第一章 名無しの少女

「あー……」

 きの気分は最悪だった。

 だってそりゃ、起きたとき自分の腹やら胸やら頭やらをみつけながら、妹が情熱的にサンバのリズムを刻んでいたら、一部のとくしゆな人間以外はみな不快に思うだろう。

 四月一〇日、月曜日。

 昨日きのうで春休みが終わり、今日から学校という朝。

 五河士道はしょぼしょぼする目をこすりながら、低くうなるような声を発した。

「あー、ことよ。俺の可愛い妹よ」

「おお!?」

 そこでようやく士道が起きていることに気づいたのだろう。士道のおなかの上に足をのっけていた妹──琴里が、中学校の制服をひるがえしながらこちらに顔を向ける。

 二つにくくられた長い髪がれ、どんぐりみたいな丸っこい双眸が士道をとらえた。

 ちなみに朝っぱらから人様を踏みつけにしているわりには、「しまった!」とか「ばれた!」みたいな後ろ暗さは全然見受けられない。どちらかというと、士道のしようを素直に喜んでいるように見えた。

 ついでに士道の位置からだと見事にパンツ丸見えである。

 パンチラとかいうレベルではない。はしたないにもほどがある。

「なんだ!? 私の可愛いおにーちゃんよ!」

 琴里が、足を退ける様子もなくそう言ってくる。

 念のため言うと士道は可愛くはない。

「いや、下りろよ。重いよ」

 士道が言うと、琴里はおおぎようにうなずいてベッドから飛び降りた。

 士道の腹にボディブローのようなしようげきを残して。

「ぐふっ!」

「あははは、ぐふだって! 陸戦用だー! あはははは!」

「…………」

 士道は無言で、布団をかぶりなおした。

「あー! こらー! なんでまたるんだー!」

 琴里が声を張り上げ、士道をゆっさゆっさと揺すってくる。

「あと一〇分……」

「だーめー! ちゃんと起きるのー!」

 けのぼうっとした頭がシェイクされる感覚にまゆをひそめながら、士道は苦しげに唇を開いた。

「に、げろ……」

「え?」

「……実は俺は『とりあえずあと一〇分寝ていないと妹をくすぐりごくけいに処してしまうウィルス』、略してT–ウィルスに感染しているんだ……」

「な、なんだってー!」

 琴里が、なんか宇宙人のかくされたメッセージを知った人のようにおどろく。

「逃げろ……俺の意識があるうちに……」

「で、でも、おにーちゃんはどーなるんだ!?」

「俺のことはいい……おまえさえ助かってくれれば……」

「そんな! おにーちゃん!」

「がーっ!」

「ギャ──────っ!」

 士道が布団をばし、両手をわきわきさせながらさけぶと、琴里はすさまじい悲鳴を上げて逃げていった。

「……ったく」

 息をき、再び布団を被り直す。時計を見てみると、まだ六時前であることがわかった。

「なんて時間に起こしやがる……」

 と、ぼやくように言ってからはたと思い直す。

 寝ぼけていた脳がかんまんかくせいしていくのといつしよに、昨晩のおくよみがえってきたのである。

 昨日から父と母は仕事の関係で出張に行ってしまっている。

 そのためしばらくの間士道が台所に立つことになったのだが、寝起きの悪い士道は琴里に目覚ましをらいしていたのだった。

「あー……」

 少し悪いことをしたかなあと頭をかき、むくりと身を起こす。

 適当にぐせを手で押さえながらあくびを一つこぼし、士道はのたのたと部屋を出た。

 と、その際、かべけられていた小さな鏡が目に入る。

 最近さんぱつをしていないためだろう、まえがみに視界をしんりやくされつつある男が、やぶにらみっぽい視線を向けてきていた。

「…………」

 視力の低下にともなって、少し悪くなってしまった人相にため息をき、階段を下りてリビングに入る。

「……あ?」

 ──と、そこには、いつもとみようちがう景色が広がっていた。

 リビングの真ん中に置かれていた木製のテーブルがたおされ、まるでバリケードのようになっている。ついでにその後ろに、ツインテールの頭がぷるぷる震えているのが見えた。

「…………」

 足音を殺してテーブルの横側に回り込む。

 案の定、琴里が体育座りをしながら身を震わせていた。

「がーっ」

「ギャー! ギャァァァっ!」

 士道が肩をつかむと、琴里は欠片かけらも色気のないぜつきようを上げて手足をばたつかせた。

「落ち着け落ち着け。いつものにーちゃんだ」

「ぎゃー! ぎゃー……あ? お、おにーちゃん?」

「そうそう」

「こ、こわくない?」

「怖くない怖くない。俺、琴里トモダーチ」

「お、おー」

 士道がかたことで言ってやると、こわばった琴里の顔から、きんちようが抜けていく。

 まるで心を開いた野生のキツネリスみたいだった。

「悪い悪い。すぐ朝飯準備するから」

 言って琴里の手を取って立ち上がらせてから、テーブルを元の位置にもどすと、士道は台所に足を向けた。

 二人そろって大手のエレクトロニクスぎように勤めている両親は、たびたび一緒に家を空けることがあった。

 その際の食事当番はいつも士道が担当しているので、もう手慣れたものである。実際、母より調理器具のあつかいには自信があった。

 と、士道が冷蔵庫から卵を取り出すのと同時に、背後からテレビの音声が聞こえてくる。どうやらしんぱくを落ち着けた琴里が電源を入れたらしい。

 そういえば琴里は毎朝、星座うらないと血液型占いをハシゴするのが日課だった。

 とはいえ大体の占いコーナーは、番組の最後と相場が決まっている。琴里は一通りチャンネルを変えたあと、つまらなさそうにニュース番組をながめ始めた。

 と。

『──今日未明、てんぐうきんこうの──』

「ん?」

 いつもはBGMくらいの役割しか果たさないニュースの内容に、眉をね上げる。

 理由は単純。めいりようなアナウンサーの声で、聞き慣れた街の名前が発せられたからだ。

「うん? なんだ、こっから結構近いな。何かあったのか?」

 カウンターテーブルに身を乗り出すようにしながら目を細め、画面に視線を放る。

 画面には、ちやちやかいされた街の様子が映し出されていた。

 建造物や道路がほうらくし、れきの山と化している。

 まるでいんせきしようとつくうしゆうでもあったのかと疑いたくなるようなさんじようだった。

 士道は眉をひそめると、息とともに言葉を吐いた。

「ああ……くうかんしんか」

 うんざりと首をる。

 空間の地震としようされる、広域しんどう現象。

 発生原因不明、発生時期不定期、がい規模不確定のばくはつ、震動、消失、その他もろもろの現象のそうしようである。

 まるで大かいじゆうが気まぐれに現れ、街を破壊していくかのようなじん極まりない現象。

 この現象が初めて確認されたのは、およそ三〇年前のことである。

 ユーラシア大陸のど真ん中──当時のソ連、中国、モンゴルをふくむ一帯が、一夜にしてくりぬかれたかのように消失した。

 士道たちの世代になれば、教科書の写真でいやというほど目にしている。

 まるで地上にあるものをいつさいがつさいけずり取ってしまったかのように、本当に、何もなくなっていたのだ。

 死傷者、およそ一億五〇〇〇万人。人類史上類を見ない最大最悪の災害である。

 そしてその後約半年間、規模は小さいものの、世界各地で似たような現象が発生した。

 士道の覚えている限りでは──およそ五〇例。

 地球上の全大陸、北極、海上、さらには小さな島々でも発生が確認された。

 無論、日本も例外ではない。

 ユーラシア大空災の六か月後、東京都南部からがわけん北部にかけての一帯が、まるで消しゴムでもかけたかのように、円状にしようと化したのである。

 そう──ちょうど今、士道たちが住んでいる地域だ。

「でもいっときは全然起こらなくなったんだろ? なんでまた増え始めたんだろうな」

「どうしてだろねー」

 士道が言うと、琴里がテレビに視線をやったまま首をかしげた。

 そう。その南関東大空災を最後に、空間震はしばらくの間確認されなくなったのだ。

 だが五年ほど前、再開発された天宮市の一角で空間震が確認されたのを皮切りに、またちらほらと、その原因不明の現象が確認され始めたのである。

 しかもその多くが──日本で。

 もちろん人類も、その空白の二五年の間に何もしていなかったわけではない。

 再開発がされた地域をはじめとして、三〇年前から、全国の地下シェルターきゆう率はばくはつてきじようしようしている。

 加えて、空間震の兆候を事前に観測することも可能になったし、極めつけとして自衛隊の災害復興部隊なんてものもある。

 さい地におもむき、崩落したせつ、道路などを再建することを目的に組織された部隊なのだが──その仕事ぶりはまさにほうとしか言いようがない。

 何しろ、滅茶苦茶に破壊された街を、わずかな期間のうちに、もとあった状態にまで復元してしまうのだ。

 作業風景はトップシークレットということで公開されていないが、たった一晩で崩落していたビルが復元されていたのを見たときなど、まるで手品でも見せられているかのようなここになった。

