王子様の甘いキス

初デートは波乱に満ちて



「…………」


「何よ? 人のこと呼び出しといて、黙りこくっちゃって」


 わたしは今、なっちゃんと南くんを前に、大変重大なことを発表しようとしています。


「実は、その……」


 でも、やはり、恥ずかしいのです。


「水沢に、デートにでも誘われた?」


「そうなのです」


 さすがは、ひそかに第2王子候補とちまたで囁かれている、南くん。


「よかったじゃん。行ってきなよ」


 いつもどおり、あっさりした反応のなっちゃんだけれど。


「いや、その場所がですね……水沢くんの家という。その意図とは?」


 これはもう、早々と、わたしの全てを求められているということなのでしょうか? そこのところを、『実際問題、普段はそんな面は見せなくても、やることはやっているであろう平均的なカップル』代表、なっちゃんと南くんに聞いてみたいのです。


「普通に、勉強したいんじゃないかな。試験も近いし」


 当たり障りがなさすぎる、南くんのお答え。


「や、なんと、その日はね。水沢くんのお母様も、一日中外出しているそうで」


 ここまで言っても、そんなのんきに構えていられます?


「それは、水沢の優しさだと思うな」


 突拍子もないことを言い出す、南くん。


「はい?」


「水沢のお母さん。会ったことあるけど、怖いよ」


「と、言いますと?」


 背筋が、ヒヤリとする。


「顔は笑ってたけど、見定められてる感が半端じゃなかった。俺なんて、男なのに」


「ひ……」


 今、真剣に鳥肌が立ちました。わたしの最も苦手とするタイプの方でしょう。


「うわあ、よかった。そんな親、一生関わりたくないわ」


 なっちゃんは、完全に他人事。実に、友達がいのない、ひどい友達です。


「まあ、つき合い始めたばかりなのに、そんな心配してもね。水沢に、勉強教えてもらいなよ」


「いえいえ、そうじゃなくて」


 そうですね。頭が拒否しているので、お母様のことは、一度記憶から消します。問題は、そこじゃないのです。


「何? あんた、期待してんの? 水沢くんに襲われるんじゃないかとか」


「これから、電子ピアノのあまりのお金で、勝負下着を買いに行くつもりです」


 この際、ぶっちゃけちゃいますが。


「そこで、現代の男子高生がそそる下着を、南くんに教えてもらえたらと」


 正直、想像もつかないのです。


「そうだなあ……普通っぽい花柄とか、細かい水玉模様とかも可愛いよね」


「なるほど。セクシーさを強調するより、可愛いらしい方がよいと」


 身近な男子の生の意見、貴重すぎる。これを取り入れない手はないだろう。


「ちょっと、南に変なこと聞かないでよ。南も、真面目に何答えてんの?」


 なっちゃんに本気で殴られた、わたしと南くん。


「痛い……!」


 暴力反対です。


「やめときなよ。そんなにがっついて、ひかれるよ? 水沢くんに」


「いいもん。なら、あえて着古した下着で行くから。中学の修学旅行のときに買った、すり切れそうな熊柄の」


 それが原因で愛想を尽かされたら、なっちゃんに責任を取ってもらいますが。


「いや、葵ちゃん! 万が一のことがあるから、新しめのにしておいた方が」


「だから、真剣に考るなってば」


 なっちゃんなんて、知りません。南くんのアドバイスをしっかり守って、初デートに臨むつもりです。





「えっと、こんにちは」


「待ってたよ。あがって、草野さん」


 ドアを開けて、優雅に微笑んでくれる、水沢くん。この状況が、まだ信じられないの。


「弟さんは?」


 一応、聞いてみたりして。


「最近、仲のいい友達ができたみたいでね。昨日の夜から、いないんだ」


「そう……ですか」


 さらに、ドキドキしてきました。


「今、お茶いれてくるよ。僕の部屋で待っててくれる? 階段上ってすぐの、いちばん手前の部屋なんだ」


「あ、は、はい」


 ついに、水沢くんの部屋に誘われた瞬間。音楽室での、「抱きたくてたまらない」という言葉を思い出します。あれが、100%冗談だと、誰が断言できるというのでしょう?


