33話:若月「園田さんの好きな卵トースト」
◆◆◆
シャーペンか鉛筆で書かれた園田さんの文字。
左手で紙を抑えることができなかったのか、時折ずれた文字を消したような痕があった。
その痕跡で懸命にこれを書いたんだとわかる。
最後の紙の一部分が突然、点に濡れた。
ここは校舎の中で雨のはずがない。
濡れた理由は一つ、僕の涙だった。
どうして園田さんに別れを告げられたとき、すぐに帰ってしまったのか。どうして思い込んでしまった園田さんの話をゆっくり聞かずに、怒鳴ってしまったのか。僕が園田さんを重荷に感じてしまっていたことを、園田さんに気付かせてしまったことが恥ずかしい。
なにより一番恥ずかしくて情けないのは。
好きになって、ごめんなさいと言わせてしまったこと。
人を好きになることは素敵なことだ。それだけで世界が豊かになるくらいだ。それを園田さんと出会って教えてもらったのに、僕は園田さんにごめんなさいと言わせてしまった。
僕が弱くて、覚悟を決めきれてなかったから。
手が震える。口から嗚咽が漏れて目から涙が溢れる。止めようとしても止まらない。
そして気付く。
教室で、園田さんを馬鹿にしたクラスメイトに怒鳴ってしまった理由。
そんなの簡単な話だったんだ。
園田さんのことが大切だからだ。
だから腹が立ったんだ。大切な人のことを馬鹿にされて、黙っていられなかったんだ。
だけど僕は別れてしまった。
あの時、安堵したのは園田さんに別れを告げるようなことをしなくて済んだことに安堵したんじゃない。覚悟を決めきれなかった自分を、これ以上露呈しなくて済んだことに安心したんだ。
僕は馬鹿だ。
そんなの気にしてどうする。自分のことばかり考えて、園田さんのことを考えてなかった。
手紙から溢れてくる園田さんの想い。園田さんはこんな僕のことを好きだって言ってくれている。それなのに辛い思いをさせたくないからって別れようとしてくれた。
病気で辛いはずの園田さんの方が覚悟が決まっている。
支えなくちゃいけない僕が、園田さんに支えられていた。
そんな自分が恥ずかしい。
「千堂さん。この土日、園田さんはどうだった? どんな様子だった?」
壁にもたれかかって腕を組んでいた千堂さんに問いかける。
「そんくらい知りたかったら自分で病院に行けよ。バッカじゃないの」
「うん、僕は馬鹿だ」
「そうだ。あんたは馬鹿だ。ナコがこんなに一生懸命自分の気持ちを書いてくれてそれを読んだのに、まだこんなところで突っ立って泣いてるだけのあんたは大馬鹿だよ!」
千堂さんが踊り場だけではなくて、廊下にまで響くくらいの大声を上げた。
「行けよ!」
膝下まで長くしたスカートをはためかせて、僕の足を思い切り蹴り上げた。
痛い。だけど、その痛みが石みたいに固まっていた僕の足を動かしてくれた。
千堂さんの横を突っ切って階段を駆け下りる。
屋上前の踊り場から、四階の廊下に下りたところで立ち止まる。すぐさま振り返って、早口で問いかけた。
「教えて欲しい。園田さんの病院食はまだ刻み食? ちゃんと食べてる?」
この土日だけじゃない。園田さんから別れを告げられる前、駐車場で怒鳴ってしまった日から、僕は園田さんがご飯を食べてるか、リハビリを受けてるかを知らない。
「もう普通のご飯になってるけど、ちょっとしか食べてない」
千堂さんはちゃんと答えてくれた。
真剣に聞けば、嫌いな人間にでもしっかりと返してくれる人なんだと知った。
「ありがとう!」
僕はお礼を言うと同時に駆け出した。
教室にも戻らず、そのまま昇降口へ向かった。誰にも早退することを言わず、靴を履き替えて自転車に乗り、勢いよく校門から飛び出した。
景色なんて見ずに力でペダルを漕ぐ。信号で止まった時に電話をかけた。
相手は自分の母親で、家に卵と食パンがあるかを尋ねる。どちらもあるとのことだった。電話を切って自転車を漕ぐことだけに集中した。
普通に漕げば十五分くらいの道。全速力で漕いだおかげか、十分もかからずに家に到着する。自転車を駐輪場に置いて家の中に駆け込んだ。
