第38「ハロウィン禁止の地区」

 俺と一ノ関がその地区を歩いていたのは、完全に偶然だった。

 営業ついでに昼飯を探していたら、いつの間にか迷い込んだ。辺りは静かだ。飾り気のない家ばかりで、季節柄どこかの家でカボチャの飾りくらい見てもよさそうなものだが、それすらない。


「あれ、田中、あそこ見ろよ」


 一ノ関が指差した。電柱に貼られたボロボロの張り紙が目に入る。


 <ハロウィン禁止 


「なんだこれ」


 俺は近づいて張り紙を見た。ハロウィン禁止に打ち消し線が引いてあり、横に大きく『指を返せ』と書いてあるのも気味が悪い。


「田中、ハロウィン禁止なんて聞いたある?」

「知らん。この辺、仕事で来たことあったか?」

「いや、初めてだな」


 一ノ関は肩をすくめたが、どこか落ち着かない様子だった。俺も同じ気分だったが、わざわざ指摘する気にはなれない。

 さらに数分歩いた時だった。


「お菓子か、小指か」


 突然、背後から声がした。振り返ると、道の真ん中に狐面を被った子供が立っていた。10歳くらいだろうか。棒切れのような手足に、ボロボロの服を着ている。


「ボク、どうしたんだい?」


 一ノ関は子供に目線を合わせるようにしゃがんで声をかけたが、面をかぶっているせいで子供の表情はわからない。


「お菓子か、小指か」


 再び繰り返す。声は感情がこもっておらず、どこか機械的だ。


「いやいや、何言っているのボク」


 一ノ関は笑おうとしたが、声が引きつっているのがわかった。

 俺は黙って子供を見た。大型犬か長毛の猫でも飼っているのか、毛のついたボロボロの服から獣臭がする。ただの汚い子供ではない違和感がある。言葉では説明できないが、その子供が「普通じゃない」のは確かだった。


「……はいボク、これでいいかな?」


 彼は鞄から取り出したのは、またしても得体の知れない「たこ焼きようかん」だ。


「なんでそんなもん持ち歩いてんだよ」

「この間の出張土産だよ! ほら、どうぞ」


 子供は無表情のままそれを受け取ると、次に俺をじっと見た。


「田中、お前は?」

「俺は……これしかない」


 缶コーヒーを差し出す。子供はそれを受け取ったが、すこしためらったように見えた。

 そのまま何も言わずに歩き去る子供を見送り、一ノ関がぼそりと言った。


「……なんだったんだ、今の子。ハロウィン禁止じゃなかったのかな。やっぱり」

「さあな」



――――その夜、俺は奇妙な夢を見た。

 暗闇の中に狐面の子供が立っている。


「よくも苦い汁をよこしたな」

「それってコーヒーのことか?」


 俺はそう尋ねたが子供は答えずに、俺の左手を掴み、小指をねじるように引っ張った。

 目が覚めると、左手の小指がズキズキと痛む。


「夢なのか、なんなのか……。」



 翌朝会社に行くと、一ノ関も右手に包帯を巻いていた。


「お前もか」


 俺が尋ねると、一ノ関は疲れた顔で頷く。


「たこ焼きようかんがまずいって怒られた」


 俺たちの会話を横で聞いていた社長が、何か思い出したように言った。


「ああ、あそこには昔からタチの悪い狐が住んでるって昔話があってな」

「狐……ですか?」


 俺が尋ねると、社長はニヤリと笑った。


「そうだ。昔々、あの地区には狐がよく出たらしい。村人を化かして迷わせたり、作物を荒らしたりな。それで村に呼ばれたお坊さんに退治されたんだとさ」

「退治されたなら、もう関係ないんじゃないですか?」


 一ノ関が口を挟むが、社長は首を横に振る。


「まあそうなんだがな、その狐、どうも完全には改心していないらしいんだ。普段はおとなしいが、ハロウィンの頃になると『化けてもいい日』だと思って出てくるとかなんとか」

「……だからハロウィン禁止なんですか?」


 俺が確認すると、意地悪な狐みたいに目を細めて社長は笑う。


「たこ焼きようかんも缶コーヒーも気に入らなかったみたいだが、指を持っていかれるよりマシだったろうよ」


 社長は洒落にならないことをさらりと言い、一ノ関は震えながら10本揃った指をまじまじと見つめている。

 俺はぼんやりと小指をさする。コーヒーをくれてやったのに、なんて図々しい狐だ。


「田中、次は缶コーヒーじゃなくて、もっとマシなもん持っとけよな」

「お前こそ、妙な土産物ばっかり買ってくるなよ」


 こんなやり取りをしながら、俺たちはデスクに戻った。

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