「失礼、いたします」


 今日のうちに、わたしの全てを捧げることになるとは、正直思っていません。


 しかし、いわゆる、あれです。キ、キ、キスというものくらいは、することになるのが自然でしょう。だって、他に誰もいない密室で、お互いに好き合ってる男女がふたりきりになるのですから……と、そこまで、考えをめぐらせたところで。


「お待たせ、草野さん」


「はい……!」


 水沢くんの声に、姿勢を正す。


「どうしたの? なんだか、元気がないみたいだけど」


 わたしの向かいに座って、心配そうに聞いてくれる、水沢くん。


「いえ、そんなこと」


 ちょっとだけ、雪乃ちゃんがこの部屋にいたところを想像してしまったのです。


「紅茶でよかったかな」


「おかまいなく」


 深々と頭を下げながら、よけいなことが次々に浮かんでくる。雪乃ちゃんと、仲良さそうに手を繋いでいましたっけ。キスくらい、何度もしたことでしょう。


「草野さん?」


「や、その……」


 なんという、欲深さ。水沢くんの大切な過去にまで、ケチをつけようとするなんて。


「考えてませんから! 水沢くんと雪乃ちゃんが、ここでキスしたかどうかなんて」


 あわてて、否定しようとしたんだけれど。


「そっか。よかった」


 安心したように笑顔を見せる、水沢くん。


「はい?」


「じゃあ、始めようか。試験勉強」


 耳を疑うような、さらっとした反応。


「あ、試験勉強……そうですね。しないと、ですね」


 さすが、特進コースにまで選ばれた、我が校の精鋭。キスより、勉強なのです。


 だけど、今日は、この前の演奏会のときと同じくらい、気合いを入れて、おしゃれもしてきたし。思いきって、「キスしたくなる」という触れ込みの唇専用美容液、『ヌレヌレ』まで購入して、仕込んできたというのに。


 何も手応えがないのは、寂しすぎます。キスなんて、雪乃ちゃんとしあきちゃった? それとも、わたしとは、そういう気にならない?


「……水沢くん」


「ん?」


 英作文の教科書とノートを準備していた、水沢くんが顔を上げた。


「わたし、今日はヌレヌレなの」


 頭の回転がいい水沢くんだもん。これで、わたしが今考えていることは、全部わかってくれるはず。


「草野さん」


 水沢くんが、わたしの顔を真正面から見る。


「はい」


 あの広告の漫画どおりに、『その唇、食べてみたい』などと言われちゃうのでしょうか?


「女の子が、そんな露骨に男を誘うものじゃないよ。草野さんらしくない」


「え……?」


 諭すような水沢くんの言葉と態度に、体が固まってしまう。


「草野さんは、英語も苦手なんでしょ? まずは……」


「水沢くんの意地悪」


 恥ずかしすぎて、引っ込みつかないよ。


「意地悪じゃないよ」


 冷静に、ため息なんかついている、水沢くん。


「意地悪だもん」


 雪乃ちゃんが前に言っていたとおりだ。こんな状況、泣きたくなってしまう。


「僕は、ちゃんと草野さんのことを考えてるし。僕が好きなのは、本来の……」


 と、そのときだった。


「優? いるの?」


 初めて聞く、はっきりした感じの女の人の声。


「あの……?」


 まさかとは思いますが。


「母が帰ってきたみたいだね」


「…………!」


 やはり。南くんから聞いた話を思い出し、反射的に窓を開けて、ベランダに飛び出した。間一髪。部屋の中では、水沢くんのお母さんと水沢くんが、何か話をしてる模様。


 ダメです。生理的に、ダメなのです。確実に嫌われること、受け合いです。これは、今後とも顔を合わせなくてすむように、万全を期しておくべき。ベランダを、そっと横に移動していくと。


「……あ」


 隣の部屋の窓越しに、わたしを見下ろしている、ユウジくんの姿が。


「何やってんの?」


「しっ!」


 無神経に、窓を開けて声をかけてきたユウジくんの口を、あわててふさぐ。


「とにかく、入れて」


 とりあえず、ユウジくんの部屋へ強引に押し入る。


「何? 外の壁、よじ登ってきたの?」


「まさか。わたしは、水沢くんの彼女ですよ?」


 それにしても、タバコの匂いが充満してる部屋。


「彼女が、なんでベランダにいるわけ?」


 げんそうに聞いてくる、ユウジくん。


「それは、お母様が……」


 と、そのタイミングで。


「あ。隠れた方がいいよ」


 不意に、ベッドの上の布団をめくられた。


「えっ?」


「早く」


 隠れる?