「学校は? それにさっきの電話なんなのさ」
母親が突然帰ってきた僕に驚いた表情で問いかけてきた。
「ごめん、ちょっとあって今日は休む! 今から台所使うから!」
僕はまくし立てるようにそう口にする。母親は「留年だけは勘弁してよねー」と軽く注意してきただけで、洗濯物を干しに二階のベランダへと向かっていった。
教育熱心な親じゃなくて良かったと安堵しながら、僕は食パンをトースターの中にいれて電源を入れる。次にフライパンを熱して油を薄く引き、冷蔵庫の中から卵とバター、それとマヨネーズを取り出した。
去年の秋、山を登ったときの頂上で食べた園田さんが作ってくれたスクランブルエッグの卵トースト。園田さんが好物だといっていたそれを僕は作ることにした。
刻み食じゃなくなってるならこれだって食べて良い筈だ。食べ物の差し入れが良いのかどうかはわからない。だけど、お見舞いで果物の詰め合わせなんて定番だし、これだって大丈夫だろうと高を括った。
サンドイッチはからしを入れるのが定番だ。だけど、あまり塩分や刺激のあるものは園田さんの体には良くないだろうと判断して、からしは抜いておく。
作り終えて、可愛げのない透明のタッパーに入れて薄い布で包んだ。
学校の鞄を持って帰って来なかったことに気付く。自分の部屋に紙袋があったことを思い出して、部屋に入る。
朝、学校に向かう前に比べて部屋が綺麗になっていた。母親が片付けたのだろう。そういえばと絵を丸めていれたゴミ箱に視線を向ける。ゴミ箱は空になっていた。
仕方が無い、あれは僕が捨ててしまったのだから。
早々に諦めて、紙袋の中に卵トーストを詰めたタッパーを入れる。
まだ洗濯物を干している母親に行ってきますと告げて、自転車で病院に向かった。
九月初旬の気温はまだ夏と言っていいくらい高い。ペダルを漕げば漕ぐほど汗が噴出してくる。汗を腕で拭いながら、園田さんのいる病院へ近づいていく。
病院まではずっとゆるやかな上り坂になっていて、運動不足気味の僕の足は悲鳴をあげる。
だけどそれがなんだ。
こんなの辛いなんて言ってられない。砂利の駐車場で怒鳴ってしまったあの時、園田さんは上り坂になっている病院の敷地内を満足に動かせない左足をかばいながら、何度こけただろうかわからないけど上りきったんだ。病気になった不安で押し潰されそうになりながら、毎日を必死に生きている。それに比べたら辛いことなんてない。
息が上がる。どんなに大きく口で空気を吸っても苦しい。ずっと口呼吸をしているせいか、喉が渇いていく。それでも足は止めない。
ただ園田さんに会いたい。
僕の方こそ謝りたい。色んなことを謝って、園田さんは悪くないって言いたい。
新しくできた高速道路の高架下を通過する。左手に本屋と大きな駐車場のスーパーが見えてくる。その前を突っ切ると景色は、アスファルトの灰色と稲が実り始めた田んぼの緑と黄金色しかない田舎の景色に変わる。
名前も知らない小さな川にかかった橋を越える。しばらく進んで、病院へ向かう最後の坂を上る。
病院の周りに生える木の葉はまだまだ青く、吹いた風に葉が擦れる音をたてた。
駐輪場に自転車を置く。前カゴに入れていた紙袋を手にとって病院の中へ入る。病院内で走るのはまずいだろうと、走らずに早足で進む。非常階段を上って四階へ行き、アルコールスプレーで消毒をした。
病室へ行く前にナースステーションで、卵トーストを持ってきて良かったかを確認する。問題ないとのことだったので、少し安堵して園田さんの病室へ向かった。
時刻は午前九時二十分。
学校を飛び出してから、ここまで一時間も経っていない。
このドアの向こうに、園田さんがいる。
緊張のせいで心臓が強く脈打つ。その鼓動を抑える方法なんて僕には知らない。これはしょうがないと自分に言い聞かせる。何度か深い呼吸を繰り返して、ドアをノックした。
「はい」
すぐに、小さな園田さんの透明感のある声が返ってきた。その声に胸が強く高鳴った。
