第87話 姉と椀

十年前、歷弩れきどの国 松栄山まつばやま城下 燃えるサヤの屋敷 裏へつながる廊下


「やっぱり・・・」


 廊下は燃え盛っていた。


 仇花アダバナうごめいている。熱によって目が覚めたのかもしれない。ともかく危険だとお藤は感じていた。


 背中の方で、侍達の騒ぐ声が聞こえる。見つかるのも時間の問題だろう。


 前門の虎、後門の狼。


 ならば、まどわせることのできる相手はどちらか?お藤は考える。

 

 炎の光で根がそこいら中に這いまわっているのが見える。


 小石をひとつ拾って、なるべく自分達より遠い反対側へと投げてみた。石は地面で一度跳ねると根にぶつかった。一瞬だった。棘付きの根がその場所に向かってむちのように飛ぶ。


 お藤は戦慄せんりつする。あんなものが当たれば、自分はおろかサヤまでひとたまりもない。


 しかし、時もない。


 賭けるしかない。


 根に触らなければなんとかなるのではないか?


「藤にしっかりとつかまってくださいまし。」

 そして袂からにおい袋を取り出してサヤに握らせる。

「いい匂い。藤の甘い、いい匂いがする。」

 それは藤が普段から身につけているものだ。

「奥様からいただいたものです。この香りをお母さまと私だと思ってお目目を閉じていてください。何も怖いことはないのです。藤が良いというまでお目目を閉じていてくださいね。」


 サヤをおぶりたすきで固定し、お藤は明々あかあかと照らされる根っこだらけの庭を慎重に渡っていく。すそをまくり、恥じらいを捨てる。ただ背中の少女をこの地獄から連れ出すため。


 なんとか、なんとかここから出なければ、万が一にも根に触れてはいけない。


「いたぞ!」

 侍達に気づかれた。三人もいる。


「娘だ!逃がすな!」

 ひとりが抜刀して庭に飛び出した。しかしその足はおもむろに根を踏みつけている。

 ひとぎだった。その侍はそこにはもういなかった。


「回り込めっ!」

 残りの侍が廊下側から近づこうとする。


「おわっ!」廊下の炎が勢いよく飛び盛り、よろけた足で根を踏んだ侍が串刺しにされていた。


 お藤はそれを尻目に構わず根をまたいでいく。


 あと少し、あそこまで行ければ石畳。根は張ってないように見える。裏口はすぐそこ。


「逃すな!娘が逃げるぞっ!」


 新手が来たのか?


 お藤は振り返ってしまった。


 左胸のたすきが切れた。いけない、サヤがズレ落ちる。左手がサヤを庇うように後ろでに回る。


 その時、サヤの胸元から椀が転げ落ちた。


 転げ落ちた先には仇花アダバナの根。


 咄嗟とっさにサヤをかばったお藤は塀に叩きつけられた。白い壁が紅の線を縦に引いた。


「藤、藤っ!」

「ああ、サヤ様、どこか痛いところはありませぬか?」

「藤っそれよりも血が・・・。」

 左胸のたすきが切れた理由。それはそこに深々と刺さった矢にあった。


「追えっ!追えい!」

 弓を手に叫ぶ侍達が次々と花の根の餌食になるのが見える。


「サヤ様、早うその裏口から・・・一座の所へ・・・。」

「藤、一緒に来て、来てよお!」

 サヤは言う事を聞きそうにない。


「・・・藤は必ず帰ります。だから・・・」

「嫌じゃぁぁ!」


 藤は返事をしなかった。椀を握りしめたまま。



 泣き叫ぶサヤを後ろから優しく抱きしめる者がいた。

「お藤さんの願いを叶えてあげよう。いいね。」

 サヤの目の前に美しい黒髪が垂れる。

 

 アダケモノが生まれてきた。


 そう、今日は満月。


 花は咲いた。縄張りで死んだ者の魂を選んだのだ。


「少し、借りるね。」

 黒髪の正体は、あの少年だった。


 少年はサヤから炎の懐剣を受け取ると鞘から抜き放つ。


「炎の虎よ!出て来て手伝え!」

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