親友を泣かせたい
待ち合わせの駅の前に先に着いていた律子は、その印象を大きく変えていた。
「愛依!こっちこっち!」
私に向けられたその笑顔は相変わらず可愛いけれど、近づいて行くほど、その印象の違いにもっと驚いてしまう。
「律子、髪切ったんだ」
「そう。バッサリ」
「凄く似合ってる」
律子はロングヘアから、ショートヘアに変わっていた。
小学生の頃から高二の今まで、律子のショートヘアを一度も見たことがない。
だから、見慣れないという意味での違和感はあった。
「本当に似合ってる?女同士のお世辞の言い合いは嫌だよ?」
律子はそう言いながらも、似合っているのを分かっていると思う。
「本当に似合ってるよ。びっくりはしたけど、可愛い」
だって、律子は本当に可愛いから。
ロングでもショートでも、前髪を上げても下ろしても、何でも似合ってしまうタイプの美少女だから。
「愛依がそう言ってくれるなら似合ってるってことにする。まあ、こんなに短く切った理由は、昨日電話で話した通りだから・・・よし、とりあえず行こう。細かい話は少しずつ。ね?」
「うん」
昨日律子は、ある出来事のすぐ後で、その事実を私に電話で教えてくれた。
だから、今日の目的の一つは、律子のその事実に関する“細かい話”を聞くことだった。
「じゃあ、行こう!」
「うん」
さらに、もう一つの目的は、律子と遊園地に行くことだった。
昨日電話した時に、一緒に来て欲しいとお願いされたのだ。
だから私たちは、遊園地に向かった。
髪型以外、普段と何も変わらないように見える律子に合わせ、私もテンションを上げる。
テンション上げながら思ったのは、律子の方は特に無理してテンションを上げているように見えないということ。
むしろ私が無理矢理テンションを上げている気がした。
もちろん、律子が私に気づかれないように無理にテンションを上げている可能性も考えられるけれど・・・
どうだろう。
どうしても、そうは思えなかった。
「今日は思う存分遊んで、叫んで、悲しいことは忘れるから。付き合ってね?」
遊園地に着いて、律子はそんな望みを言いながら、とても楽しそうだった。
そしてようやく、“失恋”というワードを口にする。
「失恋したら髪を切って、思いも断ち切るってあるでしょ?」
「うん、あるね。律子はそれをやってみたってこと?」
「そう。実際どうなのかなって思ってたんだけど。いざバッサリ切ってみたら、本当に気持ちが入れ替わったよ。大袈裟に言うと、生まれ変わった気分」
“生まれ変わった”で、何を連想したのか分からないけれど、律子は両手をパタパタさせ、飛んで行くようなジェスチャーをする。
その後で、こう付け足した。
「それとも、あれかな・・・失恋の傷が浅かっただけなのかな?」
その発言の意味を考えた。
つまり律子は、三年も付き合った春斗のことがそこまで好きではなかったということなのか。
「律子は、春斗に振られたんだよね?」
「そう」
「それなのに、そんなに落ち込んでないってこと?」
「うーん。髪を短く切ったくらいで断ち切れるなら、それくらいなのかなって思ったの。もしくは、まだ実感が湧いてないだけかな」
落ち込んでいないことは、悲しみが少なくて済むのだから、ある意味では良いことなのかもしれない。
でも何となく、しっくりこない。
やっぱり律子はきっと、まだ実感が湧かなくて、別れを受け入れられていないだけなのだ。
「突然だったから、きっと実感が湧いてないんだよ・・・」
そう言ってみたものの、実際にはよく分からない。
私が思いたいように思っているだけの気もした。
律子は、思いっきり遊んで、思いっきり叫んで、楽しそうにしていた。
私は律子の望み通りになるように、そんな律子の隣で、遊園地を楽しもうとしていた・・・
でも、それだと私は、遊園地に遊びに来ただけの女子高生になってしまう。
私は、律子を励ましに来たのだ。
一緒に遊ぶことが律子への励ましになるとしても、普段とあまりにも変わらない態度で楽しまれたら、それはそれで困ってしまう・・・
だって私には、余計な考えが多すぎた。
どんな乗り物に乗っていても、普段通り明るい律子の話を聞いていても、邪魔してくる感情があった。
親友の律子を悪く思ってしまう感情があった。
それは例えば、律子の無邪気さが余計に際立つ、今までよりも高い位置で揺れるショートヘアの毛先。
春斗との別れを見届けたロングヘアの毛先は、余韻に浸る暇もないほどすぐに、どこかに捨てられてしまったのだ。
他には、髪を切って思いを断とうだなんて、ありきたりなことを実行してしまう軽薄さ。
学校で、春斗と別れたことが噂になる未来を想像すると、その髪型は、健気で一途な悲劇のヒロインアピールであるように思えてしまう。
他にも、遊園地に来て騒いで、悲しいことを忘れようだなんて幼稚な発想。
本当に春斗のことが好きだったのなら、その想いへの終結に私を巻き込むこと自体が理解出来ないと思ってしまう。
つまり、親友として励ましたいと思う反面、理解出来ない部分が多すぎるということだ。
失恋ってそんなに軽いものなの?