ドアノブを握って、ゆっくりとドアを開いた。
青い厚手のカーテンが開かれていた。窓から太陽の光が射し込み、室内はかなり明るい。空調をつけているおかげで心地よい室温。
数日前、ここに来たときはきつすぎると思った芳香剤の香りも、仄かに香るくらいに落ち着いていた。いつも芳香剤が置いてあった場所に目をやると、一つだけになっていた。
ユニットマットと白いシーツかけられた布団の上に園田さんが座っていた。
壁にもたれかからなくても姿勢保持ができている。ウィッグは着けておらず、耳も眉も全部見える短い栗色の髪。太陽の光が当たり輝いて見えるくらいの白い肌。
垂れ目気味の大きな目を更に大きく見開き、まん丸くさせて僕を見ている。驚いているせいか、赤い唇は少しだけ開いていた。
「わか月、くん?」
か細い声で僕の名前を呼んだ。
「いきなり来てごめん」
僕は少し気まずくて、頭を掻いた。
「わたし、聞いてないよ?! 来るって、聞いてない!」
園田さんはあたふたと辺りを見回した。右手で自分の頭を触ると、顔がみるみるうちに真っ赤になっていった。
「かみの毛! 顔もすっぴんで、やだ! 見ないで!」
体を屈ませて、掛け布団に顔をうずめてしまった。
「もう、どうして? なんで? こんな顔、見せられないよ」
顔をうずめたまま、掛け布団越しに聞こえるくぐもった声。
「そのままで良いよ。そのままでも、その」
僕は恥ずかしくて言葉を噤む。だけど、この後の言葉を言わないと園田さんは顔をあげてくれないということもわかる。だから照れを押し殺して恥ずかしい一言を口にした。
「すごく可愛いから」
自分の顔が赤くなったのがわかるくらい、熱くなった。
僕の言葉が聞こえたらしい園田さんは、布団から目だけを覗かせて、僕を見つめていた。
目と目が合う。照れのせいで次になんて言葉をかけていいのかわからなくなった。それは園田さんも同じなのか、何も言わず見つめてくるだけだ。
ドアの向こうから誰かが歩く音や車椅子で移動する車輪の音が聞こえる。部屋の中はいつも通り空調の音が静かに響いている。窓の外からは近くの木に止まっているらしい鳥が囀っている。それらの音はちゃんと耳には届いているけれど、心臓の音の方が何よりも大きく耳の中でこだましていた。
「そうだ。朝ご飯食べた?」
恥ずかしくて視線を逸らして尋ねる。
「食べたよ。でも、ごめんなさい。少ししか、食べられないの」
園田さんの声が震えている。こちらに向けていた目を伏せたのが視界の端に映った。
どこか恐怖心を持っているような口調に、ご飯を食べていないことを僕から怒られるんじゃないかって思っているのかもしれないと感じた。
そんなこと思わなくて良いのに。だけど、そうやって怖いと思わさせてしまったのは僕のせいだ。だから、園田さんの「怒られるかもしれない」という恐怖心を取り除いてあげなくちゃいけない。
「謝らなくて良いんだ。少しでも食べられるようになったのは、ちょっと前に比べたら前に進んでるんだから」
園田さんは、僕の言葉が意外だったのか目を丸くさせて「え?」と言葉を漏らした。
「ごめん。僕のせいで園田さんはいらない心配をしなくちゃいけなくなったんだよね。僕が弱くて、怒鳴りつけてしまったから」
「ちがうよ」
園田さんはそう呟いて、顔を俯かせた。
「ごめん。手紙でまで園田さんに謝らせてしまったのは、きっと僕のせいだ」
「ちがう。わたしが、わか月くんに、甘えてたから」
大きな目から涙が零れたのが見えた。それは、白い肌の少しこけた頬を伝って顎先から布団に落ちて、一粒の染みを作った。
「園田さんは僕に甘えてたんじゃない。頼ろうとしてくれてたんだ。それなのに僕はちゃんと覚悟が決まらなくて、突き放してしまった。それを僕は後悔してる」
園田さんは涙で声が出ないのか、何も言わず首を何度も横に振った。
「怒鳴ってしまったことを無しになんてできない。過去を消すことなんてできない。でも、僕にチャンスを欲しい。過去を取り返すチャンスを下さい」