 だが、街の修復が早いからといって、空間震のきよううすれるというわけでもない。

「なんか、ここら辺一帯ってみように空間震多くないか? 去年くらいから特に」

「……んー、そーだねー。ちょっと予定より早いかなー」

 と、琴里がソファの手すりに上体を預けながら言ってくる。

「早い? 何がだ?」

「んー、あんでもあーい」

 士道は首を傾げた。

 琴里の言葉の内容というよりは、その声が後半から少しくぐもったのが気になって。

「…………」

 無言でカウンターテーブルをかいし、ソファにもたれかかった琴里のそばに歩いていく。

 琴里もそれに気づいたのか、士道が近づくのに合わせて、じよじよに顔を背けていった。

「琴里、ちょっとこっち向け」

「…………」

「てい」

「ぐぎゅっ」

 琴里の頭に手を置き、ぐりっと方向をてんかんさせる。彼女ののどから変な声が鳴った。

 そして琴里の口元に予想通りのものを見つけて、士道は「やっぱり」とつぶやいた。

 朝ご飯前だというのに、琴里は口に大好物のチュッパチャプスをくわえていたのだ。

「こら、飯の前にお食べるなって言ってるだろ」

「んー! んー!」

 あめを取り上げようと棒を引っ張るも、琴里はくちびるをきゅっとすぼめてていこうしてきた。

 士道が力を入れた方向に顔がゆがみ、せっかくの可愛らしい顔立ちがブチャイク極まりないことになっている。

「……ったく、ちゃんと飯も食うんだぞ?」

 結局は士道が折れた。琴里の頭をぐりぐりやって、台所に戻っていく。

「おー! 愛してるぞおにーちゃん!」

 士道は適当に手を振って作業に戻った。

「……と、そういえば今日は中学校も始業式だよな?」

「そうだよー」

「じゃあ昼時には帰ってくるってことか……琴里、昼飯にリクエストはあるか?」

 琴里は「んー」と思案するように頭をらしてから、しゃきッ、と姿勢を正した。

「デラックスキッズプレート!」

 近所のファミレスで出しているお子様ランチだった。

 士道は直立の姿勢をとると、そのまま上半身を四五度前にかたむける。

「当店ではご用意できかねます」

「ええー」

 キャンディの棒をぴこぴこさせながら、琴里が不満そうな声を上げる。

 士道はふうとたんそくしながらかたをすくめた。

「……ったく、仕方ないな、せっかくだから昼は外で食うか」

「おー! 本当かー!」

「おう。んじゃ、学校終わったらいつものファミレスで待ち合わせな」

 士道が言うと、琴里は興奮した様子で手をブンブンと振った。

「絶対だぞ! 絶対約束だぞ! 地震が起きても火事が起きても空間震が起きてもファミレスがテロリストにせんきよされても絶対だぞ!」

「いや、占拠されてちゃ飯食えねえだろ」

「絶対だぞー!」

「はいはい、わかったわかった」

 士道が言うと、琴里は「おー!」と元気よく手を上げた。

 我ながら少し甘いかもと思わなくもない士道だったが、まあ、今日は特別である。

 今晩からしばらく台所に立たねばならないわけだし……何より、今日は二人とも始業式なのだ。これくらいのぜいたくはしてもいいだろう。

 まあ、七八〇円のお子様ランチが贅沢にあたるかどうかはわからないけれど。

「んー……」

 士道は軽くびをしながら、台所の小窓を開けた。

 何かいいことがありそうなくらい、空はわたっていた。


    ◇


 士道が高校に着いたのは、午前八時一五分を回ったころだった。

 ろうり出されたクラス表を適当に確認してから、これから一年間お世話になる教室に入っていく。

「二年──四組、か」

 三〇年前の空間震が起こったあと、東京都南部から神奈川県──つまりは空間震でさらになった一帯は、さまざまな最新技術のテスト都市として再開発が進められてきた。

 士道が通う都立らいぜん高校も、そんな例の一つである。

 都立校とは思えないじゆうじつした設備をほこるうえ、数年前に創立されたばかりのため内外装も損傷がほとんどない。もちろん旧被災地の高校らしく、地下シェルターも最新のものがしつらえられている。

 そのためか入試倍率は低くなく、「家が近いから」だけの理由で受験を決めた士道は、少々苦労をすることになったのだが。

「んー……」

 小さくうなり、何とはなしに教室を見回してみる。

 まだホームルームまでは少し時間があったが、もう結構な人数がそろっていた。

 同じクラスになれたのを喜びあう者、一人机についてつまらなさそうにしている者、反応は様々だったが……あまり士道の知った顔は見受けられない。

 と、士道が黒板に書かれた座席表を確認しようと首を動かすと、

「──五河士道」

 後方から不意に、静かでよくようのない声がかけられた。

「ん……?」

 聞き覚えのない声である。不思議に思い、振り向く。

 そこには、細身の少女が一人、立っていた。

 肩にれるか触れないかくらいのかみに、人形のような顔がとくちよう的な少女である。

 この人形のような、という形容に異を唱える人間は、おそらくそういないだろう。

 まるで正確に測量された人工物のようにたんせいであるのと同時に──彼女の顔には、まったく表情のようなものがうかがえなかったのだ。

「え……」

 士道はきょろきょろとあたりを見回してから、首を傾げた。

「……俺?」

 自分以外のイツカシドウさんが見あたらないのを確認してから、自分を指さす。

「そう」

 少女はさしたるかんがいもなさそうに、まっすぐ士道の方を見ながら小さくうなずいた。

「な、なんで俺の名前知ってるんだ……?」

 士道がくと、少女は不思議そうに首を傾げた。

「覚えていないの?」

「……う」

「そう」

 士道がよどんでいると、少女は特にらくたんらしいものも見せず、短く言って窓際の席に歩いていった。

 そのままに座ると、机から分厚い技術書のようなものを取り出し、読み始める。

「な……なんだ、一体」

 士道はほおをかき、まゆをひそめた。

 何やら士道のことを知っているふうだったが、どこかで会ったことがあっただろうか。

「とうッ!」

「げふっ」

 と、士道が頭をなやませていると、ぱちーん! と見事な平手打ちが背にたたき込まれた。

「ってぇ、何しやがる殿とのまち!」

 こちらの犯人はすぐにわかった。背をさすりながらさけぶ。

「おう、元気そうだなセクシャルビースト五河」

 士道の友人・殿町ひろは、同じクラスであったことを喜ぶよりも先に、ワックスで逆立てられた髪と筋肉質の身体からだするように、うでを組み軽く身を反らしながら笑った。

「……セク……なんだって?」

「セクシャルビーストだ、このいんじゆうめ。ちょっと見ない間に色気づきやがって。いつの間にどうやってとびいちと仲良くなりやがったんだ、ええ?」

 言って、殿町が士道の首に腕を回し、ニヤニヤしながら訊いてくる。

「鳶一……? だれだそれ」

「とぼけんじゃねえよ。今の今まで楽しくお話ししてたじゃねえか」

 言いながら、殿町があごをしゃくって窓際の席を示す。

 そこには、先ほどの少女が座っていた。

 ふと、士道の視線に気づいたのか、少女が目を書面から外し、こちらに向けてくる。

「……っ」

 士道は息をまらせると、気まずそうに目を背けた。

 反して、殿町がれ馴れしく笑って手をる。

「…………」

 少女は、別段何も反応を示さないまま、手元の本に視線をもどした。

「ほら見ろ、あの調子だ。うちの女子の中でも最高難度、永久とうとか米ソ冷戦とかマヒャデドスとまで呼ばれてんだぞ。一体どうやって取り入ったんだよ」

「はあ……? な、なんの話だよ」

「いや、おまえホントに知らないのかよ」

「……ん、前のクラスにあんな子いたっけか?」

 士道が言うと、殿町はまたも信じられないといった具合に両手を広げておどろいたような顔を作った。おうべい人のようなリアクションをするやつである。

「鳶一だよ、鳶一おりがみ。ウチの高校が誇るちよう天才。聞いたことないのか?」

「いや、初めて聞くけど……すごいのか?」

「すごいなんてモンじゃねえよ。成績は常に学年首席、この前の模試に至っちゃ全国トップとかいう頭のおかしい数字だ。クラス順位は確実に一個下がることをかくしな」

「はあ? なんでそんな奴が公立校にいるんだよ」

「さぁてね。家の都合とかじゃねえの?」

 おおぎように肩をすくめながら、殿町が続ける。

「しかもそれだけじゃなく、体育の成績もダントツ、ついでに美人ときてやがる。去年の『こいびとにしたい女子ランキング・ベスト13』でも第3位だぜ? 見てなかったのか?」