律子がまだ高校生だからとか、春斗との恋が本当の恋ではなかったからとか、そんなのは関係ない。
付き合うという選択をした二人が離れる時、そんなに軽々しくて良いものなのか・・・
そんな疑問が私の中にはあった。
その疑問が思い浮かぶ原因として、私がまだ、誰とも付き合ったことがないというのもあるだろう。
夢見がちで、恋に対する理想が高くなりすぎていて、重い・・・
でも、どうしても。
正直、本音としては。
律子には春斗との別れに、一人で静かにちゃんと向き合って欲しかった。
もっと言えば、二人には別れて欲しくなかった。
付き合ったのなら、結婚して欲しかった。
「愛依?どうした?そんな暗い顔してたら、愛依が失恋したみたいじゃん」
ベンチに座り、ジュースを飲みながらの休憩中。
うっかり感情を顔に出してしまっていた私。
律子にそんなことを言われ、何だか悔しくなってしまった。
「ごめんごめん。遊園地なんて久しぶりで、急に疲れたのかも」
悔しいけれど、表情を律子のモードに合わせ、明るくする。
一生懸命、明るくする。
「私が付き合わせたから、ごめんね」
律子が本当に申し訳なさそうにするから、それはそれで、何だか悔しかった。
何でもいいから何かを言ってやりたくなった。
親友だから、言ってもいいんじゃないかと思った。
本気で春斗を好きだったなら、もっと落ち込んで悲しんでいて欲しかったという本音を。
すると、
「ねえ、愛依。私、愛依が何を思ってるのか分かってるから」
と、律子が急にそんなことを言った。
私は身構えた。
タイミング良く、急降下したジェットコースターから悲鳴が聞こえた。
そして、その悲鳴は、私の心の中の悲鳴でもあった・・・
そんな短い流れの間に、過去からあることを学ぶ。
それは、律子がこれまでも突然、私の本音を見破ってきたということだ。
その無邪気で、悪気のない、純粋な流れで、私は本音と向き合わされてきたのだった。
些細なことから、私にとっては大きなことまで・・・
例えば、私が律子に合わせて、面白くなかった映画を面白いと言えば、律子はそれを見破った。
親が離婚した時、そんなのはよくあることだと気張っていたら、私が隠した寂しさを見破った。
つまり、律子は私にとって、優しい人なのだ。
人の感情に気付きたくなくても気付いてしまう、可哀想な人でもあるのだ。
それでも、私を正直でいさせてくれる、凄い人なのだ。
ただ、今回がこれまでと違うのは、律子がその無邪気さや純粋さよりも、意図的に私の本音を暴こうとしていることだろう。
「本音?何?」
私は敢えて恍けて、感情を読まれないようにした。
その途中で、それが無駄なことだとは分かっていた。
律子はさっきまでと違う表情になる。
誰かと付き合ったことのある人にしか出来ない、そんな表情なのだろうか。
「愛依は、私が春斗に振られたことを喜んでる。嬉しくて仕方がない。そうでしょ?」
律子の目は厳しかった。
そして、律子の言ったことは正しかった。
私が、自分自身さえも騙すようにして、嘘で隠し続けた本音を見破ったのだ。
「愛依は多分、私が春斗と付き合い始めてから、春斗のことを好きになったはず。もし、私が好きになるよりも前に好きだったなら、私が気付かないはずがない」
私は黙って律子の話を聞いていた。
ただ、聞いていた。
律子から発せられた言葉に、私の言い訳を混ぜない為にも、ただ聞いていた。
「あと、もう一つ分かってる。例え私が春斗と別れても、そして、春斗が愛依を好きになったとしても・・・愛依は春斗と付き合うことはない」
確かに、正しかった。
私は春斗のことが好きだった。
それも、律子と付き合い始めてから好きになった。
だから、律子が春斗に振られて嬉しかった。
でも今後、春斗が私を好きになってくれたとしても・・・律子と付き合っていた春斗と、私は付き合いたいと思わない。
そこまでは、確かに合っている。
まずはそれを認めようと思った。
「律子ごめん。最悪でしょ、私。親友の彼氏のことが好きになっちゃって、二人が別れたことを嬉しく思って・・・」