頭を深く下げる。
少しの静寂の後、園田さんが口を開いた。
「わたしも、チャンスが欲しい。わか月くんと一緒にいられるように、リハビリ頑張るから、もう一度」
涙声で口にしたその言葉に、僕の胸に強く響く。
あんなに酷いことを言った僕に、園田さんはこんな風に言ってくれるのかと目頭が熱くなった。だけど、園田さんの前で涙を流すことはしたくない。誤魔化すように、持ってきた紙袋の中から弁当包みで包んだタッパーを取り出して、園田さんのすぐ前に屈んだ。
「それは?」
園田さんが尋ねてくる。
包みを解く。タッパーの蓋を外し、中に詰めたスクランブルエッグの卵トーストが、園田さんにちゃんと見えるように持った。
「下手だけど、園田さんの為に作ってきたんだ。園田さんが病院のご飯をあまり食べられないって聞いたから。いつかこれが好きだって言ってたのを思い出して。看護師の許可も貰った」
「わたしの、ために?」
園田さんは、更に目から涙を溢れさせた。
「うん。園田さんの為に。いらないならそのまま持って帰るけど」
僕は少し不安な気持ちになって尋ねる。園田さんはすぐに首を横に振った。
「いらないわけないよ。全部、食べられないかもだけど、食べたいよ」
僕は、その言葉だけで嬉しくて自然と笑みが零れた。「食べていい?」と尋ねてくる園田さんに「もちろん」と応える。
園田さんは、小さくて白い右手で卵トーストを手にとった。ゆっくりと形の良い赤い口に近づけて、少しかじり、口をもぐもぐとさせた。
かじった痕は本当に小さい。でも、ちゃんとパンと卵は園田さんの口の中に入っていることがわかった。少しして、園田さんはそれを飲み込んだ。僕が「美味しい?」と尋ねる前に、もう一口かじって頬張った。
また園田さんの目から大粒の涙が溢れてくる。それを左腕で拭ってから、卵トーストをごくりと飲み込んだ。
「美味しい。すごく、美味しいよ」
僕はホッと胸を撫で下ろした。
「からしいれてないから、美味しくないって言われたらどうしようって思ってたんだ」
「わたし、からし苦手だから、こっちの方が好きだよ」
「そうなんだ?」
初めて知った。そういえば山頂で食べた、園田さんが作った卵トーストにもからしは入ってなかったような気がする。
「うん。それじゃ、どうしてわか月くんは、からしいれなかったの?」
園田さんが首を傾げて見つめてきた。
「今の園田さんの体に塩辛いものとか刺激の強いものはダメかなって思ったから」
素直に答えると、園田さんは「そっか」と呟いた後、目は赤いまま微笑んだ。
「わか月くんが、わたしのことを考えて作ってくれたから、優しい味がするんだね」
その笑顔に僕はどきりとした。
少し前まで動かなかった左側の口角が少しだけ上がっていて、顔全体が笑っているように見えたからだ。
「左頬、少し動くようになったんだね」
「ほんと?」
園田さんは驚いたような声をあげた。
どうやら園田さんも気付いてなかったらしい。
「莉歩が毎日、頬をマッサージしてくれたおかげだね」
また微笑んだ。左側の口角が少し持ち上がった。
それを聞いて、本当に園田さんに千堂さんがいてくれて良かったと思った。僕には厳しい人だけど、園田さんにとっては本当に良い親友なんだ。
「ねっ、もっと食べていい?」
園田さんが尋ねてくる。まさかそんな風に言ってもらえるなんて思ってなくて、胸が疼くくらい嬉しくなった。
「もちろん!」
園田さんはそのまま卵トーストを全部食べてしまって、「ごちそうさま」と手を合わせた。左手の、骨と皮だけのような細すぎる人差し指が伸びなくて曲がったままだった。だけど、その指も綺麗に見えた。
数日前の病室、薄暗がりの中、淡く光るような白い肌が脳裏に浮かんで胸が高鳴る。
僕は一つ静かに大きな呼吸をした。
「この間の園田さんの、体は、凄く綺麗だった」
あの日の夜に見た、青を塗り重ねたような夜空に浮かんだ白い月を思い浮かべながら、あの時の園田さんの質問にやっと答えた。