「やってたことすら知らん。ていうかベスト13? 何でそんなちゆうはんな数字なんだ?」

しゆさいしやの女子が13位だったんだよ」

「……ああ」

 士道は力無く苦笑した。どうしてもランキングに入りたかったらしい。

「ちなみに『恋人にしたい男子ランキング』はベスト358まで発表されたぞ」

おおっ!? 下位はワーストランキングに近いじゃねえか。それも主催者決定なのか?」

「ああ。まったくおうじようぎわが悪いよな」

「殿町は何位だったんだ?」

「358位だが」

「主催者おまえかよ!」

「選ばれた理由は、『愛が重そう』『毛深そう』『足の親指のつめの間がくさそう』でした」

「やっぱりワーストランキングだそれ!」

「まあぶっちゃけ、下位ランクには一票も入らない奴らばっかだったからな。マイナスポイントの少なさで勝負だ」

「どんな苦行だよ! やめりゃあいいだろそんなもん!」

「安心しろ五河。おまえはとくめい希望さんから一票入ったから52位だ」

「反応しづれえ!」

「まあ他の理由は『女の子に興味なさそう』『ぶっちゃけホモっぽい』だったが」

われなき中傷に死のてつついを!」

「まあ落ち着けって。『じよが選んだ校内ベストカップル』では、俺とセットでベスト2にランクインしているぞ」

「これっぽっちもうれしくねぇぇぇぇぇッ!」

 たまらず叫ぶ。1位のカップルが少し気になった。

 しかし殿町はさして気にしていない様子(というか、もうすでに何かをえた様子)で、話を戻そう、と言うようにうでみした。

「まあとにかく、校内一の有名人っつっても過言じゃないわけだ。五河くんの無知ぶりにさすがの殿町さんもびっくりです」

「いや、何キャラだよそれ」

 と、士道が言ったところで、一年生の頃から聞き慣れたれいが鳴った。

「おっと」

 そういえば、まだ自分の席を確認していない。

 士道は黒板に書かれた席順に従い、窓側から数えて二列目の席にかばんを置いた。

 そこで、気づく。

「……あ」

 何の因果か、士道の席は、学年首席様のおとなりだったのである。

 鳶一折紙は予鈴が鳴り終わる前に本を閉じ、机にしまい込んだ。

 そして視線をぐ前に向け、定規で測ったかのような美しい姿勢を作る。

「…………」

 なぜか少し気まずくなって、士道は折紙と同じように視線を黒板の方にやった。

 それに合わせるようにして、教室のとびらがガラガラと開けられる。そしてそこからふちの細い眼鏡めがねをかけたがらな女性が現れ、きようたくについた。

 あたりから、小さなざわめきのようなものが聞こえてくる。

「タマちゃんだ……」

「ああ、タマちゃんだ」

「マジで、やったー」

 ──おおむね、好意的なもののようだった。

「はい、みなさんおはよぉございます。これから一年、皆さんの担任を務めさせていただきます、おかみねたまです」

 間延びしたような声でそう言って、社会科担当の岡峰珠恵きようつうしようタマちゃんが頭を下げた。サイズが合っていないのか、みように眼鏡がずり落ち、あわてて両手で押さえる。

 ひいに見ても生徒と同年代くらいにしか見えない童顔と小柄なたい、それにそののんびりとした性格で、生徒から絶大な人気を誇る先生である。

 と、

「……?」

 色めきたつ生徒たちの中、士道は表情を強ばらせた。

 士道のひだりどなりに座った折紙が、じーっ、と士道の方に視線を送ってきていたのである。

「……っ」

 いつしゆん、目が合う。士道は慌てて視線をらした。

 一体なぜ士道を見て──いや、別に見てはいけないというわけではないし、もしかしたら士道の先にあるものを見ている可能性だってあるのだけれど、とにかく落ち着かない。

「……な、なんなんだ一体……」

 誰にも聞こえないくらいの声でぼやき、士道は頬にあせをひとすじ垂らした。



 それから、およそ三時間後。

「五河ー、どうせひまなんだろ、飯いかねー?」

 始業式を終え、帰りたくを整えた生徒たちが教室から出て行く中、鞄をかたがけにした殿町が話しかけてきた。

 昼前に学校が終わるなんて、テスト期間以外ではそうない。ちらほらと、友人とどこに昼食を食べに行くかを相談している集団が見受けられる。

 士道は一瞬うなずきそうになってから、「あ」と思い直した。

「悪い。今日は先約があるんだ」

「なぬ? 女か」

「あー、まあ……一応」

「なんと!!」

 殿町が両手をV字にかかげて片足を上げた、グリコみたいなリアクションをとってくる。

「一体春休みに何があったっていうんだ! あの鳶一と仲良くお話しするだけじゃきたらず、女と昼飯の約束だと!? いつしよほう使つかいを目指すってちかい合ったじゃねえか!」

