鯨骨生物文集

鳥辺野九

ハイアルティチュードダイバー


 異常隆起した富士の頂から吹き降ろされる風は富士颪ふじおろしという異名を持つ。




 水上七波みなかみななみは真空ガラスの小窓から白く荒ぶる富士の表情に見惚れていた。

 富士颪が想像以上に強い。五合目旧レストハウスを耐寒仕様に改装したとはいえ、あまりの暴風に建造物の基礎から揺れているように思える。高音のノイズは隙間風か。いや、富士山が起こす幻聴だ。この堅牢な観測所に隙間風などあり得ない。

『ナナミ。お湯が沸くぞ』

「ありがと」

 せっかく白銀の絶景に浸っていたというのに、やはりロボットにデリカシーを期待すべきではない。七波はジェイムスン型ロボットにやり返してやる。

「コーヒーを淹れてもらえる?」

 一辺が50cmの立方体に四角錐の突起が生えたロボットが即座に応酬した。

『ここは観測所だ。ホテルではない。飲みたければ自分でどうぞ』

「これから18,000mまで登るってのに、サービスくらいしろ」

『俺は観測データの収集に特化したロボットだ。コーヒーの淹れ方は学習していない』

 あたかも人間に命令するかのように、八本ある多脚の一本で空のマグカップを器用に指し示す。ちょうど高地用充電式ストーブのお湯が沸騰した。

 七波は仕方なくマグカップにインスタントコーヒーの粉を適当にぶちまけた。

「あんたも飲む?」

 精一杯の皮肉をぶつけてやる。

『気遣いありがとう。嬉しいが、俺にとってコーヒーを飲む機能はオプションだ。要らない』

 皮肉を皮肉と受け取る対話機能もオプションのようだ。

『外の世界は高度11,525m。気温摂氏-45度。気圧約250hPaだが、観測所内部は観測機器のために摂氏15度、0.6気圧に調整してある。この気圧ならば水は約80度で沸騰する。コーヒーを淹れるにはまさに適温だ』

「なんかムカつくわね」

『どういたしまして』

 七波の皮肉に対して、ロボットも皮肉で返してきた。


   ……つづく

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