園田さんはあの日の感想を言われるなんて全く思ってなかったのだろう。顔が一瞬で真っ赤になって、また布団に顔をうずめてしまった。布団で隠れていない耳の先まで赤く染まっている。
「忘れて! 恥ずかしいよ」
「忘れられない。だって言ったじゃないか。僕はエッチだって」
僕だって本当は恥ずかしい。でも、ちゃんとあの時の園田さんの質問には答えたかったから、この話題を持ち出したんた。園田さんは顔を布団にうずめたまま、恥ずかしそうに「うう」と声を漏らしていた。
「でもさ、欲を言わせて貰えれば、エッチな僕としては、もっと肉つきが良いほうが好みなんだ。今の園田さんは細すぎるよ。だからさ、園田さんが良ければだけど、お見舞いにくるときには必ず、卵トーストを作ってくるよ」
そう提案する。園田さんの為になら、どんなに手間がかかったって良いと本気で思う。
「わか月くんの迷惑じゃないなら、もっと食べたい。もっともっと食べたい」
布団から目だけを覗かせて、園田さんはそう言ってくれた。それがとても嬉しくて、絶対に作ってこようと強く決心した。
久しぶりの園田さんとの楽しい会話は、いつからか僕の胸を支配していた黒を取り払ってくれた。靄も晴れて気持ちが落ち着く。同時に、この二日間全く寝ていなかったせいか強烈な睡魔が襲ってくる。
ずっとここに居たい。だけど、寝てしまうと園田さんにも病院の人にも迷惑がかかるから、一度帰ることにした。
帰り際、園田さんは僕の制服の袖を右手で掴んで、不安そうに眉をハの字に下げて尋ねてきた。
「また、来てくれるよね?」
「うん、必ず」
僕がそう答えると、園田さんは安心したように微笑んだ。
病室のドアを開いて廊下に出る。
「また」
振り返って声をかける。それに、園田さんは「またね」と手を振ってくれた。
ドアが閉まる。少し名残惜しいと思いながら歩き、非常階段を下りて病院の玄関から外に出て駐輪場へ向かった。
駐輪場には、見たことのないサイドカーが取り付けられた黒いバイクが停まっていた。そのバイクに体を預けるようにして、黒髪のポニーテールと泣きボクロが特徴的な制服姿の千堂さんが立っていた。
近づくと千堂さんがこちらに涼やかな目を向ける。僕は挨拶の代わりに一つ尋ねた。
「バイク替えたんだ」
「うちのお父さんのやつ。しばらく借りることにした」
それだけの返事。でも、それが園田さんの為だってわかる。
「っつーか、あんた鞄置いて帰ったっしょ」
千堂さんがサイドカーから僕の学校鞄を取り出して、放り投げてきた。
「ありがとうって、学校は? 今日から普通授業だったよね」
僕は少し呆れたように問いかける。
「あんたと一緒。今日はサボッた。ナコのこと馬鹿にするような連中の近くにいたら、殴りたくなるからさ、頭冷やそうと思って」
「なるほど、それなら今日一日くらいはサボった方が懸命だね。殴ると夏休みが終わってすぐ一週間の秋休みになる」
僕の言葉に千堂さんは、少しだけ鼻を鳴らして笑った。
「そういうこと。あたしだって停学は嫌だし。それに、あんな奴ら殴って停学になるとか汚点にしかならないわ」
「相変わらず園田さん以外には厳しい」
思わず苦笑いを浮かべた。千堂さんは、「当たり前でしょ」と言うと、少しだけ預けていた体をバイクから離して歩き出した。
「ちょっとナコの顔見てくるわ」
そのまま一度も振り返らずに病院の中へ入って行った。その後姿を見送った後、自転車に乗ってアスファルトの上を爽快に走った。
もう九月に入っているというのにアスファルトの上には蜃気楼ができていて、ゆらゆらと宙が揺れていた。いつもなら、それを見てうんざりするくらい暑いと溜息をつく。だけど今日は、それすらも爽やかに見えた。
緑と黄金色が混じった田んぼに灰色のアスファルト。色とりどりの車が車道を走るいつもの町並みを、恨めしい気持ちもなく眺めたのはいつ以来だろう。
僕は景色を楽しみながらペダルを漕いだ。
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