「いや、誓った覚えはないが……ていうか、女っていっても琴里だぞ?」

 士道が言うと、殿町はあんしたかのようにほうと息をいた。

「んだよ、おどかすんじゃねえよ」

「おまえが勝手に驚いたんだろうが」

「でもま、琴里ちゃんなら問題ねえだろ。俺も一緒に行っていいか?」

「ん? ああ、別にだいじようだと思うけど……」

 と、士道が言ったたん、殿町が士道の机にひじをのせ、声をひそめるように言ってくる。

「なあなあ、琴里ちゃんって中二だよな。もう彼氏とかいんの?」

「は?」

「いや、別に他意はねえんだが、琴里ちゃん、三つくらい年上の男ってどうなのかなと」

「……やっぱきやつだ。おまえ来んな」

 士道ははんがんを作り、いやに顔を近づけてきていた殿町のほおをぐいと押し返した。

「そんな! お様!」

「お義兄様とか呼ぶな気持ち悪い」

 士道がまゆをひそめると、殿町はよいしょと身を起こして肩をすくめた。

「はは。ま、俺も兄妹きようだいだんらんをつっつくほどじゃねえよ。都条例に引っかかんねえ程度に仲良くしてきな」

「おまえはいっつも一言余計だな」

 頬をぴくつかせながら言うと、殿町が意外そうな顔を作る。

「だっておめ、琴里ちゃん超可愛いじゃねえか。あんな子と一つ屋根の下とか最高だろ」

「実際に妹がいれば、その意見はちがいなく変わると思うがな」

「あー……それはよく聞くな。妹持ちに妹えはいないとか。やっぱ本当なのか?」

「ああ、あれは女じゃない。妹という名の生物だ」

 士道がきっぱり断言すると、殿町が苦笑した。

「そういうもんかねえ」

「そういうもんだ。女未満と書いて妹だろうが」

「じゃあ姉は?」

「……おんな?」

「すげえ、女性専用都市かよ!」

 言って、殿町が笑う。

 ──と、そのしゆんかん


 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ───────────


「…………ッ!?」

 教室の窓ガラスをビリビリとらしながら、街中に不快なサイレンがひびいた。

「な……なんだ?」

 殿町が窓を開けて外を見やる。サイレンに驚いたのか、カラスが何羽も空に飛んでいた。

 教室に残っていた生徒たちも、みんな会話をめて目を丸くしている。

 と、サイレンにいで、聞き取りやすいようにするためか、言葉をいつぱくずつ区切るようにして、機械しの音声が響いてきた。

『──これは訓練では、ありません。これは訓練では、ありません。ぜんしんが、観測されました。空間震の、発生が、予想されます。きんりん住民の皆さんは、すみやかに、最寄りのシェルターに、なんしてください。かえします──』