「帰ってるんでしょ? 開けるわよ」


「…………!」


 今度は、お母様がユウジくんの部屋に。


「叔父様が見えてるのよ。あなたも、リビングに降りていらっしゃい」


 またもや、危ないところだった。しっかりと、ユウジくんのベッドの中に潜り込みました。


「いいよ。優に相手させておけば」


「何を言っているの? あれだけ、お世話になっておいて……あら?」


「何?」


 何やら、嫌な予感。


「ベッドの中に、誰かいるの?」


「いません!」


「…………」


 わたしのバカ。気が動転して、声を上げてしまった。


「本当に、しょうもないわね。優を見習って、自分の質を落とすような行動は慎みなさい」


「わかってるよ。聞き飽きた」


「隠れてる、あなた。恥をさらしたくないから、見えないように出ていってちょうだい」


「は、はい……! 承知しました」


 布団の中から、震えながらも、思わず元気に返事を。


「笑い事じゃないわよ。とにかく、一緒にいらっしゃい」


「わかったって」


 ユウジくんは、のんきに笑いをこらえているみたいだけれど。


「遊びだけにしておきなさいよ。低俗な子とつき合うのは」


 去り際のお母様の言葉、恐ろしすぎます。夢にまで出てきそう。


「怖かった……」


 とりあえず、布団をめくって、顔だけ出してみる。


 本とかCDが適度に散らばっていて、整理整頓しつくされた水沢くんの部屋より、こっちの方が落ち着く感じ。弟だけあって、水沢くんと微妙に共通点のある、いい匂いも布団に染みついているのです。


「これから、どうしたらいいかなあ」


 とりあえずは、どちらかが戻ってくるまで、おとなしくしていなくては。考えてみたら、興奮のしすぎで、昨日の夜は一睡もしていなかったっけ。ちょっとだけ、ここで休ませてもらうことにしましょうか……。





「草野さん」


「いや、もっと……あ、水沢くん」


 もっと寝かせて、どころかじゃなかった。


「…………」


「水沢くん?」


 やっぱり、怒っていますか?


「いきなり、親が帰ってくるとは思わなかったけど。でも、草野さんが外に逃げ出したりするから、びっくりしたよ。ちゃんと紹介しようと思ったのに」


「あ……実に、ごめんなさい」


 結果的には、お母様に顔を見られなかっただけ、まだよかったと思いますが。


「えっと、お母様は?」


「もう一度、出かけていったよ。弟も」


「そっか」


 ひそかに、胸を撫で下ろしてしまう。まだ、時期尚早なのです。


「それより」


「はい……?」


 笑っているけれど、水沢くんも怖いのです。


「弟の部屋のベッドで寝てるって、どういうこと?」


「あ」


 そうだった。


「わわわ。水沢くん!?」


 ユウジくんのベッドから抜け出ようとしたのに、体の上に乗られて、身動きがとれません。


「僕の弟だって、男なんだよ?」


 うれしいのですが。うれしくて、鼻血が出そうなのですが。


「水沢くん、ここは……」


 弟のユウジくんの部屋ですから。


「許さない」


「え……?」


 そっと、唇をふさがれました。ひんやりとした、水沢くんの唇に。


「不思議だな。甘い」


 彼を虜にするというあおり文句は、嘘です。


「……『ヌレヌレ』なの」


 心臓がはち切れそうにドキドキして、熱すぎる体が苦しいくらいなのは、わたしの方です。と、そこで。


「さっきから、どういう意味で、その言葉を連呼してる?」


 何ともいえない表情で、水沢くんに聞かれた。やっぱり、わたしの気持ちは通じていなかったのでしょうか。


「えっと、ですね」


 ネタをバラしても、いいんだよね? たしか、そこからまた、仲が深まっちゃうとか。


「これのこと」


 拘束された体をよじって、実物のリップグロスをポケットから出す。


「何? これ」


 水沢くんが手にとって、不思議そうに見ている。


「話題の美容アイテム、『ヌレヌレ』。これを塗ってると濡れてるような潤いで、誰でも魅惑的な唇になれるという触れ込みなの」


 結果的に、今日は大成功と言っていいかもしれません。


「なんだ。唇のことか」


「はい?」


 唇以外に、どういった意味が……。


「僕はね」


「な、何でしょう?」


 再び、顔を近づけてきた水沢くんに、身構えると。


「人の思惑どおりに動くのは、大嫌いなんだ」


「ひゃん……!」


 今度は、唇をペロリと舐め上げられた。


「とりあえず、それ全部落としてから」


「あ……」


 水沢くんの長い舌が、わたしの唇に塗られたヌレヌレを絡め取っていく。体がゾクゾクしてしまいます。


「そんなに、僕とキスしたかったの?」


「や、わからな……」


 水沢くんの非現実的な行動が、わたしの平常心を失わせるのです。こんな状態では、まともにしゃべれません。


「草野さん?」


「違う、も……ん」


 意地悪な水沢くんに、精一杯の反抗を試みると。


「そっか。残念だな」


「えっ?」


 ユウジくんのベッドから、体を起こす水沢くん。


「じゃあ、僕の部屋に戻って、勉強しようか」


「…………!」


 ひどいです。水沢くんの正体は、ドS王子でした。


「可愛いな、草野さん」


 そこで、突然、体がふわりと持ち上がった。まさかのお姫様だっこなのです。


「じゃあ、続きは僕の部屋で」


 わたしの耳元で、水沢くんに囁かれる。


「どっちの続き……?」


「それは、草野さんの思いのままに」







 to be continued



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