「私、愛依が春斗を好きだったことを責める気は全くないよ。それは仕方のないことだから。好きになるタイミングなんて、決められないし。それを隠してたことだって、そんなの言えるわけないと思うから責めたりしない。でもさ、私が春斗に振られてもそんなにショックを受けてない理由は・・・愛依のせいだから・・・」
「えっ?」
律子は、驚く私の目を、その純粋さで真っ直ぐに見つめてきた。
「だって、愛依が喜んでるから・・・それが私、嬉しいの。おかしいでしょ。三年も付き合った人に突然振られたのに、愛依がそれを喜んでると思ったら、そんなにショックじゃない」
その発言は度を越していた。
優しさの度を、越していた。
「律子・・・私は二人が別れたこと、ショックだったよ。確かに、律子が春斗に振られたって聞いて、嬉しいと思ってしまったのも事実。でもそれは、自分の初恋の為の感情。律子と付き合ってる春斗を好きになってしまったタイミングの悪さを恨みながらも、初めて好きになった人だったから、好きって気持ちを大切にしたかったの。だから、初恋の為に、私は二人の別れを喜んだ。でもね・・・」
さっきのジェットコースターから、また悲鳴が聞こえた。
バイキングからも悲鳴が聞こえる。
でも、それらの悲鳴は今、私の心の中の悲鳴ではない。
律子に暴かれた本音は、何も怖くないのだ。
「私、律子の親友としては、二人が別れたことが凄く寂しかったの。一番近くで見てきた素敵な恋人が別れちゃうなんて悲しい・・・どうせ嘘だって誰かに言われても構わない。そんな感情有り得ないって言われても、それも理解出来る。でも、本当なの。だって、色んな場面を思い出しちゃうから・・・廊下で二人が並んで歩く後ろ姿とか、笑い合う横顔とか。体育祭でお互いを応援する姿とか、教科書を忘れたくせに楽しそうに貸し借りしてたこととか・・・言い出したらキリがないんだけど、その全部が私の青春でもあるの。だってきっと、未来の私が高校生活を振り返った時に、そんな二人の場面を必ず思い出すから」
律子はそこで初めて・・・
悲しい顔をした。
ちょっとだけ泣きそうな顔。
ちゃんと、春斗のことを好きだった証拠。
「愛依。私、本当に・・・早く春斗への思いを断ち切りたくて。髪を切るくらいしか思いつかなくて。浅はかだとは分かっていても、それしか方法がなくて・・・それなのに、愛依のことを考えれば振られたことが嬉しくて、矛盾してて、どうしたらいいのか分からなくなって・・・色々と難しく考えるのが嫌になって、だから、ただ何かに夢中になっていたかったの。子供みたいに、ただ遊んでいたかったの」
律子は泣きはしなかった。
我慢していた。
私は、律子を泣かせてあげることも出来ないのだろうか。
親友なのに・・・
だから、私は言った。
「今日は閉園まで遊ぼう?乗りたいの全部乗って、食べたいもの食べて、笑いたければ笑って、泣きたければ泣こう?泣くのがどうしても恥ずかしいなら、言い訳は沢山あるから。ジェットコースターが怖いとか、お化け屋が怖いとか何でもいいから・・・」
律子は笑った。
涙を引っ込めてしまったのではないかと、不安になる。
でも、律子がこれまで私の本音を見破ってきたように、今の私だって律子の本音を見破りたい。
見破れないなら、暴いてやりたい。
色んな方法を使って、暴いて、少しでも正直でいさせてあげたい。
私は与えられてばかりだったから。
今度は私が与えてあげたい。
優しい律子に、与えてあげたい。
そうしないと、埋め合わせが出来ない。
失恋をちゃんと悲しめない理由になってしまった私が、律子を泣かせられないのなら。
きっといつか、律子は私の親友ではなくなってしまう。
それだけは嫌だから・・・
どうしても離れたくないから・・・
ずっとそばにいたいから・・・
私はどうしても、親友を泣かせたい・・・
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