 瞬間、静まり返っていた生徒たちが、いつせいに息をむ音が聞こえた。

 ──空間震警報。

 皆の予感が、確信に変わる。

「おいおい……マジかよ」

 殿町がひたいに汗をにじませながら、かわいた声を発する。

 だが──士道や殿町をふくめ、教室の生徒たちは、顔にきんちようと不安こそ滲ませているものの、かくてき落ち着いてはいた。

 少なくとも、きようこう状態におちいったりする生徒は見受けられない。

 この街は三〇年前の空間震によって深刻ながいを受けているため、士道たちはようえんころから、しつこいほどになんくんれんを繰り返しさせられていたのである。

 加え、ここは高校。全校生徒を収容できる規模の地下シェルターが設えられている。

「シェルターはすぐそこだ。落ち着いて避難すれば問題ない」

「お、おう、そうだな」

 士道の言葉に、殿町がうなずいた。

 走らない程度に急ぎ、教室から出る。

 ろうには、もうすでに生徒たちがあふれ、シェルターに向かって列を作っていた。

 と──士道は眉をひそめた。

 そんな中に一人だけ、列と逆方向──しようこう口の方向に走っている女子生徒がいたからだ。

「鳶一……?」

 そう、スカートをはためかせながら廊下をけていたのは、あの鳶一折紙だった。

「おい! 何してんだ! そっちにはシェルターなんて──」

「大丈夫」

 折紙は一瞬足を止め、それだけ言って、再び駆け出していった。

「大丈夫って……何が」

 士道はげんそうに首をひねりながらも、殿町とともに生徒の列に並んだ。

 折紙のことは気になったが──もしかしたら忘れ物でもしてきたのかもしれない。

 実際、警報が発令されたからといって、すぐさま空間震が起こるというわけでもない。すぐもどってくれば間に合うだろう。

「お、落ち着いてくださぁーい! だ、大丈夫ですから、ゆっくりぃー! おかしですよ、おーかーしー! おさない・かけない・しゃれこうべーっ!」

 と、そこに、生徒をゆうどうしている珠恵の声が響いてきた。

 同時に、生徒たちのくすくすという笑い声がれ聞こえてくる。

「……自分よりあせってる人見るとなぜか落ち着くよな」

「あー、なんとなくわかる気がする」

 士道が苦笑すると、殿町も似たような表情を作って返してきた。

 実際、なんともたよりないタマちゃんきようの様子に、生徒たちは不安を感じるというより、緊張をほぐされているように見える。

 と、士道はあることを思い起こし、ポケットを探ってけいたいでんを取り出した。

「ん、どうしたよ五河」

「いや、ちょっとな」

 適当に言葉をにごしながら、着信れきから『五河琴里』の名を選んで電話をかける。

 が──つながらない。何度か試すが、結果は一緒だった。

「……か。ちゃんと避難してるだろうな、あいつ」

 まだ中学校を出ていなければ大丈夫だろう。

 問題は、もうすでに学校を出てファミレスに向かっている場合だった。

 いや、あの近くにも公共シェルターはあるはずだし、つうに考えれば問題ないのだが……どうも、士道は不安がぬぐいきれなかった。

 警報が鳴っても意にかいさず、忠犬のごとく士道を待っている琴里の姿が、なんとなく想像できてしまったのである。

 のうに、朝琴里が言っていた「絶対だぞー!」の言葉がエコーでうずく。

「ま、まあ空間震が起きても絶対約束とは言ってたけど……さすがにそこまで鹿では……っと、そうだ、あれがあった」

 確か琴里の携帯は、GPS機能を用いた位置確認サービスに対応していたはずである。

 携帯を操作すると、画面に上から見た街の地図と、赤いアイコンが表示された。

「────ッ」

 それを見て、士道は息をまらせた。

 琴里の位置を示すアイコンは、約束のファミレスの真ん前で停止していたのだ。

「あんの、馬鹿……ッ」

 毒づき、画面を消さないまま携帯を閉じて、士道は生徒の列からけ出した。

「お、おいッ、どこいくんだ五河!」

「悪い! 忘れ物だ! 先行っててくれ!」

 殿町の声を背に受けながら、列を逆走して昇降口に出る。

 そのまま速やかにくつえると、士道は転びそうなくらい前のめりになって外へと駆け出していった。

 校門を抜け、学校前の坂道を転がるように駆け下りる。

「……っ、こんなんなったら、つうなんするだろうが……!」

 士道は、足を最高速で動かしながらさけびを上げた。

 士道の視界に広がっていたのは、なんとも不気味な光景だったのである。

 車の通らない道路に、ひとかげのない街並み。

 街路にも、公園にも、コンビニにも、だれ一人ひとりとして残っていない。

 つい先ほどまで、誰かがそこにいたことを思わせる生活感を残したまま、人間の姿だけが街から消えている。まるでホラー映画のワンシーンだった。

