第46話「陰謀論者の客」

 客は異様な興奮を見せていた。中年の肥満体型、無精ひげにくすんだ肌。だが、目だけは不釣り合いなほどキラキラと輝いている。


「田中さん、実は私、5Gの電波が見えるんですよ」


「見える、ですか?」


 俺は微かに眉を上げながらも、冷静に問い返した。


「ええ、見えるんです! 青色なんですよ、あの電波は!」


 青色の電波。さすがに吹き出しそうになったが、必死に耐えた。俺が何か言うよりも先に、彼は興奮気味に話し続ける。


「この地域にも見えますよ、ほら!」


 彼が指差した方向には何もない。ただ静かな街並みが広がっているだけだった。

 俺は適当に相槌を打ちながら、内心では今日の仕事がどれだけ長引くかを心配していた。


「ですが、この周辺には5G基地局もありませんし、電波が直接害を及ぼすという科学的な証拠もないと聞いていますが……」


「それが甘いんですよ!」


 彼は声を荒げた。


「表向きにはそうでも、隠されているんです! しかも電波は残るんです。」



 現地に案内した先も、俺は慎重に選んだ。基地局からも遠く、静かな林の近くに建つ一軒家だった。


「ここなら安心では?」と提案したが、彼の目は落ち着かないままだった。


「こんな場所でも監視されてる……やっぱりだ!」


 次の瞬間、彼は急に林の中に向かって歩き出した。


「お客様、危ないですから!」


 慌てて声をかけるが、彼は全く耳を貸さない。肥満体型の割に驚くほどの速さで木々の間を進んでいく。俺も仕方なく後を追った。


「どこに向かうつもりですか?」


「あすこ! あすこです!」


 彼の言う「あすこ」がどこなのか皆目見当もつかないが、迷いのない足取りは妙に不気味だった。


 突然、彼が立ち止まり、地面を指差した。


「これです!やっぱり監視されている!!」


 俺が近づいてみると、そこには苔むしたドローンが転がっていた。プロペラは折れ、ボディは割れて電子部品が露出している。どう見ても長らく放置されていた代物だ。

 俺は冷静を装いながら、内心では違うと断定していた。こんな場所に飛ばして誰を監視する? それにこのドローン、商業用の廉価モデルでおもちゃ程度のものだ。


「……これですか?」


「そうです! 見えますか? 青色の電波の名残が!」


「いや……見えませんが。」


 俺は壊れたドローンを見下ろしながら困惑した。青色の電波なんてものが見えるわけがない。だが、彼の目は本当に信じ切っているようで、その輝きに否定する気力を失わせる何かがあった。


 しかし、それ以上に引っかかったのは別のことだった。


「……どうしてこの場所にドローンがあると分かったんですか?」


 林の中、しかも苔むした状態で隠れるように転がっていたドローン。遠目からは到底見つけられない。にもかかわらず、彼はまるで何かに導かれるように一直線にここにたどり着いた。


「だから、言ってるじゃないですか。青いんですよ5Gは」


 またその調子か、と俺は内心でため息をつく。

 客は壊れたドローンを前にして、ポケットからスマートフォンを取り出すと、角度を変えながら執拗に写真を撮り始めた。


「Xにあげるんです!」彼は嬉々として言った。

「仲間たちに報告しなきゃ。これでみんなに証拠を見せられる!」


 俺は半歩下がり、遠巻きに彼の様子を見守った。この情熱と狂気が入り混じった姿に、言いようのない不気味さを覚える。


「これで、ようやく世界が目を覚ますんですよ!」


 彼が声を弾ませるたびに、その狂信的なエネルギーがこちらにまで伝わってくるようで、背筋が薄ら寒かった。



 その日の夜、俺は妙に胸騒ぎがしてスマホを手に取った。興味本位で、彼が言っていた「Xへの投稿」が気になったのだ。

 予想通り、彼のアカウントはすぐに見つかった。


 @***「これが証拠だ! 5Gのミリ波を放つ監視ドローンを発見!」


 そんな見出しとともに、壊れたドローンの写真が何枚も投稿されている。コメント欄には同調する者たちの声が溢れていた。


 @***「間違いない、監視されている!」

 @***「5Gの影響がここまで広がっているとは……恐ろしい。」

 @***「あなたの行動力に感謝します!」


 画面をスワイプするたびに、俺は背中に冷たいものが這うのを感じた。

 ネットの中には彼と同じような人間が、数え切れないほど存在していた。ミリ波だの、監視だの、明らかに根拠のない妄想が、確信として共有され、広がっている。


 俺はスマホを机に置き、頭を抱えた。この手の狂気が、目に見えない形で膨らみ続けている。それは心霊現象よりもよほど現実的で、手に負えない怖さがあった。


「……こういうのが一番、たちが悪い。」


 俺は布団に潜りながら、林の中で輝いていた彼の目と、壊れたドローンの光景を振り払うように目を閉じた。

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