三章

ティナ

「……、…………、…………」


遠くで歌のようなものが聞こえる。

起き上がりたいのに、体が泥の中に沈んでいるかのように重く、温かく、動かない。

インは重いまぶたをどうにか開く。

視界もぼんやりしていたが、誰かがこちらを覗き込んでいるのが見えた。

金糸のようなサラサラの金髪に、宝石のように澄んだ黄緑色の瞳。

昔読んだおとぎ話の絵本に乗っていた妖精にそっくりだ。

夢だろうか? それとも死後の世界……?


「……、…………、…………ん?」


妖精はインの目が開いたことに気が付いたようで、歌をやめインを見つめてほほ笑んだ。

「もう少し眠っていましょう」

ふわりと香草の匂いがする手に頭を撫でられる。

そうしているうちにインの意識はまた深く沈んでいった。



コトコトと音を立てて煮立つ鍋から上がる湯気をぼんやりとインは眺めていた。

部屋は温かく、ハーブの香りが充満している。

獣人であるインの苦手な種のハーブは今は外されているものの、その残り香がインをぼんやりと軽い酩酊状態にしていた。

自身も仲間も深刻な怪我をして気が立っていたインにとっては、それがいい方に働いている。

若干の気怠さがありつつも、強制的にリラックス状態になる香りのお陰で、インは充分に身体を休めることができている。

インは自分の手足を見下ろした。

用意してもらった服はゆったりとしていて、休むには快適である。

獣化で負担をかけすぎた体は消耗し、傷の治りも遅いがそれでも歩き回れる程度には回復してきていた。


部屋の一角にあるカーテンが揺れ、その向こうからこの家の主が現れた。

「あ、おはようございます。もうすぐで朝ごはんできますよ」

そう言うと、小走りに鍋の方へ向かう。

インよりも一回り小さく華奢な身体にオーバーサイズの法衣を纏っている。

そのだぼっとした服のせいか、端正な顔のせいか、性別がどちらか分かりずらい。

耳はツンと尖っていて、胸元にはつるりと輝く宝石のようなものがある。

一見すると装飾品のように見えるそれは、半分以上肉体に埋まっており表層だけが露出している。

それは魔力を生成する核と呼ばれるもので、妖人の特徴だ。

妖人はそのほとんどが西の島国で暮らしているらしく、言語も特有のものを使っているそうだ。

島国の外では獣人より遥かに珍しい人種として有名だ。

まさかこんな森の奥で出会うとは思わなかった。

インはソファーから立ち上がり、妖人の元へ歩いて行った。

ふわり、と鍋で煮えている粥の良い匂いが鼻腔をくすぐった。

「ありがとう……。えっと……名前……」

「ティナです。あなたは?」

「インニェイェルド、長いからインって呼んでも大丈夫」

「じゃあお言葉に甘えて!」

ティナはにこにこと笑顔で頷いた。

妖人といえば冷たく合理的な印象があったインはその豊かな表情に驚く。

「エルリク――あっ、私と一緒にいたやつは、どこにいるの?」

部屋の中を見渡してもエルリクの姿が見当たらない。

あれからどれだけの時間が経ったかも良く分かっていないインは緊張しながら訊ねた。

もしあの破裂する呪いをかけられていたら、とっくに死んでいてもおかしくない。

ティナは瞬きを二回して、インを安心させるように微笑んだ。

「あの人、エルリクって名前なんですね。あっちで眠ってますよ」

ティナはさっきまでいたカーテンの向こうを指さした。

よくよく集中すると、ハーブの香りに混ざってエルリクのにおいを感じた。

「眠ってるってことは……い、生きてる?」

「はい!」

元気よく頷くティナ。

「良かったぁ……」

気が抜けて力も抜け、インはその場にへたり込んでしまう。

「大丈夫ですか!?」

インが視界から消えて、ティナは慌てふためきながら料理器具を鍋に放り込み、インの前に膝をついた。

「う、うん。ちょっと気が抜けちゃって」

「酷い怪我だったんですから、もうちょっと休んでてください」

ティナはインに手を貸して、ソファーに座らせる。

神秘的な黄緑色の瞳を見ていると、まるで天使のようだとインは思った。

それにどこかの誰かとは違い、優しさを感じる。


「色々聞いてもいいかな?」

「はい、なんでもどーぞ」

鈴を転がすような済んだ声で快活に答えるティナにほろほろと緊張が解けてくる。

「ここって、どこ?」

「あー、ここはどこわたしはだれ、ってやつですね!」

「それは違うけど……」

ノリが悪すぎるエルリクと一緒にいたせいか、ティナのノリが異常によく感じてしまう。

病み上がりなのもあり、テンションに置いていかれ気味だ。

「ごほん、失礼しました。ここはメナイス神殿跡地、単にメナイスとも呼ばれます。村と言えば村ですが、もう少し規模は小さいです。住人は妖人ばかりで百人……いたかな?」

ティナは指折り数えてみたが、すぐに諦めた。

「まあそんくらいです!」

「ティナはどうして私たちを助けてくれたの?」

「んー、助けられそうだったから? 暇なので」

聖人君主な答えが返ってくると思ったら、意外と適当な理由だった。

「村の人ら大人ばっかりだし、同世代の友達いないし、毎日退屈で。こんなイベント、50年に一回あるかないかですから!」

「えっと……ティナはいくつなの?」

「えっ、今年で120……うーんと、120から130才の間くらいだったと思います」

「分かんないくらい長生きなんだ……」

人種的に長命で有名な妖人だが、実際に目の当たりにするとそこまで長く生きているようには見えない。

「うふふ、まだ全然子供ですけどね!」

ティナは台所に戻ると、鍋に卵を2つ割りいれた。

料理の手際も良さそうだ。

良い匂いが漂ってきて、インはごくりと喉を鳴らした。

ティナは火を消して料理を皿に盛ると、スプーンを片手にインの元へと運んできた。

「麦粥です、食べれるだけどうぞ」

「ありがとう」

食べ物を受け取って、慎重に冷ましてから一口頬張る。

卵を入れたシンプルな麦粥だが、弱り切った身体は温かさと滋味に喜んだ。

「おいしい……」

「お口に合って良かったです!」

インが一口食べるまでじっと待っていたティナはうんうんと頷き、コップに水を汲んで持ってきてくれる。

「そう言えば、私たちがここに来てどれくらい経ってる?」

「ええと、丸2日ですね」

ティナは壁にかけられた円盤を見つめて答えた。

数字がたくさん刻まれているその円盤はどうやら日付を表しているらしい。

インには読み方が分からないが、妖人の文化圏ではポピュラーなものなのだろうか。

「丸2日……ってことは、エルリクはあれにやられてなかったのか……」

彼を連れて逃げたあのときのことを思い出す。

ジーナフォリオの背中から伸びた無数の手によって捕らわれていたエルリク。手は全身、それこそ背中にも顔にも張り付いていたはずだ。

救出した自分もまた、足を掴まれた。

確実に時間差で破裂する呪いにかかってしまったと思っていたが、2日経って死んでいないということはもう大丈夫ということなのだろうか。

「あれってなんですか?」

「その、なんていうか……説明が難しいんだけど、時間差で死ぬ魔法と言うか……呪い? みたいなものなんだけど、私たちそれにやられたと思ったの。でも、もう効果が出る時間は経過してて死んでもないから大丈夫だったのかって、ほっとしてるところ」

「呪い? ああ、かかってましたよ?」

 ティナも自分で食べようと麦粥をよそって、テーブルを挟みインの向かいの椅子に腰を下ろした。

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