第18話 初任務

 長兎族クニークルの少女・ミミは真っ白な浄化装置を指差して言う。


「まえにルプスさんが、それからキレイなお水がでるっておしえてくれたでしょ? それが体にいいって、おしえてくれたでしょ?」


 だから、飲んだらお母さんの病気もなおるかなって。

 ミミは震える声でそう言った。

 ルプスはせいいっぱい優しい声を作って言う。


「そっか。よく憶えてたね。えらいよミミ」

「えへへ……」

「でも、こんな薄暗い時間に一人で出歩くのは感心しないな。それもこんなに大きな水瓶を持って、よろけそうになって。サシャさんだって──お母さんだって心配してるはずだよ」

「うー……でも……」

「いつも言ってるでしょ。困ったらあたしたちを頼って、って。たとえあたしが夢のなかにいたって、飛び起きてすぐ駆けつけてあげるんだから」


 ルプスが「ね?」と言いながらミミの柔らかい髪を優しくなでる。長兎族クニークルの女の子は、耳をぺたりとさせながら「うん」と呟いた。


「とりあえずサシャさんのところにいこうか。リュート、手伝ってくれる?」

「任せてくれ」

「そしたらまずは──……」


 ルプスの指示に従って、水源浄化装置から直接濾過ろかさせた水を水瓶に溜める。重たくなったそれをリュートが肩で担ぐと、三人は揃ってミミの母親・サシャの元へと向かった。

 家の戸をくぐると、咳き込む声が聴こえた。


「お母さん!」


 ミミが寝室へとすっ飛んでいく。ルプスとリュートはあとを追いかけた。

 ベッドには長兎族クニークルの女性が一人、せっている。


「……ミミ。ああ、私のかわいいミミ。おいで」

「んっ!」


 ふたりは抱きしめ合った。

 ルプスとリュートはそんな二人を部屋の外からそっと眺める。リュートは静かに見守っていたが、口を開いては閉じ、開いては閉じ、やがて隣のルプスへ尋ねた。


「あのお母さん……サシャさん? だっけか、〈灰幻病タナトス〉なのか」

「うん。昨日様子を見に行ったときは容態に変わりはないって言ってたんだけど……急に悪化するのが〈灰幻病タナトス〉の厄介なところだよ、まったく」

「……浄化した水ぐらいでどうにかなるのか?」


 もはや祈る気分だった。足元におろした水瓶をちらりと見る。このただの水がで病を治してくれと。だがルプスは寂しそうに目を伏せる。


「これ以上〈灰幻素グレージュ〉を取り込まないで済む、そのくらいだね。しないよりは遥かにマシ。でも、根本的な治療にはならない」

「だよな……」


灰幻病タナトス〉は『灰路彷徨グレイ・トレイル』では不治の病として描かれている。完治は不可能。症状を抑えることができるのは〈灰幻病タナトス〉抑制剤という特効薬のみ。ミミが「おくすりがない」と言ったのはその抑制剤のことだった。