 三〇年前の大空災以来、神経質なほど空間震に対してびんかんに再開発されたのがこの天宮という街である。こうきようせつの地下はもちろん、いつぱん家庭のシェルターきゆう率も全国1位という話だ。

 それに最近の空間震のひんぱつも手伝ってか──避難はじんそくだった。

 だというのに。

「なんで馬鹿正直に残ってやがんだよ……っ!」

 叫んで、走りながら携帯を開く。

 琴里を示すアイコンは、やはりファミレスの前から動いていなかった。

 士道は琴里をデコピンらんけいに処すことを決意しながら、ファミレスを目指して足を高速で動かし続けた。

 ペース配分も何もない。ただひたすらに、全速力でアスファルトの道を駆ける。

 足が痛み、手の指先がしびれる。

 のどが張りつき目眩めまいがして、口の中がカラカラになる。

 だが士道は止まらなかった。危険だとかろうだとかは思考の外に放って、琴里のもとへ、ただひたすらに走る──!

 と──

「……っ、──?」

 士道は走りながら、顔を上方に向けた。視界のはしに、何か動くものが見えた気がする。

「なんだ……っ、あれ……」

 士道は眉をひそめた。

 数は三つか……四つか。空に、何やら人影のようなものがいている。

 だが、すぐにそんなものを気にしてはいられなくなった。

 なぜなら──

「うわ……ッ!?」

 士道は、思わず目をおおった。

 とつぜん進行方向の街並みが、まばゆい光に包まれたのだ。

 次いで、耳をつんざくばくおんと、すさまじいしようげきが士道をおそう。

「んな……っ」

 士道は反射的にうでで顔を覆い、足に力を入れたが──だった。

 大型台風もかくやというほどの風圧にあおられ、バランスをくずして後方に転げてしまう。

「ってえ……一体なんだってんだ……ッ」

 まだ少しチカチカする目をこすりながら、身を起こす。

「──は──?」

 と、士道は、自分の視界に広がる光景を見て、間の抜けた声を発した。

 だって、今の今まで目の前にあった街並みが、士道が目をつぶったいつしゆんのうちに──

 あとかたもなく、無くなっていたのだから。

「な、なんだよ、なんだってんだよ、これは……ッ」

 ぼうぜんと、つぶやく。

 何のでもじようだんでもない。

 まるでいんせきでも落ちたかのように。

 否、どちらかといえば、地面が丸ごと消し去られたかのように。

 街の風景が、浅いすりばち状にけずり取られていた。

 そして、クレーターのようになった街の一角の、中心。

 そこに、何やら金属のかたまりのようなものがそびえていた。

「なんだ……?」

 遠目のため細かい形状までは見取れないが──ロールプレイングゲームなんかで王様が座っている、ぎよくのようなフォルムをしているように見える。

 だが、重要なのはそこではない。

 その玉座のひじけに足をかけるようにして、みようなドレスをまとった少女が一人、立っていたのである。

「あの子──なんであんなところに」

 おぼろにしか見えないが、長いくろかみと、不思議なかがやきを放つスカートだけは見て取ることができた。女の子であることはおそらくちがいないだろう。

 と、少女がだるそうに首を回し、ふと士道の方に顔を向けた。

「ん……?」

 士道に気づいた……のだろうか。遠すぎてよくわからない。

 だが士道が首をひねっていると、少女はさらに動きを続けた。

 ゆらりとした動作で、玉座の背もたれから生えたつかのようなものをにぎったかと思うと、それをゆっくりと引き抜く。

 それは──はばびろやいばを持った、きよだいけんだった。

 にじのような、星のようなげんそう的な輝きを放つ、不思議な刃。

 少女が剣をりかぶると、そのせきをぼんやりとした輝きがえがいていった。

 そして──

「い……ッ!?」

 少女が、士道の方に向かって、剣をよこぎにブン、と振り抜いてきた。

 とつに頭を下げる。──否、正しく言えば、士道の身体からだを支えていた腕から力が抜け落ち、ガクンと上体の位置が下がったと言うべきだろうか。

「────な」

 その、今まで士道の頭があった位置を、刃の軌跡が通り抜けていった。

 もちろん、剣が直接届くようなきよではない。

 だが実際──

「……は──」

 士道は目を見開いて首を後ろへ振った。

 士道の後方にあった家屋やてん、街路樹や道路標識などが、一瞬のうちにみんな同じ高さにそろえられていた。

 いつぱくおくれて、えんらいのようなほうらくの音がひびいてくる。

「ひ……ッ!?」

 士道は理解のはんえたせんりつに心臓を縮ませた。

 ──意味が、わからない。

 ただ理解できたのは、さっき頭を下げていなければ、いまごろ自分も後方の景色と同じように、ほどよい大きさにダウンサイジングされていたということだけだった。

「じょ、冗談じゃねえ……っ!」

 士道は、抜けたこしを引っ張るようにして後ずさった。少しでも早く、少しでも遠く、この場からのがれなければ──!

