスティはかわいらしい笑みを向ける。


「わたくしの親しい友人をご招待してもよろしいでしょうか? カイル殿下は内緒の女性同士の友情はあまり好みではないようですもの」

「それは……確かにそうだね。うん、ララスティ嬢の友人を紹介してもらうのを楽しみにしてるよ」


 笑ったカイルにララスティは、「女性に囲まれたお茶会になりますわね」とまたからかいの声をかけ、くすくす笑いながら会場に戻っていった。


「ら、ララスティ嬢!?」


 言われてそのことに気づいたカイルが顔を赤くして追いかけて会場に戻ったが、会話は聞こえていなくても、幼い婚約者同士がテラスで楽しそうにしていた光景は誰もが見ていたため、二人が会場に入ってきた様子は、本人たちが思っているよりも多くの人に温かく迎えられた。

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