「ミミ、それからサシャさん、ちょっといいかな」


 ルプスは二人へと近づく。母親──サシャが頭を下げた。


「ごめんなさいね、ルプスさん。うちの子がお騒がせして」

「気にしないでサシャさん。ミミも悪気があったわけじゃないのは知ってますから。ミミも、さっきは叱っちゃったけどお母さんのために頑張ろうとしたのは立派だったよ」

「ううん、あたりまえだもん!」

「母親の私がしっかりしていればいいんですけど……ゴホッ、ゴホッ!」

「お母さん……お水のんで。きっと元気になるから」

「サシャさん、無理しないで。ゆっくり呼吸できる? そう、落ち着いて、吸って──吐いて──」


 サシャの喉からビュウビュウと、割れた窓を通り抜ける風のような呼吸音がして静かな部屋に残酷に響く。サシャの命はいま、悲しいまでにささくれ立っていた。


 咳き込むサシャの痩せこけた手には灰白色ののようなものが見える。灰殻蠍スコルピオスの甲殻と似た質感の体組織。〈灰幻素グレージュ〉が体表面を蝕みはじめている。

 〈灰幻病タナトス〉が進行している証だ。


 ミミが不安そうに声をあげる。


「ねえルプスさん。お母さんの具合はよくなるんだよね? キレイなお水のんだら、きっとよくなるよね?」


 ミミの縋るような問いかけにルプスは頷くことができない。けれど無慈悲に首を横に振ることもできなくて。

 気まずい沈黙を破ったのはリュートだった。


「薬を──」


 リュートがゆっくりと噛みしめるように言う。


「──探そう。〈灰幻病タナトス〉の抑制剤を」

「うん。待っててね、ミミ」


 ルプスがしゃがみこんで、ミミの柔らかな髪をやさしく撫でる。


「〈終焉の紺碧エンズ・アズール〉の名にかけて、あたしたちが薬を見つけて帰ってくる」

「ほんとうに?」

彷徨者トレイラーは依頼人からの依頼は絶対に果たすのさ。ミミも知ってるでしょ?」

「…………うん」

「だから、今回だってそう。お母さんはあたしたちが助ける。絶対に」

「……うん」


 長兎族クニークルの少女は目にいっぱいの涙をためながら、ルプスに抱きつく。


「おかあさんを、たすけて」


 小さな依頼人の目から涙がこぼれ落ちる。

 若き彷徨者トレイラーはその涙をそっと拭うと、決意とともに立ち上がった。




 * * *




 ミミとサシャへ別れを告げたリュートたちは寄り合い所へと急いで戻る。寝ていたディディとクロコを叩き起こして事情を説明すると、二人はすぐに話を呑みこんだ。

 ディディは二日酔いだろうに「近くの支部に片っ端から緊急通信ブン投げてくるわ!」と弾丸のように飛び出していった。

 残った二人と一機は輪になる。


「サシャさんの容体はどうなんだ? このままでも平気ってわけじゃないよな」


 リュートが尋ねるとルプスは苦々しい顔で首を横に振る。


「わからない。彼女はいまステージ2にカテゴライズされてるんだけど──」


 ルプスは〈灰幻病タナトス〉の病状に沿ったステージの説明をはじめる。


 ステージ1:罹患。咳き込むようになり、やせ細りはじめる。

 ステージ2:硬質化した〈灰幻素グレージュ〉が体表面に現れる。

 ステージ3:硬質化した〈灰幻素グレージュ〉が内臓を浸食。

 ステージ4:ミュータント化し、自我を喪失して暴れる。


「──早ければ数時間でステージ3になることもあるし、一年経っても平気だった例もある。そこは、わからない。でも、だからこそ早く薬が必要なんだ。手遅れになる前に」


 ステージ3。つまり、硬質化した〈灰幻素グレージュ〉が内臓を浸食しはじめる段階ということ。


「ここからは本当に危ないんだよ。臓器が〈灰幻素グレージュ〉となってしまったら、一気に合併症が発症するケースが多い。そりゃそうだよね、内臓に硬い異物が混入して健康でいられるわけがない」


 リュートの脳裏に嫌な想像がよぎる。たしかに、心臓や肺に石が詰まって無事でいられると考える方が不自然だ。

 悠長にしていられる暇はない。それが事実だった。


「団長の話だと定期便が届くのは十日後。早くても一週間かかるって」

「けど……そんなのんきなことは言ってられないよな?」

「もちろん。いまディディが問い合わせてくれてるほかの支部だって、もし抑制剤があったとしてもトラックで片道三日はかかる。ぜんぜん安心できない距離なんだ」

「ルプス、どこかにないか? たとえば村長の家とか、それこそこの寄り合い所に置いてある予備とか……なんか、倉庫にしまいわすれてるとか……」

「そんな都合よく物資が生えてくるわけ──……ん?」


 ルプスの耳がぴくりと動く。


「あるかも、都合よく」

「えっ、まじ!? どこ!?」

「中継基地さ」

「ちゅーけーきち?」


 なんだか響きは可愛いな、などと場違いな感想が浮かぶ。


「そ。〈終焉の紺碧エンズ・アズール〉の無線通信機って通信距離が短いんだ。だから支部と支部の間を繋いで遠くまで通信できるようにする必要があった。そこで作られたのが中継基地ってわけさ」

「そこに薬があるって?」

「行けば分かるさ! 急ごう! クロコ、トラックの用意をしてくれるかな!?」

『了解しました』


 ルプスが走りはじめる。リュートはその尻尾を追いかけた。


「気合い入れてねリュート。初依頼だけど簡単じゃあないから」

「……おう!」






 ◆ Tips ◆

灰幻病タナトス〉抑制剤

 先史文明の巨大自律ロボット〈超越遺物オーパーツ〉〈医薬品製造工メディカル・ファクトリー〉の製造する〈灰幻病タナトス〉──通称:〈灰幻素グレージュ〉感染症の症状を緩和させる薬剤。〈灰幻病タナトス〉抑制薬とも。

 症状の緩和には欠かせない。

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