 だが。

「──おまえも……か」

「……っ!?」

 ひどくつかれたような声が、頭の上から響いてきた。

 視覚が、一拍遅れて思考に追いつく。

 目の前に、一瞬前まで存在しなかった少女が、立っていたのである。

 そう、それは──今の今まで、クレーターの中心にいた少女だった。

「あ──」

 意図せず、声がれる。

 としは士道と同じか、少し下くらいだろうか。

 ひざまであろうかという黒髪に、愛らしさとしさをそなえたかお

 その中心には、まるですいしように様々な色の光を多方向から当てているかのような、不思議な輝きを放つそうぼうちんしている。

 よそおいは、これまた奇妙なものだった。布なのか金属なのかよくわからない素材が、おひめ様のドレスのようなフォルムを形作っている。さらにそのやインナー部分、スカートなどにいたっては、物質ですらない不思議な光のまくで構成されていた。

 そしてその手には、たけほどあろうかという巨大な剣が握られている。

 じようきようの異常さ。

 ふうぼうさ。

 存在の特異さ。

 どれも、士道の目を引くには十分に過ぎた。

 だけれど。

 、だけれども。

 士道が目をうばわれた理由に、そんな不純物はふくまれていなかった。

「──、──」

 一瞬の間。

 死のきようも、呼吸をすることすらも忘れ、少女に目をくぎづけられる。

 それくらい。

 少女は、それこそ暴力的なまでに──美しかったのである。

「──君、は……」

 呆然と。

 士道は、声を発していた。

 とくしんとしてのどと目をつぶされることすら、思考のうちに入れて。

 少女が、ゆっくりと視線を下ろしてくる。

「……名、か」

 ここのいい調べのごとき声音が、空気をふるわせた。

 しかし。

「──そんなものは、ない」

 どこか悲しげに、少女は言った。

「────っ」

 そのとき。士道と少女の目が、初めて交わった。

 それと同時に、名無しの少女が、ひどくゆううつそうな──まるで、今にも泣き出してしまいそうな表情を作りながら、カチャリという音を鳴らして剣を握り直す。

「ちょっ……、待った待った!」

 その小さな音に、戦慄がよみがえってくる。士道は必死で声を上げた。

 だが少女は、そんな士道に不思議そうな目を向けてくる。

「……なんだ?」

「な、何しようとしてるんだよ……っ!」

「それはもちろん──早めに殺しておこうと」

 さも当然のごとく言った少女に、顔を青くする。

「な、なんでだよ……っ!」

「なんで……? 当然ではないか」

 少女はものげな顔を作りながら、続けた。

「──だっておまえも、私を殺しに来たんだろう?」

「は────?」

 予想外の答えに、士道はポカンと口を開けた。

「……っ、そんなわけ、ないだろ」

「────何?」

 そう言った士道に、少女はおどろきとさいこんわくの入り交じったような目を向けてきた。

 だが、少女はすぐまゆをひそめると、士道から視線を外し、空に顔を向けた。

 つられるように士道も目を上方にやり──

「んな……ッ!?」

 これ以上ないほど目を見開き、息をまらせた。

 何しろ空には奇妙な格好をした人間が数名飛んでいて──あまつさえ、手に持っていた武器から、士道と少女目がけてミサイルらしきものをいくつも発射してきたのだから。

「ぅ、わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ──!?」

 思わず、さけびを上げる。

 だが──数秒っても、士道の意識ははっきりしたままだった。

「え……?」

 ぼうぜんと、声を漏らす。

 空から放たれたミサイルが、少女の数メートル上空で、見えない手にでもつかまれたかのように静止していた。

 少女が、気怠げに息をく。

「……こんなものはと、学習しない」

 言って少女が、剣を握っていない方の手を上にやり、グッと握る。

 すると何発ものミサイルが圧縮されるようにへしゃげ、その場でばくはつした。

 爆発の規模も恐ろしく小さい。まるで、りよくが内側へ引っ張られているかのようだった。

 空をっている人間たちがろうばいするのが、なんとなくだがわかる。

 だが、こうげきをやめようとはしない。次々とミサイルをち込んでくる。

「──ふん」

 少女は小さく息を吐くと、まるで泣き出してしまいそうな顔を作った。

 先ほど士道に剣を向けようとしたときと、同じ顔。

「────っ」

 その表情に、士道は命の危機にひんしたときよりも大きく心臓がねるのを感じた。

 なんとも、みような光景だった。

 少女が何者なのかはわからない。上空にいる人間たちが何者なのかもまた、わからない。

 だけれどこの少女が、上空を飛ぶ人間たちよりも強大な力を有していることだけは、なんとなく理解できた。

 それゆえの、ばくぜんとした疑問。

 その、最強者が。

 ──なんで、こんな顔を、するのだろう。

「……消えろ、消えろ。一切、合切……消えてしまえ……っ!」

 そう、言いながら。

 彼女のひとみのごとく不思議なかがやきを放つ剣が、空に向けられた。

 疲れたように、悲しむように、少女が剣を無造作にひとりする。

 しゆんかん──風が、いなないた。

「…………っ、うわ……ッ!」

 すさまじいまでのしようげきがあたりをおそい、すじの延長線上の空に、ざんげきが飛んでいく。

 上空を飛行していた人間たちはあわててそれをかいし、その場をだつしていった。

 だが次の瞬間、別の方向から、少女目がけて凄まじい出力の光線が放たれた。

「……っ!」

 思わず目をおおう。

 その光線はやはり少女の上空で見えないかべにでも当たったかのようにされた。あたかも夜空に打ち上げられた花火の如く、四方八方にきらめきを散らして美しくはじぶ。

 そしてその光線に続くように、士道の後方に何者かがりた。

「な、なんなんだよ次から次へと……ッ!」

 もうさっきから意味がわからない。

 悪質な白昼夢でも見ている気分だった。

 だが──そこに降り立ったひとかげを見て、士道は身体からだこうちよくさせた。

