第31話「長続きしないラーメン屋」

 俺と一ノ関は、昼休みを利用して最近オープンしたばかりのラーメン屋にやって来た。

 同い年の俺たちは、不動産の仕事をしているせいか、つい物件の立地や内装について話題に上げることが多い。特にここは居抜き物件として何度も店が入れ替わっている場所だ。いわく付きとまでは言わないが、気になるのも職業病かもしれない。


 昼どきで店内は混んでいたが、幸運にもカウンター席が空いていた。俺たちはそこに腰を落ち着け、メニューを眺める。一ノ関がぼそっと言った。


「なんかさ、ここ、呪われてんじゃねぇの?」

「またそんなこと言って」


 俺は苦笑いを返し、肘をカウンターの天板に置いた。怖がりのくせにすぐにオカルトに結びつける一ノ関の発言には慣れているが、冗談とも断言しづらいときがある。注文したラーメンが来るまでの間、軽口を叩き合って過ごそうと思ったが、妙な違和感がふと頭をよぎった。


 店内には熱気がこもり、窓ガラスは湯気で曇っている。それが何か不吉な兆候のように思えてしまう。そう感じた自分を戒めつつ、ポケットからスマホを取り出そうとしたら、ポケットティッシュが一緒に滑り落ちた。


 かがんで拾い上げ、ふとカウンターの天板裏に目を向けた瞬間、視界の端に何か彫り込まれているのが見えた。


「……なんだこれ」


 思わず声に出すと、一ノ関が顔を近づけてきた。


「どうした?」

「これ……文字か?」


 カウンターの裏に鋭利なもので掘られた文字列がある。左右反転しているのがわかった。スマホの画面に反射させると読みやすくなることに気づき、そっと光を当ててみた。


はらい、たまへ……きよめ……たまへ……」


 祝詞のりとの一種のようだが、ギザギザの鋭い直線で彫られていて不気味さが際立つ。一ノ関がその文字を覗き込むなり、顔をしかめた。


「うへえ、なんでこんなもんが掘られてんだよ? いや、こんなん見たらそりゃ店も長続きしないっつーの。さっさと食って出ようぜ!」

「お前、呪いとか苦手だもんな」

「は? 誰だって嫌だろ、こんなの!」


 声を潜めたやり取りの間に、俺たちのラーメンが運ばれてきた。一ノ関は明らかに動揺していて、味わうどころか勢いよく箸を動かし始める。俺は鶏そばを一口すすりながら、さっきの文字が頭から離れなかった。


はらたまへ きよたまへ まもたまへ さきわたまへ』


 一ノ関がどこか険しい表情のまま聞いてきた。


「……なあ、田中、あれって呪いか祓いかわかるのか?」

「さあな。祝詞のりとっぽいけど、わざわざ鏡文字にする意味がわからない。普通、こういうのって正しく書くもんだろ?」

「だよな……でさ、普通こんなとこに掘るか? まるで誰にも見せたくないみたいだ」


 その問いに、俺も心の中で引っかかっていた。これを掘ったやつは、店員や他の客に気づかれないよう、こっそり掘り続けたんだろう。しかも何度も通って少しずつ仕上げたに違いない。


「執念、って感じな」


 俺の言葉に、一ノ関が短く息を呑んだ。


「それが呪いだったら嫌だな……おい、まだ食ってんのかよ! 早くしろ!」

「せっかく来たんだからゆっくり味わわせろよ」


 俺は呆れつつも、鶏そばを最後まで楽しむ。だが頭の中には、掘られた16文字の鏡文字へ疑念が渦巻いていた。


 もし本当に、この場所で何かが起きているとしたら。


 結局、居抜き物件では怪異らしい怪異に出会うことはなかったが、俺たちが再びこのラーメン屋を訪れることはしばらくなさそうだ。

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