第10話 引退
2024年1月8日。殺し屋・片桐拓也は、久しぶりに自宅でゆったりとした時間を過ごしていた。テレビのニュース番組が流れ、いつも通り淡々と報道が続く中、ふと耳に残るニュースが飛び込んできた。
「お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志さんが、芸能活動を休止することを発表しました…」
片桐は、薄い緑茶を飲みながら画面に目を向けた。松本人志の顔が映し出され、長年の相方である浜田雅功との思い出のシーンが次々と流れる。彼は一瞬、眉を潜める。
片桐にとって、松本は自分の冷徹な世界とは無縁の存在だったが、彼の独特のユーモアや辛辣な言葉には、どこか感心させられる部分があった。「あいつが芸能活動を休むとはな…」と、少しばかり驚きを隠せない気持ちがわき上がっていた。
ニュースが続く中、松本が視聴者に向けて休止の理由や心境を語るシーンが流れる。片桐は、静かにその言葉を聞きながら、自分自身の生き方についてふと思いを巡らせた。松本もまた、自分とは違う形で、長い年月をかけて自分の道を貫いてきた人物だ。その姿が、どこか自身の冷酷な任務への向き合い方と重なったのだ。
「人生ってのは、意外とあっけないもんだな…」
そうつぶやき、片桐はテレビを見つめたまま、再び茶を口にした。
その時、不意に目の前にある棚に置かれたガーパイクの剥製に目が留まった。
片桐の家には装飾品などほとんどなかったが、このガーパイクの剥製だけは異質に目を引く存在だった。それは数年前、彼がある仕事で訪れた地方の古びた店で見つけたものだった。異様に長い体と鋭い牙を持つその魚は、まるで過去の片桐自身を写したかのように見え、迷わず手に入れた。今となっては、そのガーパイクは片桐にとって、戦いと冷酷さの象徴だった。
「お前もあっけないもんだと思ってるか?」と、片桐はガーパイクの剥製に向かってつぶやいた。
テレビでは依然として松本の特集が流れ続けていた。ガーパイクに戻った視線が再びテレビに移り、片桐は松本のこれまでの道のりを見つめながら、自分と彼の違い、そして少しばかりの共通点について考えていた。
彼が殺し屋として生きる理由は、元来の冷酷さと生き残りをかけたものだった。しかし、松本が長年「笑い」という異なる戦場で己を突き詰めてきたように、片桐もまた、プロとしての矜持を持っていた。そしてその矜持は、冷たくも美しいガーパイクのように鋭く、いつか衰えを見せる運命にあった。
「まあ、俺が引く時が来たら、こんなふうに世間に伝えることはないがな…」
そう独り言をつぶやき、片桐は薄く笑みを浮かべた。ガーパイクの鋭い目は相変わらず、無表情に彼を見返している。
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