 機械を着ている、とでも言うのだろうか。

 全身を見慣れないボディスーツで覆った少女である。

 背には大きなスラスターがついており、手にはゴルフバッグのような形状の武器をたずさえていた。

 士道が身をこおらせた理由は単純だった。少女の顔に、見覚えがあったのである。

「鳶一──折紙……?」

 今朝、殿町から教えてもらった名をつぶやく。

 そう、そのやたらメカニックな格好をした少女は、クラスメートの鳶一折紙だった。

 折紙がちらと士道をいちべつする。

「五河士道……?」

 そして、返答のように士道の名を呼んだ。

 ぴくりとも表情を変えず。しかしほんの少しだけ、げんそうな色を声にのせて。

「……は? な、なんだその格好──」

 けな質問と自覚しながらも、そんな声を発する。

 一気にいろんなことが起こりすぎていて、何から気にすればいいのかわからなかった。

 だが、折紙はすぐに士道から目を外し、ドレスの少女に向き直った。

 それはそうだろう、何しろ、

「──ふん」

 少女が先ほどと同じように、手にしたけんを折紙に向けていたのだから。

 折紙はそくに地面をると、剣の太刀筋の延長線上から身をかわし、そのまま素晴らしい速さで少女ににくはくした。

 いつの間にやら折紙の手にした武器のせんたんには、光で構成されたやいばが出現している。

 折紙はそれを、少女目がけて思い切り振り下ろした。

「──ぬ」

 少女がかすかにまゆを寄せ、手にしていた剣でそのいちげきを受け止める。

 ──瞬間。

 少女と折紙の攻撃が交わった一点から、凄まじい衝撃波が発せられた。

「ちょ……ッ、う、わぁぁぁぁぁぁッ──!?」

 情けない叫びを上げながら、身を丸めてどうにかそれをやり過ごす。

 折紙がはじかれる格好で、二人はいつたんきよはなすと、油断なく武器を構えてにらみ合った。

「…………」

「…………」

 士道をはさんで、なぞの少女と折紙が、するどい視線を混じらせる。

 まさにいつしよくそくはつ。何か小さなきっかけの一つでもあれば、すぐにせんとうが再開されてしまいそうな状態だった。

「…………っ」

 士道としては気が気でない。

 額にあせをびっしりかべながら、どうにかこの場からのがれようと、じりじりと横に身体をっていく。

 だが、そのとき、急にポケットの中のけいたいでんが、軽快な着信音をひびかせた。

「────!」

「────!」

 それが、合図だった。

 少女と折紙がほとんど同時に地を蹴り、士道の真ん前でげきとつする。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」

 そのあつとうてきな風圧に、士道は情けなく転がされ、へいにぶつかってこんとうした。


    ◇


「──じようきようは?」

 しんの軍服をシャツの上からかたけにした少女は、かんきように入るなりそう言った。

れい

 かんちよう席のとなりひかえていた男が、軍の教本にでも書いてあるかのようなれいな敬礼をする。

 司令と呼ばれた少女はそれを一瞥だけして、男のすねをつまさきで蹴った。

「おうっ!」

あいさつはいいから、状況を説明なさい」

 もん、というよりはこうこつとした表情を浮かべる男に言いながら、艦長席にこしける。

 男は、即座に姿勢を正した。

「はっ。精霊出現と同時に攻撃が開始されました」

「AST?」

「そのようですね」

 AST。対精霊部隊アンチ・スピリツト・チーム

 せいれいり精霊をらえ精霊を殺すために機械のよろいまとった、人間以上かいぶつ未満の現代の魔術師ウイザードたち。

 とはいえ──ちようじんレベルでは、精霊にちできないのが実状だった。

 それくらい、精霊の力は、けたちがう。

「──確認されているのは一〇名。現在一名がついげき、交戦しています」

「映像出して」

 司令が言うと、艦橋の大モニタに、リアルタイム映像が映し出される。

 はんがいから通りを二つくらいへだてた広めの道路の上で、二人の少女がきよだいな武器を振りながら交戦しているのが確認できた。

 武器を打ち合うたびに光が走り、地面が割れ、建造物がとうかいする。およそ現実とは思えない光景である。

「やるわね。──でも、ま、精霊相手じゃどうしようもないでしょ」

「確かにそのとおりですが、我々が何もできていないのもまた、事実です」

「…………」

 司令は足を上げると、ブーツのかかとで男の足をみつぶした。

「ぐぎっ!」

 男が、この上なく幸せそうな顔を作るのを無視し、司令は小さくたんそくした。

「言われなくてもわかっているわ。──見ているだけというのにもきてきたところよ」

「と、いうことは」

「ええ。ようやく円卓会議ラウンズから許可が下りたわ。──作戦を始めるわよ」

 その言葉に、艦橋にいたクルーたちが息をむのが聞こえる。

かんづき

 司令は軽く背もたれに身体を預けるようにすると、小さく右手を上げ、人差し指と中指をピンと立てた。まるで、煙草たばこでも要求するように。

「はっ」

 男は素早くふところに手をやると、棒付きの小さなキャンディを取り出した。速やかに、しかしていねいに包装をがしていく。

 そして司令の隣にひざまずき「どうぞ」と、司令の指の間にキャンディの棒を挟み込んだ。

 司令がそれを口に放り込み、棒をピコピコ動かす。

「……ああ、そういえばかんじんの秘密兵器は? さっき電話に出なかったのだけれど。ちゃんとなんしているんでしょうね?」

「調べてみましょう──と、ん?」

 男が、怪訝そうに首をひねる。

「どうかしたの?」

「いえ、あれを」

 男が画面を指さす。司令はそちらに目をやり──「あ」と短い声を発した。

 精霊とAST要員が武器を打ち合っている横で、制服姿の少年がびていたのである。

「……ちょうどいいわ。回収しちゃって」

りようかいしました」

 男は、またも折り目正しく礼をした。

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